cinema / 『アイリス』

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アイリス
原題:“IRIS” / 原作:ジョン・ベイリー『アイリスとの別れ 1:作家が過去を失うとき』(朝日新聞社刊) / 監督・脚本:リチャード・エア / 共同脚本:チャールズ・ウッド / プロデュース:ロバート・フォックス、スコット・ルーディン / 製作総指揮:アンソニー・ミンゲラ、シドニー・ポラック / 製作:ガイ・イースト、デヴィッド・M・トンプソン、トム・ヘドレー、ハーヴェイ・ウェインスタイン / 撮影:ロジャー・プラット / 美術:ジェマ・ジャクソン / 衣装:ルース・マイヤーズ / 編集:マーティン・ウォルシュ / 音楽:ジェームズ・ホーナー / ヴァイオリン演奏:ジョシュア・ベル / 出演:ジュディ・デンチ、ジム・ブロードベント、ケイト・ウィンスレット、ヒュー・ボナヴィル、ペネロープ・ウィルトン、サミュエル・ウェスト、ティモシー・ウェスト、エレノア・ブロン / 配給:松竹
2001年イギリス作品 / 上映時間:1時間31分 / 字幕:古田由紀子
2002年12月07日日本公開
公式サイト : http://www.shochiku.co.jp/iris/
シネスイッチ銀座にて初見(2003/01/01)

[粗筋]
 イギリス文壇を代表する小説家アイリス・マードック(ジュディ・デンチ)は、自らの変調を誰よりも早く悟っていた。評論家であり愛する夫ジョン・ベイリー(ジム・ブロードベント)との些細な会話の中で、ふと気づかぬうちに自分の言葉を反芻する。詰まらない単語が思い浮かばない。当然のように、かつてより書くことが億劫になっていた。アイリスは夫に対して自らの感じる恐怖を打ち明ける。正気を失った人間は、そのことを自覚できるのだろうか……?
 1950年代、若き日のアイリス(ケイト・ウィンスレット)は聡明で快活、進歩的なものの考え方をする女性であり、彼女よりも年下だが服装も物腰も垢抜けない若き日のジョン(ヒュー・ボナヴィル)にしてみれば理想であり憧れの存在だった。そんな彼女が、多少文学に明るいこと以外取り柄のない自分を気に懸けてくれるのが嬉しくもあり、奇異にも感じていた。
 ――医師の薦めで遂に精密検査を受ける決意をした、老いた2人に下された宣告は、アルツハイマー病だった。日を追うごとに言葉はおろか記憶も、日常生活をまともに送る能力さえ奪っていく病の進行を止める術はない。
 親しくなるにつれ、若き日のジョンにとってアイリスはそれまで以上に謎めき、悩ましい存在になっていった。湖に泳ぎに出かければ無防備に全裸で泳いだかと思うと、別の男友達を家に招いたことを隠しもせず、また女子寮時代の友人と公然と口づけを交わしたりする。人付き合いの達者でないジョンはそのあけすけな行動に困惑させられるばかりだった。果たして彼女の世界に、自分の居場所はあるのだろうか。
 それでも、年老いたジョンは無駄な抵抗を繰り返した。妻に紙とペンを携行させ、一語でも文字を書かせようとする。だがアイリスは、ふとした思いつきで紙を千切り、波打ち際に並べていくようなつまらない遊びに浪費してしまう。強烈な個性と、自らの堅牢な世界観を誇っていたアイリス・マードックは、もう自らの殻の内側から出てこようとはしない。夫として出来ることは、それでもアイリスを支え、愛し続けることだけだった……

[感想]
 本編は、ジョン・ベイリーが妻との最期の生活を綴った著書に基づいた映画である。
 とは言え、アルツハイマー病を患うのがイギリスで確乎たる地位を築いた女性作家である、ということを除けば、お話としては有り体の構造しか持っていない。次第に耄碌していく妻を、不慣れながら必死に介護する夫の姿を描いたというだけなら、ドキュメンタリーならまだしもドラマとしては退屈な進行の果てにありがちで通り一遍な感動が待ち受けているだけの代物になるところ、だと思うのだが。
 この作品の巧みなところは、現在の出来事と過去の出来事をあたかもパズルのように組み合わせ、特に不可解なところなど無いのに謎めいた展開を作り上げてしまった点だ。冒頭、水中を泳ぐアイリスとジョンの姿は、若いころと現在とを交互に見せている。以降もカメラが動くたび唐突に時代が入れ替わり、その都度前後関係を類推しながら鑑賞しなければいけない観客側としては、決してドラマティックな筋書きではないにも関わらず最後まで興味を繋がれてしまう。また、そのつもりになれば幾らでも微に入り細を穿ち描写することのできる物語を、潔く1時間半程度に纏めてしまったあたりにも、演劇界の重鎮であるという監督の手練手管を感じさせる。
 だが何よりも素晴らしいのは、アイリスとジョンを演じた4名である。老いたアイリスを演じたジュディ・デンチは、それまでの聡明さと打って変わって子供のようになり次第に表情すら失っていく様をごく自然に演じ、ジョンを演じたジム・ブロードベントはその姿に困惑し悲しみを感じながらも妻に尽くす夫の姿を感動的に、だが押しつけがましくなく表現している。若き日のふたりを演じたケイト・ウィンスレットとヒュー・ボナヴィルもまた、当人たちは芸術的才能に溢れていると言いながらも決してドラマティックではない恋愛模様を、ごく自然に嫌味なく見せている。何より、アイリスにしてもジョンにしても、現在と過去との造型に一貫したものを感じさせるのが凄い。この2人が年老いたらこういう姿になるだろう、と自然に納得できてしまうのだ。数多くの賞にノミネートされた本編だが、この4名が上がっている場合が殆どであるのも頷ける。
 老人痴呆と介護、という重いテーマを扱いながら、作品に流れているのは軽快さと優しさであり、余韻は非常に爽やか。尺の短さもあってぼんやり見ていると軽く通り過ぎてしまいそうな印象だが、実はとても難しいことをひどく簡単に達成してしまった傑作である。巧すぎることが最大の疵、と言えるだろう。

(2003/01/01)


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