cinema / 『王の男』

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王の男
原題:ハングル語原題 / 英題:“King and The Clown” / 原作:キム・テウン(演劇『爾』) / 監督:イ・ジュンイク / 脚本:チェ・ソクファン / 製作:チョン・ジンワン、イ・ジュンイク / 製作総指揮:キム・インス / 撮影:チ・ギルン / 照明監督:ハン・ジウブ / アート・ディレクター:カン・スンヨン / 編集:キム・サンボム、キム・ジェボム / 衣装:シム・ヒョンソップ / 音楽:イ・ビョンウ / 出演:カム・ウソン、イ・ジュンギ、チョン・ジニョン、カン・ソンヨン、チャン・ハンソン、ユ・ヘジン、チョン・ソギョン、イ・スンフン / 配給:角川ヘラルド映画、CJ Entertainment
2005年韓国作品 / 上映時間:2時間2分 / 日本語字幕:根本理恵
2006年12月09日日本公開
公式サイト : http://www.kingsman.jp/
シネ・リーブル池袋にて初見(2006/12/22)

[粗筋]
 16世紀初頭の韓国。田舎町での巡業を重ねる芸人一座に属していたチャンセン(カム・ウソン)は古い馴染みである女形のコンギル(イ・ジュンギ)とともに一座を飛び出した。男ながら美しい容貌を備えたコンギルは行く先々で身を売ることを強要され、それは常に座長の懐を潤すだけだったのだ。人目を忍んで脱出したチャンセンたちだったが、ギリギリで座長に発見、折檻されるチャンセンの姿に逆上したコンギルが座長を殺したことで、もはや戻ることは不可能となった。チャンセンはこの機に漢陽の都に上り、大きな舞台を打つことを提案するのだった。
 漢陽の都は人に満ちあふれていた。到着するなり、三人組の芸人が曲芸を披露している場面に出くわしたふたりは、彼らを凌駕する芸を披露することで注目を集める。自分たちがいちばんの芸人だ、と謳っていた三人組の兄貴分ユッカプ(ユ・ヘジン)はチャンセンとコンギルの才能に魅せられ、さっそく取り入ろうとした。だが、観衆のたくさんいる場所はどこか、と問われて、いまは無くなってしまったとぼやく。暴政を強いていることで知られる現在の王・燕山君(チョン・ジニョン)が繁華街を狩り場として接収してしまい、人が集まらなくなってしまったというのである。だが、ユッカプのその言葉がチャンセンに天啓を齎した――王を題材に芝居を打とう。
 怖じ気づくユッカプたちを叱りつけるようにして、チャンセンとコンギルは芝居を強行する。王とその寵姫チャン・ノクス(カン・ソンヨン)の行動を下品に滑稽に演じた芝居は大好評を博し、一座は大金を手にする。
 味を占め、来る日も来る日も興行を繰り返し稼ぎ続けていた一座だったが、ある日突然、官憲からの摘発を受け捕縛されてしまう。興行中の彼らを道すがら目撃していた王の重臣チョソン(チャン・ハンソン)が見かねて指示したのである。国王を侮辱したかどで死罪に処される可能性もあるなか、激しく打擲されながらチャンセンは訴えた。自分たちの芸で王が笑えば、侮辱にはならない、と。この破れかぶれの言葉に、意外にもチョソンは心を動かした。
 かくして、宮廷に芸人を招き入れての芝居上演という、前代未聞の椿事が繰り広げられた。王が顰め面をし、大臣たちが難しい表情を浮かべるなか、萎縮しきったユッカプたちはいつもの調子が出ず、チャンセンの威勢も空回りする。だが、最後の最後でコンギルが即興でチャンセンに促した芸が、王の爆笑を誘った。
 斯くして文字通りの起死回生に成功した。芸人たちに興味を持った王は、チャンセンたちに罰を命じるどころか、彼らを宮廷内に住まわせ、折に触れ芝居をするように指示した。特に王の歓心を買ったコンギルは、王の私室に招かれ個人的に芸を披露する。たとえ身を売っていたのでなくても、そもそも相棒が男娼扱いされることに反発して、ともに一座を抜けたチャンセンの胸中は複雑だった。
 加えて、王を相手に今後どんな芸を披露すればいいのか。チャンセンにそう問われて、この状況を作った元凶であるチョソンは思いがけない言葉を漏らす。王を揶揄するお前たちが、何故大臣たちをからかわない?
 チャンセンは国中から芸人を招き、一世一代の大芝居を仕掛ける。だが、まだチャンセンは気づいていなかった――本来低い身分である自分たちが、宮廷内のドロドロとした抗争の渦に巻き込まれていたことを……。

[感想]
 本編に登場する燕山君は実在の人物である。18歳にして即位、15世紀末から16世紀初頭にかけて朝鮮王朝を統べていたが、寺院を潰して娼妓の養成所に造り替える、文官や先代の忠臣を罷免し、作中でも断片的に描かれているが実母を謀殺した父の妾たちを虐殺するなど、悪逆非道を尽くした人物であるという。通常、退位した王は後年“祖”“宗”の号が与えられるのが通例だが、燕山君は後年名誉挽回されることもなく、王の息子であることを示す“君”がつけられたままになっている。
 そのあまりにも残虐で、しかしフィクションとして再構築するうえでは極めて魅力的な人物が本編の中心にある。異国の人間からすれば、史実をそのまま描いただけでも立派にドラマたり得るように思えるが、本編は史実の要素を再構築し、そこにふたりの芸人を挿入して、重厚なドラマに仕立て上げている。
 視点人物となるのは野心と反骨精神に富んだチャンセンである。そもそも相棒と当初在籍していた一座を抜ける理由が、長年の相棒を男娼扱いされていたのに腹を立ててのことだったが、王の評判を聞くなりそのお膝元と思しい場所近くで王を愚弄する内容の芝居をかけ、宮廷に招かれてからもチョソンの提案した芝居を「これでは笑ってもらえない」とはねつけるなど、生死ギリギリのところで我を通すようなところのある人物だ。その揺るぎのない姿勢を最後まで貫き、およそ透明感に欠く宮廷の内情を暴き立てる物語のなかで唯一公平な視点として機能する。観客が最も感情移入しやすい立場にあるのも彼だろう。
 他方、彼と運命をともにする相棒コンギルは、立ち居振る舞いの透明感に対して、本心をなかなか窺わせない謎めいた印象のある造型が際立つ。男性であることは間違いないはずなのだが、その所作や覗かせる肌の美しさは性別を見失わせるほどだ。素肌を見せるときは背中からであったり、婀娜っぽい女性を演じるときは胸許を隠し腹部をさらけ出した服装を選び、巧みに“男性”を感じさせる部分を映さず終始観客にも疑問を抱かせる描き方をしているのも絶妙だ。
 しかし何と言っても出色であるのは、韓国の歴史からすれば憎まれ役となるのが普通のはずの狂王・燕山君だ。本編においても、その狂気をうまく織りこんでいるが、しかし不思議にも観客の同情を誘うように描き、成功しているのである。序盤は仏頂面で周囲を睥睨しているだけ、コンギルらの芸に魅せられてからはいっそ子供のようにその舞台を楽しむさまも、却って異様な不気味さを湛えているが、コンギルを私室に呼び寄せ芸を披露させたあとあたりから少しずつ、人間的な側面を垣間見せるようになる。感情的で横暴、余人の理解を超えた心理の持ち主であることも間違いないが、少なくともそうした狂気に踏み込んだ原因が成長過程にあり、その悲劇を背負ったうえでああした境地に踏み込んだことは伝わる。故に、終盤に進むに従って、彼の激情が赴くままの行為にもどこかしら物悲しいものが漂いはじめるのだ。
 彼をそうして描き出すうえで、芸人と対比させた点もまた巧い。王として傍若無人に振る舞っているように見えながら、しかし燕山君は聖君と謳われる先王の評判に囚われている。何を提案してもどう行動しても比較される状況は、実のところあまりに不自由であり、彼の暴虐はそうした状況に対する激烈な反動であったとも解釈できる。そうして狂気に身を浸しつつ懸命に刃向かうさまは、結局道化に過ぎないのだ――自ら滑稽を装い、意図的に笑いを誘う芸人よりもよほど惨めとも言える。燕山君がコンギルという女形に惹かれたのは決して色狂いの発露ではなく、そうした背景があったようにも窺える。
 詰まるところ、徹底して練り込まれた悲劇である本編は、チャンセンとコンギルが道化芝居を演じながらも、終始緊迫感が途切れず、最後まで持続する。そのうえ、チャンセンたちの演じる芝居の下品さや、燕山君の苛烈な懲罰や周囲で起きる事件の惨たらしさにも関わらず、一種の気品にも似た空気を纏っている。誰もが必死であるからこそ、の悲劇であり、凛々しさであるのである。
 クライマックスに至って、物語はやや奇妙な展開を迎える。一見死んだように見えた人物が再登場したり、あまりに安易に突飛な行動を容認している気配があるのが不自然であり、ラストのひと幕のために些か情緒過多にしすぎた印象を齎すが、しかしこれは最後の最後で、寓話としての色彩を強調しつつ、美しき悲劇を美しいまま締めくくるための――道化としてその命を終える彼らへの餞とも言えよう。だからこそ、やや不自然な成り行きにも拘わらず、物語の結末にその最後のワンショットがきっちりと嵌る。浮かべた笑顔の奇妙な清々しさも、違和感なく物語の結末を彩ることに成功しているのである。
 粗筋だけ追えば、王によって運命を弄ばれた者たちの話と見えるが、実は燕山君自身が、より幼いころからこの悲劇の渦に巻き込まれた犠牲者だった、と物語は訴えている。つまりは、王という肩書きに翻弄された道化たちの悲劇なのだ。
 安易な勧善懲悪に陥ることなく、ドラマとしてのダイナミズムを守り通しながら、公平な眼差しで悲劇を織りあげた、良作である。本国では大ヒットを遂げ、各国の映画祭でも賞賛を浴びているようだが、なるほどと頷ける1本であった。

(2006/12/22)


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