cinema / 『I am Sam』

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I am Sam
監督:ジェシー・ネルソン / 脚本:クリスティン・ジョンソン、ジェシー・ネルソン / 製作:マーシャル・ハースコヴィッツ、エドワード・ズウィック / 撮影:エリオット・デイヴィス / 美術:アーロン・オズボーン / 音楽:ジョン・パウエル / 出演:ショーン・ペン、ミシェル・ファイファー、ダイアン・ウィースト、ダコタ・ファニング / 配給:松竹、Asmik Ace
2001年アメリカ作品 / 上映時間:2時間13分 / 字幕:石田泰子
2002年06月08日日本公開
2002年12月21日DVD日本版発売 [amazon]
公式サイト : http://www.iamsam.jp/
j丸の内ピカデリー2にて初見(2002/06/25)

[粗筋]
 サム・ドーソン(ショーン・ペン)は知覚障害のために7歳児程度の知能しか持たない。レベッカという女性との間に子供をもうけるが、出産自体が不本意だったレベッカは退院したその日に失踪、サムは生まれたばかりの娘をひとりで育てる羽目になった。
 やや自閉症の傾向もあるサムにとって子育ては容易な仕事ではなかったが、向かいに住む外出恐怖症の老婦人アニー(ダイアン・ウィースト)の協力と、サムと同じ知的障害を抱える友人たちの支えもあってどうにかこなしていく。
 だが、その日が近付くにつれ、サムと娘のルーシー(ダコタ・ファニング)の周辺に不穏な空気が漂い始めた。サムは食事中、知らずに売春婦と話したことがきっかけで警察に連行され、児童福祉局の職員マーガレット(ロレッタ・デヴァイン)に目をつけられる。ルーシーは就学する歳になり、自分の親が周りの大人達とあまりに違うことを自覚し始め、また同級生たちの偏見の目に晒されるようになる。
 やがてルーシーは7歳の誕生日を迎えた。彼女のために自分の友人たちとルーシーの同級生とその親とを招いて盛大にパーティーを開こうとしていたサムだったが、「子供が親の知能を超える」事態に危機感を抱いた学校と児童福祉局の手によって、ルーシーは施設に保護されてしまった。
 サムは嘆き悲しみながらも、娘を取り戻すための行動に出る。雑誌の広告を頼りに大手弁護士事務所を訪れ、エリート弁護士・リタ(ミシェル・ファイファー)の元に通された。
 リタにしてみれば、サムの依頼は迷惑そのものだった。説明は要領を得ず、弁護料の支払いさえ心許ない。しかし、サムの執拗な懇願とちょっとした意地から、リタは無償でサムの弁護を引き受ける。夫は外に愛人を作り、息子には無視されるような自分の境遇との間に大きなギャップを感じながら。
 容易な仕事ではなかった。果たしてサムは、社会の無理解を乗り越えて、最愛の娘を取り戻すことが出来るのだろうか……?

[感想]
 ――いやあ、参った参った。本当に涙腺緩むとは思わなかった。
 知的障害を抱える男性がひとりで子供を育てる、というシチュエーションだけでも充分ドラマになるところに、7歳という線を引いてふたりを社会に関わらせ、そこにワーカホリックで夫からも息子からも見捨てられがちの女性弁護士を重ねることで、親子というものの意味を問いかけるところにまで持ち込んだ発送がまず見事。サムの拙さもリタの未熟さも重ね合わせて描くことで、双方の問題点と滑稽さを浮き彫りにし、観ている間中否が応にも「親子関係」について自問自答させられる。
 また、肝心の知的障害者の描き方も、台詞から行動パターンに至るまで研究した痕跡が窺われ、この辺も高く評価したい。一方で障害を抱える人々を闇雲に「純粋だ」と評したり、自閉症の傾向がある人々に特有の記憶力を才能としていたずらに讃えず、鬱屈や身勝手さも人並み以上にあることを見せながら、それでも卑屈にせず微笑ましく描ききっているのも素晴らしい。前述の問題提起に無理も嫌味もないのは、こうした配慮の行き届いた描写があるからだろう。
 けれど、主張していることは至ってシンプルである。あまりにシンプルだからここで繰り返し述べることはしないが、そのありきたりな主張が説得力を帯びるのは、周辺をきっちり描いて、本当に大事なときには無闇にそれを口にさせない気配りゆえのことだ。
 ハンディカメラを使用し、盛んに目の位置を移動させ常に主要人物を中央に置くカメラワーク。原色中心でキビキビした色使い。リズム感に富んだコマ割り。寧ろ憂鬱な要素の多い物語をさほど中弛みさせず――それでも中盤やや辛い箇所はあったが――見せた演出も上手い。お涙頂戴を嫌う向きにも薦められる、ちょっと珍しいドラマ。

 余談その一。
 娘のフルネームは“ルーシー・ダイアモンド・ドーソン”。CMで利用されているBGMは、“Two of Us”のカバー。そして取り上げられた劇中のワンカットは、一目で解る“アビー・ロード”ジャケットのパロディ。それらからも察せられる通り、BGMの大半はビートルズのカバーであり、あの心地よいメロディが作品のテンポをより軽快なものにしている。
 作中では、ルーシーの名前からも解るとおりサムが大のビートルズファンであるという設定になっており、盛んにビートルズの歌詞やエピソードを引用する。果たして音楽が先だったのか引用が先だったのか、或いは中盤でルーシーが口にする台詞が一番最初にあったのか――作品から判断することは出来ないが、この辺りの一貫した趣向が本編のテーマをもう一方から支える柱となっていることは言い添えておきたい。

 余談その二。
「ダスティン・ホフマンも嫉妬する」とまで評されたショーン・ペンの演技は確かに素晴らしい。んが、やはりここは娘役のダコタ・ファニングを強く推したい。彼女の実年齢は当時で5〜6歳、それで7歳の、しかもそれで父よりも、時として周辺にいる誰よりも聡明な表情を見せる演技はただごとではない。子役ゆえの一瞬の輝きかも知れないが、それでも――或いはそれ故に本編の彼女は必見と謳っておく。特にラストシーンの愛らしさといったらもぉ。

(2002/06/25・2004/06/22追記)


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