cinema / 『炎のメモリアル』

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炎のメモリアル
原題:“Ladder 49” / 監督:ジェイ・ラッセル / 脚本:ルイス・コリック / 製作:ケイシー・シルヴァー / 製作総指揮:アーミアン・バーンスタイン、マーティ・イーウィング / 撮影監督:ジェームズ・L・カーター,A.S.C. / プロダクション・デザイン:トニー・バロウ / 編集:バド・スミス,A.C.E.、スコット・スミス / 衣装:ルネ・アーリック・カルファス / 視覚効果監修:ピーター・ドーネン / 音楽:ウィリアム・ロス / 音楽監修:ジョン・ビゼール / 主題歌:ロビー・ロバートソン“Shine Your Light” / 出演:ホアキン・フェニックス、ジョン・トラヴォルタ、ジャシンダ・バレット、モリス・チェスナット、ロバート・パトリック、バルサザール・ゲティ、ジェイ・ヘルナンデス、ビリー・バーク / ビーコン・ピクチャーズ&タッチストーン・ピクチャーズ製作 / 配給:東宝東和
2004年アメリカ作品 / 上映時間:1時間56分 / 日本語字幕:松浦美奈
2005年05月21日日本公開
公式サイト : http://www.honoo.jp/
VIRGIN TOHO CINEMAS 六本木ヒルズにて初見(2005/05/26)

[粗筋]
 消防士ジャック・モリスン(ホアキン・フェニックス)がボルティモアの消防局に職を得たのはおよそ十年前。彼が配属されたのは、マイク・ケネディ(ジョン・トラヴォルタ)が所長を務める出張所。祖父の代からの消防士で、出張所を半ば我が家のように占拠しているマイク以下の隊員たちはいずれもジャックを快く受け入れた。特に兄弟で入隊しているゲクインの兄デニス(ビリー・バーク)と意気投合し、親友と呼べる仲になる。やがて伴侶となる女性リンダ(ジャシンダ・バレット)と出会うきっかけを作ったのも、結果的にはデニスだったのだ。
 ジャックはポンプ隊の一員として経験を積んでいき、やがてリンダと所帯を持ち家庭にも恵まれる。ふたたびの転機のきっかけを与えたのは、またしてもデニスであった――老朽化したアパート火災での救助活動のさなか、デニスは屋根の崩落に巻き込まれ、命を落としたのである。かねてからハシゴ隊への転属を考えていたジャックは、この事故を機にマイクに希望を打ち明ける。自分に向かないと思ったら、すぐに言え――そう誓わせて、マイクはジャックの要望を承諾した。
 だが、ジャックの配置換えはリンダに心痛を齎した。彼女はふたりの子供をお腹に宿している。やがて増える家族のためにも、夫に危険を顧みて欲しかった。そんな彼女にジャックは、「でも今日、ぼくは人の命を救ったんだ」と応える。
 それから数年、幸いにもジャックは大きな怪我を負うことなく、順調に任務を果たしてきた。子供はふたりとなり、数ヶ月で結婚の破綻してしまったマイクの協力もあって円満な家庭を築いた。
 ある日、発電所の火災現場にマイクらと共に赴いたジャックは、入隊以来の仲間であるトミー(モリス・チェスナット)が事故により目の前で大怪我を負うさまを目撃する。搬送が手早く行われたお陰で一命を取り留めたトミーだったが、真正面から蒸気の直撃を受けたトミーの顔は焼け爛れ、無惨な有様になっていた。病床に横たわりながら、子供達と顔を合わせることが出来ない、と嘆く彼を慰めるジャックだったが、その彼自身のなかにも確実に迷いが兆していた。救助のとき両手に負った怪我を見て、「もう怪我しないで」と訴える息子を前にして、いまの仕事を続けていていいのか悩むジャック。異動により出張所から本部に移っていたマイクはそんな彼に、しばらく現場を離れてみるか、と提案する……

[感想]
 いつもより粗筋が短めなのは、あまり書くことが見つからないからです。
 話は至ってシンプル、ある消防士の成長と、死に直面する仕事であるがゆえの葛藤とを描くということに尽きる。そこに格別な謎もなければ、丁寧な伏線に基づく捻りがあるわけでもなく、多少なりともフィクションずれした観客が見れば早い段階から展開の想像はつく。
 だが、だからと言って単純すぎると責めるのは早計に過ぎるだろう。いわばこれは、ある平均的な――しかし水準よりも若干多めの情熱を胸に宿した消防士の成長を追っていったドキュメンタリー調のフィクションであり、全体としての筋よりも細部の描写を味わい、評価するべき作品だ。
 但し、その意味でも若干の物足りなさはある。登場人物がみな基本的に類型で、突出したところがない。仲間同士が酒を酌み交わし気楽に過ごしている様子、任務の最中の動作などに個性をきちんと盛り込んでいる様子は窺えるが、それが物語を盛り上げるわけでも紆余曲折を生み出しているわけでもない――強いて言うならデニスの猪突猛進ぶりと思慮の乏しさは、最初の悲劇の遠因として機能はしているのだが、その程度は常套手段であって格別取り沙汰する必要もない。
 しかし、類型的であるからこそ却って物語の世界に入りやすい。類型的であることが親しみやすさ、こんな人物なら身近にもいる、と感じさせることにも繋がり、感情移入がしやすいのだ。デニスの死に際して、仲間たちがそれを不慮の事故とするかデニスの不注意に起因するかで揉める一場面があるが、ここで敢えて疑義を呈する人物がいることで観客の胸中にも生じているはずの疑問を代弁する格好となり、登場人物たちが抱える内的葛藤に観客を巻き込んでいく契機の役割も果たしている。シンプルであざといが、しかし実に計算された描写とも言える。
 納得のうえで鑑賞していると、人の心を揺さぶるツボをよく弁えているのが解る。序盤では経験を通じて堅牢になっていく仲間たちとの絆を見せ、子供の誕生と親友の死を並行させ、子供の成長と比例して肥大化していく危険に対する恐れを描き、そして胸を打つクライマックスへ。余計な捻りを加えていないからこそ、直球で突き刺さってくる。
 本編のために書き下ろされたという主題歌を字幕付きで流し(字幕がついたのはあくまで日本の観客への配慮だとは思うが)これでもかとばかりに感動的なシーンが重ねられていくラストシーンは、私のようにいささかすれた観客からするとあざとく感じられるのだが、しかし一方で素直に胸が震えたことも否定できない。
 そういう反応を起こさせたのは、CGや視覚効果といった紛い物ではない炎の迫力と、決して手は込んでいないがしかし堅実にそれぞれの役柄を果たした脇役陣も当然ながら、主演のホアキン・フェニックスの若き消防士が乗り移ったような演技、重鎮ジョン・トラヴォルタの説得力ある言動、そんな彼らが本式の訓練を受けて炎に挑んでいったことが大きいのだろう。
 奇を衒わないからこそ、曇りのない感動を呼び起こすことが出来る。傑作と呼ぶにはあまりにもストレートすぎるけれど、記憶に残る一本だと思う。映画で泣くことをお望みであれば、かなりの確率で応えてくれるに違いない。

(2005/05/27)


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