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『light as a feather』トップページに戻るアレックス
原題:“IRREVERSIBLE” / 監督・脚本・撮影・編集:ギャスパー・ノエ / 製作:クリストフ・ロシニョン、リシャール・グランピエール / 音楽:トマ・バンガルデル / 出演:モニカ・ベルッチ、ヴァンサン・カッセル、アルベール・デュポンデル、ジョー・プレスディア / 配給:COMSTOCK
2002年フランス作品 / 上映時間:1時間36分 / 字幕:松浦美奈
2003年02月08日日本公開(R-18指定)
公式サイト : http://www.alexmovie.jp/
劇場にて初見(2003/03/01)[粗筋]
寂れたアパートの一室。年老いた男がもうひとりを相手に語る、かつての罪。やがて階下にある、ホモの掃き溜めのような店“レクタム[直腸]”がにわかに騒がしくなる。腕を骨折して担架で運び出されるマルキュス(ヴァンサン・カッセル)と、それに付き添う彼の友人ピエール(アルベール・デュポンデル)。救急車のなかに蟠る、息の詰まるような沈黙。
デニア=サナダムシ(ジョー・プレスディア)と名乗る男を捜して、“レクタム”のあちこちで異常な性愛に耽る男たちの間を彷徨い当たり散らすマルキュス。やがてひとりの男ともみ合いになり、ねじ伏せられて右腕の骨を折られる。激したピエールが、ねじ伏せた男の頭を消化器で殴りつける。何度も何度も、頭蓋が割れ顔かたちが判別できなくなるまで、何度も。
タクシーを降り、“レクタム”に駆け付けるマルキュス。復讐なんて馬鹿げてる、と車から出ようとしないピエール。憤怒に支配されたマルキュスは転がっていた鉄棒でタクシーのガラスを叩き割る。お手上げの仕種をしながら、ピエールはマルキュスに従って穴蔵のような店内へ――。
タクシーのなかで荒れるマルキュス。“レクタム”へ急げ、そんな店は知らない、お前たちホモの行く店だ、知らないとは言わせない――ピエールの制止にも耳を貸さない。運転手が取り出した催涙スプレーを奪い、車から引きずり出して顔に浴びせ、代わりにタクシーを奪ってマルキュスは男を捜す。
娼婦たちに話しかけ、ヌネスと名乗る男を捜すマルキュスとピエール、そして一帯を縄張りとするギャング。マルキュスの訊ね方は冷静からはほど遠く、ピエールは懸命に制止する。ようやく見つけたヌネスとは、女装したゲイだった。アレックス(モニカ・ベルッチ)がレイプされた現場にお前の身分証明書が落ちていた、必ず何かを見ているはずだ、と詰問する。ヌネスはデニアと名乗る男がやったと告げる。そいつは何処に? “レクタム”という店に。直腸という名の店にいるサナダムシ。悪い冗談だ。マルキュスの傍若無人な振る舞いに憤った娼婦たちが飛礫を投げつけるなか、停まっていたタクシーに駆け込むマルキュスとピエール。
警察車輌のなかで事情聴取を受けるピエール。アレックスは15分前に店を出た。何故送らなかった? 知らない。お友達はあなたと一緒だったのか? その通りだ、やはり送ってやるべきだった。連絡先を伝えて車輌を出る。茫然自失のマルキュスにかける言葉が見つからない。二人の男が歩み寄ってくる。警察に任せておいても駄目だ。このあたりは俺たちのシマだ、先日もレイプ魔をたっぷり懲らしめてやった。復讐するなら安く手を貸す。現場に落ちていた鞄のなかにあった、身分証明書を手懸かりに。案内しろ、マルキュスの目が据わる……[感想]
ロードショー公開して良かったのか、これ?
これほど一般的な観客を虐げ、マニアックな観客を挑発する映画も珍しい。観る者を幻惑する、縦横無尽に揺れるカメラワーク。人々が一斉に喋りたったひとつの筋を容易には辿らせないシナリオ。混乱した映像のなかで、主人公であるマルキュスの狂気だけがスクリーンからどろどろと溢れかえってくるような心地がする。
カメラのレンズに映る光景から凹凸が消えると、時間は幾許か舞い戻る。いつの出来事か理解するのに時間がかかる。少しずつカメラの動きが穏やかになり、最も衝撃的な場面ではほとんどアングルが固定される。
やがて映像は悲劇の前に戻る。ふたたびカメラは大きな動きを取り戻すが、前半のように狂的な印象はなく、揺籃に揺られるような大きな感覚で移動を続ける。悲劇に至る直前の平穏な、それ故に痛々しい主人公たちの会話が綴られ、最後にある事実を判明させて、画面は白に埋もれる――
こうした一連の流れを時系列に添って並べ直すと、実は単純かつどうしようもなく無慈悲な内容だけが残る。それがこうも革新的で刺激的で、かつ奇妙に柔らかな余韻を残すこともある(反芻すると余計に気分が悪くなる場合もある)作品となったのは、物語を結末から逆に、宛ら全編ワンカットに見えるような繋ぎ方で表現しているからだ。そうすることによって、本来不可逆の時間の流れを、表現のなかでだけ破壊している。
無論、この破壊は見せかけに過ぎず、観客がそれぞれの胸中で物語を反芻すると、ふたたび無慈悲な現実がより激烈な重みを具えて甦ってくる。考えようによってはその感覚は、普通に事実を伝えられるよりも遥かに激痛を伴うはずだ。それを承知のうえで、敢えて事実を逆に辿ることで異なった余韻を齎す――「悪夢」から「悪」の文字を取り除こうという試みなのである。
個人的には異常な傑作だと思う。とりわけ登場人物の感情をそのまま反映したかのようなカメラワークを見る限り、間違いなくこのギャスパー・ノエという人物は一種の天才と言える。が、ではだから誰も彼もに本編をお薦めできるかというと、絶対に無理だと首を振る。悪夢だと承知で鑑賞したうえで、更に筋や映像趣向をこねくり回してみようとする、かなりのひねくれ者でないと薦められないし、そういう人が世間に多いとは信じがたい。
――というわけで、絶賛した上で訊ねてみないわけにいかないのだ。ロードショー公開して良かったのか、これ? 単館にしておいた方が良かったんじゃないのか??今回初めて「プログラムが売り切れ」という憂き目を見てしまったため、公式ホームページのみを参考に情報・粗筋を記しました。釈然としないので後日別の劇場でプログラムを購入して修正・追記を施す予定ですが、それまではやや不正確な箇所もあることを御了承下さい。
(2003/03/01)