cinema / 『ノックアラウンド・ガイズ』

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ノックアラウンド・ガイズ
原題:“KNOCKAROUND GUYS” / 監督・脚本・製作:ブライアン・コペルマン&デヴィッド・レヴィーン / 製作:ローレンス・ベンダー / 製作総指揮:スタン・ブロドコフスキー / 撮影:トム・リッチモンド / 美術:レスター・コーエン / 編集:デヴィッド・モリッツ / 衣装:ベス・パスターナウ / 音楽:クリント・マンセル / 出演:バリー・ペッパー、ヴィン・ディーゼル、セス・グリーン、アンドリュー・ダヴォリ、ジョン・マルコヴィッチ、デニス・ホッパー、トム・ヌーナン、ショーン・ドイル、ケヴィン・ゲージ / 配給:日本ヘラルド
2002年アメリカ作品 / 上映時間:1時間32分 / 日本版字幕:岡田壯平
2003年09月20日日本公開
公式サイト : http://www.n-guys.com/
銀座シネパトスにて初見(2003/10/01)

[粗筋]
 マフィアの副頭領の息子に生まれついてしまったのが運の尽きだった。野球のプロモーターを志望していたマティー・デマレット(バリー・ペッパー)だったが、父親がベニー・チェインズ(デニス・ホッパー)であると知れるたびに門前払いを受け、ブルックリン周辺の関係会社すべてに断られてしまった。マティーは結局堅気でやっていくことを諦め、マフィアの一人として生計を立てることを決意する。
 最近は極道家業も容易ではない。友人でみかじめ料の取り立てを生業にしているテイラー(ヴィン・ディーゼル)も、レストランの運営ぐらいしか任されていないクリス・スカルパ(アンドリュー・ダヴォリ)も、それぞれに鬱屈を抱えている。ベニーの片腕で、ベニーが刑務所入りしているときマティーの面倒を見ていたテディ・デザーヴ(ジョン・マルコヴィッチ)も、近頃は見かじめ料を入れる店が少なくなったと嘆いていた。ベニーの上にいる大ボスに金を渡さねばならない時期が近づいているのだが、十分に揃っておらず、遠方の身内から一時的に借り出さないといけない。
 マティーは渡りに船とばかり、運び屋の仕事に立候補した。もはや堅気でやっていくのは難しく、ならばマフィアの一員として親父や仲間たちに認められるほかない、と思ったのだ。12歳のとき、ベニーを警察に売った男に対して引き金を引けなかった、という過去があるマティーにこの仕事は勤まらない、とベニーは難色を示すが、テディの勧めと「車ではなく空路を使う」というアイディアにようやく首を縦に振った。
 実際の仕事に使ったのは、クリスの従兄弟でやはりマティーの古い仲間ジョニー・マーブルス(セス・グリーン)。セスナ機のパイロットをしているが、麻薬中毒でまともな仕事に使われていなかった男だった。十ヶ月薬断ちしている、という言葉を信じてマティーはこの友人に命運を託した――だが、順調に思われた移動中、緊張感に耐えきれずジョニーはわずかだが薬の魔力に身を委ねてしまう。
 自宅で不安と戦っていたマティーのもとに齎されたのは最悪の報せだった。給油のために田舎の小さな空港に立ち寄ったジョニーは、偶然居合わせた保安官の姿に取り乱し、大金の詰まったバッグを紛失する、というヘマをやらかしたのだ。マティーはテイラーとクリスを伴ってウイボウという小さな町に向かう。
 テイラーの腕力を武器に、掠め取った人間のあぶり出しにかかるマティーたちだったが、失策をしでかした彼らを上の人間が許すはずがなかった。マティーたちの動向に地元の保安官も目を光らせ、小さな町を舞台に一触即発の暗闘が始まった……

[感想]
 しつこいようですが、主演はヴィン・ディーゼルじゃないんです。マフィア幹部の息子を演じたバリー・ペッパーのほうなんです。
 とはいえ、人物としての力強さはヴィン・ディーゼルのほうに軍配が上がる。タフガイになることを願って自ら500回のストリート・ファイトを戦い抜くことを誓って実際に成し遂げてしまった、腕力と知性を兼ね備えた男。同時に、マフィアの息子ながら堅気になることを望んでいた友人を気遣い、トラブルに当たっては進んで力添えしようとする男気のあるキャラクターを完璧に演じて、あのジョン・マルコヴィッチに引けをとらない存在感を示している。ポスターで大きく中央に配したり、劇場で販売しているプレスシートの見開き背景にどんと載せたり、という扱いはさすがに違うと思うが。
 内容そのものにこれといった目新しさはない。基本的な筋立てはシンプルだし、スタイルの原型は監督・脚本担当のコンビが言及するとおり往年のギャング映画とウエスタンにあり、また私見だが昨今のイギリス製ギャング映画に見られるスピード感・リズム感からも多大な影響を受けていると感じる。
 本編を特色づけている点のひとつは、そうした従来のものにアメリカの現代的感覚を自然に取り入れたことだろう。往年のギャング映画のように、マフィアの誰もがフォーマルな衣装に身を包んでいるわけでも、全員がフランク・シナトラの歌声に涙する時代ではなく、若者はラフな服装をしているし、主に耳にするのはヒップホップなのだから、いま真面目にギャング映画を作るなら後者を選ぶべきなのだ。加えて、昨今はアメリカの治安状況も改善し、組織犯罪への対策も広がりを見せつつある。そんな中では思う様に見かじめ料が回収できず、資金源に悩むのもごく自然ないきさつだ。こういう当たり前の側面を、きちんと過程を踏まえた上で描写しているから、骨組みは有り体ながら新鮮に映る。
 加えて、そうして如何にもギャング映画らしい素材を揃えながら、やっていることがいちいち間抜けでコミカルなのも趣向として面白い。そもそもの運搬役がいちばん馬鹿なので、事態はひたすら悪い方へと転がっていく。駆け引きの舞台となるウイボウという町を最初こそ侮っているが、バーにはテイラーが管理していた店よりも沢山のゲーム機が揃っていたり、網にかかる人間同士にいちいち繋がりがあったりと思うようにならない。しまいには上の人間も乗り出してきて、と瞬く間に大騒動に発展していく様は、当人たちにとっては深刻だが観ている側にしてみると楽しくて仕方ない。
 様々な出来事や要素が終盤できっちり収束する様も見事。単純な筋書きからやや意想外の、しかしここしかないというところへうまく着地している。
 惜しむらくは、そのシンプルさとシャープさが災いしてこぢんまりと纏まってしまったことだろう。よく出来ているが、小品という印象は否めない。往年のギャング映画よりも、近年のイギリス・ダウンタウンを舞台にした作品など、ポップな感覚を交えたノワールを好んで鑑賞するような方にお勧めする。あの『トリプルX』のヴィン・ディーゼル主演、という目で観に行くと、色んな意味で肩透かしを食らいます。

 題名の『ノックアラウンド・ガイズ』は作中の字幕から推測するとマフィア連中の使いっ走りの意。全編にシニカルな味わいのある本編だが、最もきついのは、一人前になるための大仕事が客観的にはただの使いっ走りに過ぎないだ。それを象徴するいい題名だが……良すぎて他に邦題をつけようがなかったんでしょうね。

(2003/10/02)


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