cinema / 『光の旅人 K-PAX』

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光の旅人 K-PAX
原題:“K-PAX” / 原作:ジーン・ブルーワー / 監督:イアン・ソフトリー / 製作:ローレンス・ゴードン、ロイド・レヴィン、ロバート・F・コールズベリー / 脚本:チャールズ・リーヴィット / 音楽:エドワード・シャーマー / 出演:ケヴィン・スペイシー、ジェフ・ブリッジス / 配給:日本ヘラルド
2001年アメリカ作品 / 上映時間:2時間1分 / 字幕:戸田奈津子
2002年04月13日日本公開
2002年11月20日DVD日本版発売(『K−PAX〜光の旅人〜』に改題) [amazon]
2004年07月14日DVD最新版発売 [amazon]
公式サイト : http://www.k-pax.jp/
日劇PLEX3にて初見(2002/05/01)

[粗筋]
 ――彼は初夏のニューヨーク、駅の雑踏に忽然と姿を現した。ひったくりの疑いをかけられて警察に捕まり、そのまま精神病院に移送された彼は、巡りめぐってマーク・パウエル(ジェフ・ブリッジス)が精神科医として勤める精神科病棟にやって来た。プロート(ケヴィン・スペイシー)と名乗った彼は、琴座の近くにあるK−PAX星から光に乗って地球を訪れた、と語る。
 記憶喪失と妄想癖のある患者と認識されたプロートを、クラウディア(アルフレ・ウッダード)ら同僚の精神科医たちはいつも通りの薬物療法で処置しようとするが、プロートの整然とした語り口に興味を覚えたマークはそれに反対し、時間をかけて彼から様々な情報を引き出そうとする。
 同時にマークは、プロートの「嘘」を証明する手段のひとつとして、天文学者である義弟スティーヴ(ブライアン・ハウイ)にK−PAXに関する質問状を用意してもらって、それをプロートに答えさせる――結果は、驚くべきものだった。K−PAXという星は学会でも未だ発表されていない惑星で、少数しか存在を知らない惑星だったのだ。すぐさまプロートは研究所に招かれ、設備のプラネタリウムにて専門家から更なる質問が行われることになった。K−PAXは二つの太陽を中心に公転しており、地球とは全く異なる軌道を描いている。それを画面に示してみろ、という研究者たちの問いに、プロートは極めてあっさりと、その複雑な軌道を――専門家でさえ計算しかねていたその軌道を示してみせる。専門家であるスティーヴの困惑に合わせて、マークの強固な信念をも揺り動かしつつあった。
 プロートの存在は、精神病棟の患者たちにも波紋を起こしつつあった。強迫神経症で内に籠もっていたハウイー(デイヴィッド・パトリック・ケリー)に三つの使命を果たせば病気が治ると言い、初めて窓の外に目を向けさせた。いつも口許をマスクで覆い、あらゆる感染病に恐怖していたアーニー(ソール・ウィリアムズ)を病院の庭に連れ出すことに成功した。誰とも知れぬ待ち人を待ち続けて個室に女王のように居座っていたミセス・アーチャー(セリア・ウエストン)を、そうした混乱の余波から部屋の外へと導いてしまった……そして患者たちは一様に、K−PAXの存在を信じていた――

[感想]
 精神医療とオカルトは非常に親密である。こう言い切ると拒否反応を起こす向きもあるかも知れないが、証左は幾つもある。『タイプ論』を唱え「内向型」「外向型」という概念を創出し定着させたユングは心理学と錬金術の相似を訴え証明する著述を幾つも発表しているし、危険と言われながらも一般には知られた療法のひとつである催眠療法は洗脳技術のひとつとして一時期話題にもなった(施術はそんな簡単ではないんだけど細かいことは省略)。そもそもキリスト教の告解や、バチカンに実在するというエクソシストの方法論は今日のセラピーに繋がるものだ。何より、精神疾患・薬物依存による幻覚がそもそも幽霊やエイリアンを生み出したという説が存在する。
 また、妄想癖や虚言癖のある患者の中には、時として強烈なカリスマ性を発揮し、自分とその周囲の人々に激しい影響を齎すことがある。これがマイナスへと移行すると集団ヒステリー、更にはカルト宗教に類する現象へとスライドし退っ引きならない事態を引き起こす場合もある(むろん極端な例である念のため)が、時として周囲の人々を最も望ましい方向へと導く正の効果を齎すこともある――そう、プロートのように。
 原作が余程しっかりしていたのだろう、精神医学面の知識にはまるで破綻がなかった。その明確な枠の中で、プロートの姿は地球人ともK−PAX星人ともつかずに常に揺れ動く。どっちつかずの有様に、彼を診察しているはずのマークの方が影響され、自らが抱える苦しみの正体を浮き彫りにされ、いつしか唯一の答えに向かって導かれる――その過程が饒舌になりすぎず舌足らずにならず、淡々と着実に、知的に綴られている。この辺りはほぼ一対一の対決となったふたりの名優ケヴィン・スペイシーとジェフ・ブリッジスの面目躍如と言えるだろう。ときおり差し込まれる情景描写と、現代的だが抑制の利いたリズムを全編に付与する音楽の功績も忘れてはならない。
 SF、と呼ぶべきなのだろうが、そのジャンル名が想起させるような派手な場面は一切ない。敢えて謎を残した緻密なミステリという捉え方も出来るが、それにしては謎が大袈裟で伏線も充分と言い難い。それでもどちらの呼称を適用しても別に構わないだろうと思わせる精緻さと、要するにジャンルなんてどうだっていいじゃない、と思わせる大らかさがある。
 地味だが堅実で、表現されているより遥かに深いものを感じさせる。大きくヒットしたり絶賛されたり、何かの賞に輝くようなものではない(実際、名演ながらケヴィン・スペイシーが主演男優賞にノミネートされることもなかった)けれど、確かな充実感を与えてくれる名作。人が何と言おうと私は推す。

(2002/05/01・2004/06/22追記)


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