cinema / 『奇談』

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奇談
原作:諸星大二郎『生命の木』(集英社・刊) / 監督・脚本:小松隆志 / エグゼクティヴ・プロデューサー:小谷靖 / プロデューサー:一瀬隆重 / コ・プロデューサー:久保淳 / 撮影:水口智之 / 照明:奥村誠 / 美術:斎藤岩男 / 装飾:柿澤潔 / 録音:小松将人 / サウンド・エフェクト:柴崎憲治 / 編集:足立浩 / 視覚効果:松本肇 / 助監督:金子功 / 製作担当:田嶋啓次 / 音楽プロデューサー:慶田次徳 / 音楽:川井憲次 / 出演:藤澤恵麻、阿部寛、清水紘治、ちすん、草村礼子、柳ユーレイ、神戸浩、菅原大吉、土屋嘉男、堀内正美、白木みのる、田中碧海、一龍斎貞水 / ナレーション:津嘉山正種 / 製作プロダクション:オズ / 配給:XANADEUX
2005年日本作品 / 上映時間:1時間24分
2005年11月19日公開
公式サイト : http://www.kidan.jp/
新宿オスカーにて初見(2005/11/18) ※前夜祭レイトショー

[粗筋]
 大学院で民俗学を専攻する佐伯里美(藤澤恵麻)はちかごろ頻繁に奇妙な夢を見る。大地に大きく抉られた穴のなかを覗きこむと、男の子が手を振っている、という内容だった。里美は十六年前、母が出産で面倒を見られないという理由から親類の住む渡戸村[わたらどむら]に二ヶ月ほど滞在していたことがあるのだが、そのときの記憶が大半抜け落ちている。或いはその頃の出来事が関係しているのかも知れない、と考えた里美は、その頃渡戸村で起きた出来事を調べる。すると、当時の新聞に、里美が小杉新吉(田中碧海)という男の子と一緒に失踪、彼女ひとりが戻り、新吉が行方不明のままになるという事件の記事があった。
 記憶の空白のあいだにいったい何が起きたのか? それを知らなければいけない、と切に感じた里美は三戸部教授(土屋嘉男)の許可を得て、渡戸村へと赴く。村役場の芹沢(堀内正美)の案内で宿に移動する途中、記憶にぼんやりと面影の残った教会を見つけて立ち寄ると、そこには神父の桐島(清水紘治)とともに、別の人間の姿があった。
 彼は、稗田礼二郎(阿部寛)――「妖怪は実在する」という異端の説を発表したことで一時期学会を終われていた考古学者であり、“妖怪ハンター”という通称を持つ人物である。稗田はある論文に登場する、渡戸村のはずれに存在する“はなれ”と呼ばれる集落に伝わる『世界開始の科の御伝え』という名の聖書異伝の調査のために訪れ、教会に保存されている、“はなれ”の住民達を映した唯一のフィルムを捜してもらっていたのだ。
 里美と芹沢は成り行きで、稗田たちとともにフィルムを観ることになる。そこに映っていたのは、“はなれ”の住人が神の到来を唱える、異様な様子であった。その晩、大きな地震が渡戸村を襲った。
 翌日、里美は芹沢に頼んで、“はなれ”の集落へと向かった。途中には徳川時代、激しい弾圧のなか隠れキリシタンたちが多数処刑され、見せしめとして処刑者の遺灰を撒かれたことから“骨山”と呼ばれ神聖視される山がある。そこに足を踏み入れようとした矢先、山頂付近から下ってきた稗田と遭遇する。彼は「駐在に連絡してきます」と言って去っていく。入れ替わりに山頂に登った里美たちが見たものは、十字架に手足を釘付けされ、躰中を槍で抉られた惨たらしい屍体であった。
 屍体は“はなれ”の住人のひとり、善次のものであった。昨夜の地震により主だった道路がすべて断絶してしまい、県警の鑑識は当分到着する見通しが立たない。やむなく渡戸村の駐在・中原巡査(柳ユーレイ)が捜査する一方、懇請して善次の遺体を教会の地下室に暫時保管してもらうことになった。
 村が惨劇に揺れるなか、自分の調査を続けていた里美は稗田に導かれて、お妙(草村礼子)という老婆に面会する。静江(ちすん)という女性と同居するお妙は、兄が神隠しに遭ったという経験の持ち主であるため、里美にとって何か参考になる話が聞けるのでは、という判断であった。渡戸村では遥か昔から神隠しが繰り返されているというのだが、その背景はやはり不明のままだった。
 しかし他方で、渡戸村にある龍尊寺の住職(一龍斎貞水)は、お妙自身もまた兄と共に神隠しに遭い、翌日単身舞い戻ってきた、という経歴の持ち主である、と語った。しかも静江に至っては、遥か昔に行方をくらまし、係累の絶えた数年前に忽然と、失踪当時の年格好で戻ってきたというのである。
 驚くべき事態は更に続く。宿に戻った里美と稗田が突然に請われて駐在所に赴くと、そこにはあの新吉がいたのだ……

[感想]
 実は諸星大二郎による原作は未読のままである。だが、そのお陰で原作のイメージに縛られることなく虚心に楽しめたように思う。
 もともと評価の高かった作品を原型としているためだろう、隠れキリシタンにまつわる歴史の描写や民俗学的な結構など、屋台骨にあたる設定は極めて重厚でしっかりしている。海外のホラーなどに多い、宗教的知識のほんの表面を撫でて、ややオカルティックな要素を抽出してそれっぽく配列した、という浅はかなものではなく、語られる渡戸村の歴史や“はなれ”の繋がりに深みを感じさせる。
 基本的に虚構ながら、実在する隠れキリシタンや、いかがわしくも語り継がれていることだけは間違いないイエス・キリスト日本渡来説などを下敷きに舞台の背景を作っていることは想像に難くない。だが、実際にキリストの来訪を伝える土地などを舞台にするのではなく、あくまでそうした伝説をベースにして、説得力のある虚構を作りあげているのが見事だ。
 説明自体もかなり解りやすい。途中で流れる、“はなれ”の様子を唯一記録したというフィルムの映像と音はかなり内容が掴みにくいながらも、その解りにくさが余計に“はなれ”という集落の異様な空気を伝える効果を齎している。単純に説明に依存するのではなく、細かな描写や住民達の遠回しな言葉から村の風土や意識を匂わせ、物語の趣旨を裏打ちしているのが巧い。
 もうひとつ物語の空気作りに貢献しているのが、全体に古めかしく誂えた登場人物たちの容姿や言動である。まずヒロインとなる佐伯里美からして、膨らみのあるセミロングの髪型にあの頃の清楚な美女という雰囲気を作りだしており、そこに若干ながら意志の強さをまぶした造型は、今風の女性主人公の平均的な像とは違った雰囲気を醸している。ほかの登場人物にしても、芝居かがった台詞回しや少し硬い動きを心懸けているようで、抑え気味ながらも勿体ぶった演技が物語のいかがわしさを際立たせ、作品そのもののインパクトを強めている。時代背景が1972年に設定されているのに純粋に合わせただけとも捉えられるが、その一線をきちんと守っているということ自体も評価したい。
 あまりメジャーどころの俳優が少ないなかで、最も名の通っている阿部寛が稗田礼二郎を演じている。見た目としては原作とまるで異なっているのだが、少なくとも映画のみで観た場合はさほど問題を感じない。どんな状況に陥っても泰然とした性格をよく演じきっている。とりわけ阿部寛はドラマから映画化され、まだ新作が発表されている人気シリーズ『TRICK』の上田次郎教授というインパクトの強烈なキャラクターを演じているだけに、舞台や背景の作りが似ている(尤もあちらはギャグの構成素として、こちらはとことんシリアスに組み立てているので、意思は正反対なのだが)本編のなかでイメージが被ることを心配していたのだが、性格的にはまったく正反対のキャラクターを巧みに構築し、観ているあいだ『TRICK』を意識させることはない。単独ではやや線の細さがあるヒロイン・里美を支え導く役割にも説得力があり、彼が稗田を演じたことで物語に一本芯を通している。
 だが、何よりも圧巻なのはやはりクライマックスだ。実のところ、解かれていない謎が無数に残されたまま幕は引かれてしまうのだが、不思議とあまり物足りなさを感じさせないのは、この結末の圧倒的な描写に因るところが大きい。視覚効果の作りはどちらかというと人工的な手触りを留めてしまい、いささか安っぽく思えるのも事実だが、それ故に現象自体の生々しさを誇張する効果も上げている。敢えて作りものっぽさを残すことで、時代背景に添って構築されていった“いかがわしさ”をより膨らませている点にも着目すべきだろう。
 前述のように、解かれない謎も多い。恐らく観客の誰もが最初に抱かされた疑問について答えを示していないことに不満を覚える向きもあるだろう。だが、本編の魅力には、目に見えたこと以上のことについては介入しない、というある意味潔い怪奇への姿勢もまた含まれている。事実に基づいて構築した虚構の民俗学的要素を、古い特撮怪奇映画を彷彿とさせる映像と人物造型に編み込むことで作りあげられたドラマは骨太であり、見応えは確かにある。一時間三十分に満たない短い尺ながら、それをほとんど感じさせないぐらいの情報量とその整理の巧さが光る、伝奇映画の傑作であると思う。
 ……ちなみに、当初はまあまあかな、ぐらいに思っていたのですが、感想を書いているうちに評価が上がりました。

(2005/11/19)


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