cinema / 『ハンテッド』

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ハンテッド
原題:“THE HUNTED” / 監督:ウィリアム・フリードキン / 脚本:デヴィッド・グリフィス、ピーター・グリフィス、アート・モンテラステリ / 製作:リカルド・メストレス、ジェームズ・ジャックス / 製作総指揮:デヴィッド・グリフィス、ピーター・グリフィス、マーカス・ヴィシディ、ショーン・ダニエル / 共同製作:アート・モンテラステリ / 撮影監督:カレブ・デシャネル、ASC / 美術:ウィリアム・クルーズ / 編集:オージー・ヘス / 衣裳デザイナー:グロリア・グレシャム / 音楽:ブライアン・タイラー / 出演:トミー・リー・ジョーンズ、ベニチオ・デル・トロ、コニー・ニールセン、レスリー・ステファンソン、ジョン・フィン、ホセ・ズニガ、ロン・カナダ、マーク・ベルグリノ、ジェンナ・ボイド / 配給:日本ヘラルド
2003年アメリカ作品 / 上映時間:1時間35分 / 日本語字幕:栗原とみ子
2003年05月24日日本公開
2003年12月02日DVD版日本発売 [amazon]
公式サイト : http://www.hunted.jp/
東劇にて初見(2002/05/24)

[粗筋]
 1999年、内紛にあるコソボに、NATO軍の空襲が行われた。逃走中の部隊が虐殺を繰り広げる中、弾幕を潜って部隊の中枢に乗り込もうとする米兵数名の姿があった。大半が銃撃で揺動し、サバイバル技術と暗殺術を習得したアーロン・ハラム(ベニチオ・デル・トロ)が敵陣に侵入して指導者を暗殺する手筈だった。作戦は予定通り遂行され、ハラムには勲章が授与されたが、コソボで目の当たりにした地獄絵図は彼の心の均衡を破壊していた……。
 時は変わって2003年、野生動物保護基金に雇われて、カナダのブリティッシュコロンビアで違法な罠の摘発や傷付いた動物の保護を行っていたLT(トミー・リー・ジョーンズ)は、不意にかつての同僚の訪問を受ける。LTのトラッカー=追跡者としての技術を駆使し、オレゴン州の森の中で発生したハンターの連続殺人事件の犯人を捜し出して欲しい、という話だった。現役を退いたことを理由に拒もうとするLTだったが、懇願に負けて現地に赴く。移動中のヘリコプターの中で見せられたのは、頭部と四肢を切り落とされ、内蔵を抜き取られた――まるでハンターに食べられる前の鹿のような犠牲者の写真だった。
 LTは現場に着くなり、指揮を勤めていたFBI捜査官のアビー・ダレル(コニー・ニールセン)に大挙した捜査官を撤収させるように命じて、自分は「生きていれば二日後に落ち合う」と言い残して単身森の中へと入っていった。山中に無数に残された殺人犯の痕跡を辿り、やがてLTが出逢ったのはハラム――かつて彼自身がサバイバルと殺人術を教え込んだ男だった。自首を勧めるLTと頑強に拒むハラムが繰り広げた壮絶な格闘は、だがアビーの指示で放たれた麻酔銃によって呆気なく幕を降ろす。
 ハラムを勾留し訊問を開始したオレゴン州警察に、だが間もなく絶対的な権限を持つ命令書を携えた男達が訪れた。ハラムは極めて微妙な事情から、軍部によって存在を抹消された人間であり、警察の法では裁けない場所にいる――歯軋りしながらも、警察は彼らにハラムの身柄を渡さないわけにはいかなかった。
 後味の良くない結末ではあったが、頼まれた仕事を終えどうにか本来の職場に戻ろうとしていたLTは、だが食事のために立ち寄ったレストランのテレビで衝撃的な報道を目にしてしまう。ハラムを護送していた車が、途中の山道で事故に遭ったという――現場に向かったLTは、車中にハラムの姿がないことを知り、ふたたび彼を追跡する。
 戦争後遺症により心を引き戻せなくなってしまった天性のハンターと、彼に技術のすべてを仕込みながら殺人の経験がない追跡者――この闘い、いずれに軍配は上がるのか。

[感想]
 惹句は「アクション映画」である。確かに、細かな知略を争うような側面は乏しいし、人間描写を必要最小限に押さえ込んだストーリーでは、ただ「ドラマ」というよりも「アクション」と言いきってしまった方が相応しいだろう。
 だが、ハリウッド産、というより今日「アクション映画」と言われてイメージするものとはかなり異なった作品である。まず、昨今流行りのいかにもワイヤーを使いました、という場面がひとつもない。蹴り技など使わず、確実に効果を齎す攻撃のみが展開される。地面を這いずり、即座に急所を狙うアクション映画など、そうそうお目にかかれるものではない。現実には更に一瞬で、映像的な見所なく決着するところを、制作者は割り切った上で応酬を描き見せ場として仕立て上げているが、そんな点を突っ込む人間はもともと映画を見る必要がない。なにより、フィクションとしての潤色を承知した上でも、格闘場面での一挙手一投足が慎重に考え抜かれているのが解って、重い。
 この重みは、しかしアクションの描写のみに頼っていない。元々本編は、監督のウィリアム・フリードキンがかねてから親交のあった実在のトラッカー、トム・ブラウンJr.をモデルにするというところから出発していたそうで、撮影時にもトム・ブラウンの指導を仰いだという「追跡」場面の細部は非常に写実的だ。樹木に穿たれた刃物のあとから凶器を推測し、苔の剥落した箇所に足跡を見出し、丹念に追跡対象の痕跡を割り出していく。物語の大半がLTとハラムの単独潜行をドキュメンタリーのような手法で撮影しているため、細かな痕跡がいったい何を意味しているのか説明がなく、一度見ただけでは理解不能の描写が少なくないのが難だが、それ故に観る毎に発見があるに違いない。
 加えて、追う者と追われる者それぞれの行動原理が短い中にもきっちりと描かれて、戦闘場面での迫力を裏打ちしている点も重要だ。追われる側・ハラムは戦争での光景がトラウマとなり、人間による無造作な殺戮に対して燃えるような怒りを露わにし、捜査陣との格闘でもハラムとの一騎打ちの場面でも犯行の様子は激情的になっている。対してLTは、技術的には決してハラムに引けを取らないのだが、最も優秀だった教え子を、しかも初めての殺人の相手とすることに躊躇している。この対比が、前半では追跡場面を除いてハラムに翻弄される側面が強く、終盤で繰り広げられる行き詰まるような戦闘に膨らみを与えているのだ。
 リアルなカーチェイス、疾走する電車の連結部分を切り裂いての侵入、橋の上にある鉄塔から川へのダイヴ、などなどひとつひとつのアクションは強烈なのに、そうした全編を貫く写実主義が派手さを奪っているのが弱点として捉えられるが、一旦その深みに気づけば衝撃的で、繰り返しの鑑賞にも耐えるだろう描写の数々にこそ価値のある本編ゆえ、そうした地味さが受け入れられるかがいわば評価の分かれ目になるだろう。
 色気や飾り気ばかりのハリウッド流娯楽大作に飽き飽きしている、ハードボイルドのような香気を備えた映像と物語を堪能したい、という向きには間違いなくお薦め。1時間半ちょっとという尺も程良く心地よい。

(2003/05/25・2003/12/02追記)


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