/ 『ホテル ビーナス』
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『light as a feather』トップページに戻るホテル ビーナス
監督・編集:タカハタ秀太 / 脚本:麻生哲朗 / 製作:亀山千広、椎名 保、三枝照夫、迫本淳一 / 企画:大多 亮、石原 隆、清水信寿、久松猛朗 / プロデュース:小川 泰、前田久閑、豊島雅郎、衛藤祐一郎 / 撮影:中村 純 / 美術:都筑雄二 / 照明:平野勝利 / タップ指導:栗村 勝 / 録音:西田 敬 / 主題歌:LOVE PSYCHEDELICO / 製作:フジテレビ、Asmik Ace Entertainment、Victor Entertainment、松竹 / 制作プロダクション:ビーナス・ピクチャーズ / 出演:草 剛、中谷美紀、香川照之、パク・ジョンウ、コ・ドヒ、チョ・ウンジ、イ・ジュンギ、ピート、伊武雅刀、松尾貴史、勝村政信、田中要次、金子りずむ、つんく♂、香取慎吾、市村正親 / 配給:Asmik Ace、松竹
2004年日本作品 / 韓国語(日本語字幕) / 上映時間:2時間5分
2004年03月06日公開
2004年09月10日DVD発売 [amazon]
公式サイト : http://hotelvenus.net/
東劇にて初見(2004/04/20)[粗筋]
「ビーナスの背中を見せてくれ」
忘れかかっていたその言葉を聞いたとき、ビーナス・カフェに居合わせた人々の表情が一瞬凍り付いた。
ビーナス・カフェには、ホテルという裏の顔がある。ホテルといっても滞在客は長期ばかり、いずれも清算できない過去を抱えたわけありの人間ばかりだ。その合い言葉を口にした人々だけが奥に通され、一室を宛がわれる。
新たな住人は、ガイ(パク・ジョンウ)とサイ(コ・ドヒ)の親子。それぞれに事情を抱えた住人たちはあまり他人の詮索をしない。とはいえ、ビーナス・カフェのウェイター兼住人の世話係を務めるチョナン(草 剛)にとって、サイはちょっとした頭痛の種になった。ホテル・ビーナスでは食事だけは同じ時間にカフェを使って提供しているのだが、日中いっぱい日雇いに出ているガイの部屋でひとり過ごしているサイを呼びにいっても出てこようとしない。最初のように払いのけることはしなくなったけれど、なかなか口を付けないのは一緒だった。
彼女と仲良くなろう、などという気はチョナンにはなかった。ただ普通にしてもらいたくて、彼は一策を講じる。はじめは訳も解らないままのサイを屋上に連れ出して、洗濯物を干すのを手伝わせた。慣れたところで次に、それぞれの部屋に洗濯物を戻させる。未だに何も喋ろうとしないサイだったが、そんなことを繰り返しているうちに、チョナンにだけはときどき笑顔を見せるようになった。
一方で、ガイという男の出現が、古い住人たちのあいだに細波を立てている。ドクター(香川照之)はこの辺では良心的な治療で評判だったが、些細なミスがきっかけで自然廃業し、いまや酒浸りとなって、やはり腕のいい看護師だったワイフ(中谷美紀)が水商売で得る稼ぎで日がな一日正体を失くしっぱなしだったが、影を宿しながらも精悍な気配を纏うガイの姿に触発されて、不安を抱くようになった――自分といることで、ワイフは不幸になっているのだ、と。
その胸中をドクターがワイフに吐露した夜。住人にだいぶ慣れたものの未だ自分の部屋でひとり食事を摂っているサイを、無理矢理カフェに引っ張り出した。テーブルを避けカウンターで食べ始めた彼女を、一同は追いかけるようにしてカウンター席に総出で移る。ようやく人に囲まれてフォークを手に取ったサイに、席を譲るようにして、ワイフはその夜を境に姿を消した。
幼いときにビーナス・カフェに置き去りにされ、オーナーであるビーナス(市村正親)によって育てられたも同然のボウイ(イ・ジュンギ)は、強さに憧れるあまり、どこからか手に入れた古いピストルを片手に、殺し屋開業を宣言した。ホテル・ビーナスの住人に便宜を図っているダスター(ピート)に仕事を見つけてくるよう頼んであるが、なかなか依頼は届かず苛立っている。人を殺したこともないのに粋がっている彼を、ガイが鋭く窘めるが、ボウイは却って反抗的になった。つい先刻、ボウイはもうひとりの住人で花屋に勤めているソーダ(チョ・ウンジ)から、あんたは殺し屋にはとても見えない、と言われたばかりだった。それらしいっていうのは、ああいう男を言うのよ、とガイを仄めかして。
ある日、チョナンはガイに「お前からサイに渡してくれ」とアネモネの鉢植えを預けられた。彼女の誕生日だ、というガイに自分で渡せと応えるチョナンだったが、「サイはお前と一緒のときは笑っている」と言われ、引き受けさせられる。夜、住人に囲まれて手作りのケーキに挿した蝋燭の火を消すところまで笑顔だったサイは、チョナンから手渡された鉢植えがガイからのものだと知ると、それをはね除けて割ってしまう……[感想]
草 剛が出演するバラエティー番組『チョナン・カン』からのスピンオフ企画、と聞いて色物か、中途半端な出来のものを想像していただけに、これは非常に快い裏切りだった。
冒頭からして、独特のセンスとリズム感が映像・音楽の双方に漲っている。チョナンのナレーションをバックに、過去の出来事から現在に至るまでの断片を何の説明もなく列挙し、その合間合間にタップのリズムを挟む。暗い背景を語りながら陰鬱にもならず、しかし過剰に装飾的にもならない、バランス感覚が巧い。
カメラがホテル・ビーナスのなかに入っていくと、画面はとたんに色の数を減らしていく。単純なモノトーンではなく、場面によって微妙に青みがかっていたり紫色に近い風合いだったりするが、登場人物があまり自らの背景に踏み込まない、遠回しな会話と相俟って、それぞれの孤独感と距離感とを象徴している。
基本的に大きな事件というものはなく、粗筋で記したあとのあたりからちょっとした騒動が立て続けに巻き起こるが、それぞれが事前に描かれたなかにきちんと予兆が示されており、また基本的に彼らの属する世界から出ていない。そのトラブル自体も、悲劇ではあるが特殊なものではなく、どこかで聞いたような話ばかりだ。だからこそ、物語がわざとらしさや誇大妄想的な色彩を帯びることなく、しかし無国籍な生々しさを体現している。
何よりもいいのは、ヒーローがひとりもいないこと。いちおう物語はチョナンという、やはり特別ではないが彼なりの悲劇を抱えた若者の視点を中心に描かれているが、彼は基本的に見守ることしかできない。クライマックスで必死に叫ぶ台詞も、外側から訪れた結末を覆すことは出来ず、無力なままで終わる。何よりあれは、あの時点でならば恐らく彼以外のどの住人でも口にしえた台詞だった。チョナンがこの物語で負っている役割はあくまでビーナスの住人たちの象徴であり、代弁に過ぎない。
だが、その構図が明確になっていることで、登場人物がひとりひとりの居場所を取り戻すラストシーンが確かな説得力を伴った。チョナンが最後に登場する場面は、スクリーンいっぱいに近い空を背景にしている。それまで無愛想なモノトーンに近い画面がいつの間にかあれほど豊かな色彩を取り戻していた、と気づいたとき、積み重ねてきた物語が改めていちどに迫ってくる。
これはホテル・ビーナスという、世界の吹きだまりのような場所に集まった人々の群像劇である。だが、誰だって彼らのようになり得るし、誰でもそこから出ていくことが出来る。その双方を見届けて、ようやく自分の成すべきことを成し終えたチョナンの背後に広がる、スクリーンいっぱいの蒼。発端、展開、決着、すべて見事に決まった、秀逸な一本。海外のアート系映画と並べても遜色がなく、しかも娯楽性も損なっていない。――まあ、本当のことを言うと弱点も色々とある。鑑賞前から不安を抱いていたとおり二時間越えはちょっときつかったし、イベントを散らしすぎて初見では意味不明の場面も多く、それがやもすると飽きに繋がってしまうのは痛かった――尤も、この点は翻って「リピーター割引」という強気のキャンペーンにも繋がるような種類のもので、必ずしも欠点とは呼びがたいのだけど。
それから、本編では出演に先駆けて韓国語を習得した日本の俳優たちと、韓国で活躍する(或いは活躍が期待される)俳優が一堂に会しているわけだが、やはり生粋の韓国人と並べると、日本の俳優たちの台詞には訛りがある、と解ってしまう。それを補うために敢えて実在の地名を挙げず、どことも知れない国籍不詳の舞台を用意したのだろうが、どうしても違和感は禁じ得なかった。
そしてもうひとつ、願わくば、折角の韓国語という縛りをもうちょっと駆使して、韓国語ならではのニュアンスを利用した台詞回しを披露して欲しかった――というのはさすがに酷な注文か。てか、字幕でしか理解しようのない私にそれを言う権利はありませんね、はい。
しかし、いずれも非常に細かいつっこみでしかなく、全体の完成度を損ねるほどのものではない、と思う。感じたことなので書き連ねてみたが、見終わったときにはどれも大した問題ではない、と納得してしまったことも明記しておく。そもそも、もしこの話が日本語で綴られていたなら、ひどく陳腐なものになってしまった危険もあるわけで。個人的に、本編でいちばん印象に残った役者は――サイ役のコ・ドヒでした。ほとんど台詞がなく概ね無表情だからこそ、中盤でときどき、終盤でたびたび覗かせる笑顔が効く、という考えてみると狙い撃ちのような役柄ですが、それを差し引いても実に愛らしい雰囲気を備えた女の子です。けっきょく本編のなかではいちどもスカートを穿かず、男の子のような格好をしていたこともよりその愛らしさを際立たせていたような。スカート姿は写真のなかだけだったのです。
ちなみにつんく♂はビーナス・カフェの無名の客として、しかし非常に印象的というとても美味しい役で、香取慎吾は最後の最後で英語を喋る男として、しかも全体を通すとなかなか象徴的な台詞の受け手として登場します。このカメオ出演というべき人々の小粋な使い方もまた素敵。特に松尾貴史に注目です。あんまりっちゃ、あんまりだが。
(2004/04/21・2004/09/10追記)