cinema / 『ホテル・ルワンダ』

『cinema』トップページに戻る
『light as a feather』トップページに戻る


ホテル・ルワンダ
原題:“Hotel Rwanda” / 監督:テリー・ジョージ / 脚本:テリー・ジョージ、ケア・ピアソン / 製作:テリー・ジョージ、A・キットマン・ホー / 共同製作:ブリジット・ピックリング、ルイジ・ムジーニ / 製作総指揮:ケア・ピアソン、ニコラ・メイエール、イジドール・コドロン / 特別顧問:ポール・ルセサバギナ / 撮影監督:ロベール・フレース / 美術:トニー・バロウ、ジョニー・ブリート / 編集:ナオミ・ジェラハティ / 衣装:ルイ・フィリップ / ライン・プロデューサー:サリー・フレンチ / 音楽:アンドレア・グエラ、ルパート・グレグソン=ウィリアムズ、アフロ・ケルト・サウンド・システム / 出演:ドン・チードル、ソフィー・オコネドー、ニック・ノルティ、ホアキン・フェニックス、デズモンド・デュベ、デイヴィッド・オハラ、カーラ・シーモア、ファナ・モコエナ、ハキーム・ケイ=カジーム、トニー・キゴロギ / 配給:media suits × INTER FILM
2004年南アフリカ・イギリス・イタリア合作 / 上映時間:2時間2分 / 日本語字幕:田中武人 / 字幕監修:NPO法人ピースビルダーズ・カンパニー
2006年01月14日日本公開
公式サイト : http://www.hotelrwanda.jp/
シネカノン有楽町にて初見(2006/02/16)

[粗筋]
 アフリカ大陸中部にある小国・ルワンダでは長年、フツ族とツチ族とのあいだに緊張状態が続いていた。十八世紀頃から支配者としてフツ族のうえにツチ族が君臨し続け、ベルギーによる植民地支配が行われていた時期には、容貌の特徴が西洋人に近いツチ族が優遇されたという経緯から深まった溝は長い年月を経て修復が困難となっていた。
 約3年の内戦を経て、フツ族出身のハビャリマナ大統領の指導のもとようやく和平協定が締結されようとしていたが、一方でこの協定に不満を抱くフツ族の一部強硬派が民兵を結成、暴力行為に及んでおり、依然として不穏な気配は消えない。
 そんな渾沌とした状況のなか、ベルギー系資本で経営されるミル・コリン・ホテルの支配人であるポール・ルセサバギナ(ドン・チードル)は優れた手腕を発揮してホテルの信頼を確かなものにしていた。高価な葉巻も酒類もルートを問わずに調達し、政府軍のビジムング将軍(ファナ・モコエナ)や、ミル・コリンに駐留する国連平和維持軍のオリバー大差(ニック・ノルティ)らとも親交を結んでいる。敷地の外では頻繁に鳴り響く銃声も、こうしたポールの尽力によって、敷地内にまでは侵入してこなかった。仕事の忙しさもあって政治には関心を抱かなかったポールは単純に、和平協定を契機に多少なりとも状況が落ち着くことを信じ込んでいた。
 ――それがただの思い込みにすぎなかったことは早晩証明された。ホテルの照明がいちど断たれた夜、ポールを迎えたのは真っ暗な家と、カーテンを閉めきった一室に蝟集する家族と隣人たちであった。ハビャリマナ大統領が暗殺され、兵士たちが無数に外を闊歩している、という話を聞かされても鵜呑みにしなかったポールだが、行方の解らなかった息子が自分のものではない血にまみれた姿で身を潜めているのを発見し、翌朝、我が家に大量の兵士たちが踏み込んできたことにより、最悪の事態が出来したことを身を以て痛感する。
 その場は機転によって免れ、妻タチアナ(ソフィー・オコネドー)ら家族と隣人たちをバンに押しこんで命からがらホテルへと舞い戻ることは出来たが、道中目にしたものは、想像を上回る地獄絵図だった。真相の定かではないハビャリマナ大統領暗殺ははやばやとツチ族側反乱軍の仕業と宣伝され、それを鵜呑みにしたフツ族の民兵が武器を手に、虐殺を始めていたのである――幸いにして、国連軍が駐在するホテルにまでは、政府軍も民兵も踏み込んでくることはない。ポールは空き部屋を家族と隣人たちに提供し、ひとまず匿うことにする。
 しかし、ホテルの内部もまた混乱の度を深めていた。滞在する外国人はパスポートの返還や帰路の安全確認を求め、従業員のなかにもグレゴワール(トニー・キゴロギ)のように、ツチ族の人間を庇い立てする者に反感をあらわにする者もいる。ポールは本社の命令書を入手してどうにか仕事に戻らせるが、状況は日を追うごとに悪化の一途を辿っていく。
 極端に危険を増した社会情勢のために、内戦の取材に訪れていたジャーナリストたちもホテルから外に出ての取材を許されない、という不自由な状態を強いられている。そんななかでホテルを飛び出しての取材を敢行していたカメラマンのジャック・ダグリッシュ(ホアキン・フェニックス)たちは、遂に決定的な映像の撮影に成功した――フツ族民兵によるツチ族虐殺の現場を押さえてきたのである。すぐさま世界中にその衝撃の一部始終が流れたことで、ポールは西側諸国がようやく重い腰を上げてくれる、とダグリッシュに感謝したが、しかしダグリッシュは悲観的だった。世界中の人々はあの映像を見て恐怖は感じるだろう、だけど恐らくはそのままディナーを続けるだけだ、と。
 繰り返される虐殺に対しても、中立を主張する国連軍のオリバー大佐に言えるのは、自分たちが平和維持軍であり、仲裁できる立場にない、ということだけだった。しかし、そんな彼らが駐在していることで安全地帯と化していたミル・コリン・ホテルには難を逃れた人々が集い、次第に難民キャンプに近い様相を呈していく……

[感想]
 この作品の力強さの要因として、まず主人公であるポール・ルセサバギナが決して英雄的人物ではないことが挙げられる。
 経営手腕が傑出していることは、本格的な悲劇が始まる前のシークエンスで明らかだ。フツ族の優位性を訴え煽動する密売人相手に立ち回って、内戦中のルワンダでは貴重な葉巻や酒類を調達して有力者の饗応に用い、ホテルの安全を確保する。国連軍の大佐であろうと、危険な方向へと暴走しつつある政府軍の将軍であろうと区別はしない。不充分な食材の利用について即座にアイディアを提供し、部下への目配りも怠らない。こうしたホテル・マネージャーとしての才覚が冒頭数分間のうちに示される。
 ただ、本人自らが語る通り、彼は政治には関心を持たない。それは海外資本のホテルで働き、顧客に過ごしやすい環境を提供するために自らに課した位置づけだろうし、妻がツチ族であることを表沙汰にしないために引いた一線でもあろうが、そこには同時に暴力への根源的な恐怖心もまた潜んでいたように見える。最悪の事態に至る直前、兵士によって暴行を受ける隣人を物陰から眺めながら、手を束ねていた彼の言動には、そうした凡人であるがゆえの弱さもちらついている。
 だが、だからこそ、彼が無数の難民をホテルに匿うに至る経緯がきっちりと描かれる意義が生じている。妻を守り、親しい人々を庇うことまでならば普通の人でも当たり前に考えるだろう。しかし、そのあと何をするかはその人柄と、状況とに左右される。実のところ、妻や隣人たちをホテルに匿った直後の段階では、ポール・ルセサバギナ自身、新たに逃げてきた人々を匿うことに積極的ではない。しかし、無力な国連軍や無関心な西側諸国の態度と、現実に死の危機に瀕した人々を前にして、必然的に彼は全力で彼らを守る道を選ぶ。それまで、ホテルを潤滑に営業していくために続けてきた工作が奏功して、ホテルの敷地内が安全地帯同様となっていたこともあり、現場を指揮する立場にもあるルセサバギナは、誰よりも彼らを匿いやすい条件を備えていた。そうした様々な事情が彼を、暴徒から避難民たちを匿うという仕事へと導いていった。単なる功名心や英雄的な自己犠牲の精神によるものではなく、そうした必然によって彼がその役割を帯びていった背景が、実に解りやすく描かれている。
 他方、ルワンダの虐殺を巡る歴史的事実を詳しく知らない目には、やや情勢の変化が掴みづらく、登場人物たちが翻弄されている理由が伝わりにくい場面も幾つかあったことは指摘しておきたい。たとえば序盤、なぜ政府軍の将軍がポールのもとを訪ねたのか、また何故軍や民兵はホテルに踏み込めず、反対に西側諸国は何故ここまで無関心を貫いているのか等々、あとあとの描写から憶測できるものもあれば、作中の情報では最後まで把握できない箇所が幾つかあった。
 しかしこのあたりは、本編を主題から見据える限り、決して重大な欠点とはならないことも確かだ。社会情勢の変化については、興味を覚えた方は観たあとからでも各自調べなおして感慨を新たにする、というのも見方のひとつだろう。劇場で販売されているプログラムにはそのあたりの解説も付されているので参考になるので、これから劇場にて鑑賞予定のある方は気に留めていただきたい。
 導入がスムーズならば、そこからあとの展開も実にスピード感に溢れ、力強い。史実を題材にした作品はやもすると退屈に陥りがちだが、本編は四面楚歌にも等しい状況も手伝って、緊迫した局面が頻繁に訪れ、物語は終始スリリングに展開する。よほど気分にムラのある人でもない限り、スクリーンに釘付けにされるはずだ。
 いちおう物語は比較的望ましい結末を迎えるが、実のところそれは単純なハッピーエンドではない。あまたの犠牲の上に成り立った、哀しい結末でもある。ただ、主人公ポール・ルセサバギナをはじめ、多くの人間が生き残り、今もなお力強く生きていることを示すラストシーンは、悲劇を前提にしてなお快い余韻を齎す。それは結局のところ、主人公を英雄としてではなく、幾つも弱いところがありながら、自分に出来る最善を尽くして難局を乗り切った、普通の人間として描いているからだろう。
 子細に検討していけば、物語としてはぎこちなさが目立つし、カメラワークや編集にやや心許ない部分が見られる。しかし、そうした欠点も含めて、圧倒的な力強さを秘めた名作である。一時は日本の劇場で鑑賞できないと思われた本編だったが、無事に公開され、多くの日本人の目に触れる機械が齎されたことを心から喜びたい。

(2006/02/18)


『cinema』トップページに戻る
『light as a feather』トップページに戻る