cinema / 『レイクサイドマーダーケース』

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レイクサイドマーダーケース
原作:東野圭吾『レイクサイド』(実業之日本社・刊) / 監督:青山真治 / エグゼクティヴ・プロデューサー:亀山千広、宅間秋史、小岩井宏悦 / プロデューサー:仙頭武則 / プロデューサー補:佐藤公美 / 脚本:深沢正樹、青山真治 / 撮影:たむらまさき、池内義浩 / 照明:中村裕樹 / 録音:菊池信之 / 美術:清水剛 / CGIプロデューサー:坂美佐子 / 特殊造形:松井祐一 / 音楽プロデューサー:松尾潔 / 音楽:長嶌寛幸 / エンディングテーマ:MEJA『Simple Days 〜 Walking The Distance』 / 制作:ランブルフィッシュ / フジテレビジョン製作 / 出演:役所広司、薬師丸ひろ子、豊川悦司、柄本 明、鶴見辰吾、杉田かおる、黒田福美、眞野裕子、牧野有紗、杉田将平、馬場 誠 / 配給:東宝
2004年日本作品 / 上映時間:1時間58分
2005年01月22日公開
公式サイト : http://www.lakeside-mc.com/
日比谷スカラ座2にて初見(2005/01/22)

[粗筋]
 アートディレクターの並木俊介(役所広司)は仕事をひと段落させたあと、車を走らせ急ぎ姫神湖畔にある別荘に駆けつける。別居中の妻・美菜子(薬師丸ひろ子)の連れ子である舞華(牧野有紗)が名門である修文館中学の受験を控えて、親しい親たちとともに家族面接も想定した合宿を行うことになり、試験官の心証を良くするために俊介は別居中であることを隠して参加するよう美菜子に頼まれていた。初日早々遅刻した俊介を美菜子は詰るが、子供に無理をさせてまで受験に追いやることに疑問を感じている俊介は、いきなりの面接練習の場でも試験官役である塾の講師・津久見 勝(豊川悦司)に率直な言葉を投げつけ、軽い顰蹙を買ってしまう。
 そこへ、俊介が仕事で付き合いのあるカメラマン・高階英里子(眞野裕子)がやって来た。俊介に仕事の忘れ物を届けに来た、と称する彼女はそのまま津久見らに引き留められる格好で子供達を交えた夕食の席に加わるが、実は俊介の浮気相手でもあり、帰り際に姫神湖畔にあるレイクサイドホテルで午後十時に、という言葉を残していった。
 悩みながらも、妻や他の参加者には至急の仕事が出来たと嘘を吐いて俊介は出かける。しかし、待てど暮らせど英里子がやって来る気配はない。そのあいだに英里子が仕事の資料と称して届けた写真に目を通してみると、そこには仕事用のものに混ざって、何故か盗み撮りしたと思しい喫茶店にいる美菜子と津久見の姿が写った写真があった。
 急用が無くなった、と携帯電話で知らせて別荘に戻った俊介は、そこで信じがたいものを目にする――リビングで、頭を叩き割られ骸となった英里子と、その前で途方に暮れる四人の大人達、そして「彼女を殺したのはわたし」と罪を認める妻の姿。
 あなたがこんな人を連れてこなければ、と詰る関谷孝史(鶴見辰吾)たちに、俊介は美菜子と共に土下座して詫びる。だが、そんな彼らを年長の藤間智晴(柄本 明)は諫めた。こんな風にやり合っていても得策ではない、ここは子供達のためにも「なかったこと」にしませんか、と。
 つまり、藤間は死体を捨てて殺人事件そのものを隠蔽しよう、と提案しているのだ。あまりにもあまりな提案に憤る俊介だが、お受験合宿に集まったところで発生した殺人事件となれば世間の耳目を惹くのは確実で、そうなれば子供達は無論親たちも社会的な地位を棒に振る結果となる。美菜子にも散々詰られた俊介は、遂に隠蔽工作に協力することを受け入れた。
 死体をテーブルクロスで包み、湖に運んだあとで身許特定の要素となりうる指紋を焼き、歯を砕き、顔を破壊して湖に沈める。英里子の荷物を調べ、レイクサイドホテルに部屋を取っていることを知ると、姫神湖で失踪したという状況を覆すために美菜子を身代わりとしてホテルに届け、高階英里子としてチェックアウトさせ、荷物を東京の英里子の部屋に戻す……隠蔽工作は粛々と進められた。だがその傍らで、俊介は妻と親たちの言動に不審を抱き始めていた……

[感想]
 原作は近年、『白夜行』『さまよう刃』など重厚なテーマを扱った作品を多く著し、ミステリ界に留まらず評価の高い東野圭吾氏が2002年に発表した作品『レイクサイド』である。テーマ同様に厚みのある作品が話題になることの多い著者だが、この作品は手頃な厚みに別荘を舞台とした特殊な閉鎖環境における謎解きを志向した、いわば東野氏のもうひとつのスタイルに添った作りとなっている。それだけに『秘密』などの作品と比べると映像化にはやや不適当ではないか、と映画鑑賞に先駆けて原作を読む前までは思っていた。
 が、原作は現代社会の病理と言えるテーマを盛り込んでおり、映画版ではそこを軸に脚色を施している。登場人物や設定に若干の捻りを加えつつ、大筋でのストーリー展開を温存して、そのままではやや映像的な見せどころに乏しい原作に華を添えながら、テーマを深めることに成功している。
 原作は登場人物の外見や背景に深く言及していないが、そこを映画版では現実味のある形で掘り下げている点にも好感を覚える。主人公となる並木夫妻の子供を男の子から女の子にしている点は、子供同士の合宿を設けるにしてはやや妙な変更と感じたが(但し、関谷の妻・靖子(杉田かおる)を美菜子のかつての同級生と強調することでやや不自然さを補ってはいた)、年を取ってから子供を授かったと思しい藤間夫妻の子供はいかにも厳格に育てられたらしいスリムで繊細な表情をしており、逆に若くして成功したと思われる関谷夫妻の子供は肉付きが良くどこか頼りない雰囲気だ。並木舞華にしても、血の繋がらない父と実の母との不和に苦しみつつもふたりを慕っている様子をきちんと表現しており、リアリティを増している。
 展開を削った代わりに増やされた並木夫婦の口論や他の親たちとの対決場面が、作品全体に心理的な緊迫感を増すと共に、原作では苦い余韻を留めつつもわりと丸く収まっていた結末を更に異様で不穏な空気を醸しだすものにしていることも、原作のテーマを敷衍しつつ拡張したものとして評価したい。何箇所か微妙な改竄も認められるが、それとて説明されていない部分と重ね合わせて熟考していくと、更に厭な背景や“その後”が想像され、テーマの内包する問題やどす黒い部分が誇張されていく。きちんと原作を理解したうえで、尺に収めつつ娯楽としても成立するようによくよく配慮した脚本で、直前に原作を読んでいただけに余計に唸らされるところが多かった。
 意味の解らないカメラの移動や、敢えて処理しきらない情景描写を随所に挿入した演出も興味深い。前者は特に並木夫妻が口論する場面で顕著に使用され、両者の感情の揺れがスクリーンを介しても生々しく伝わってくる。後者の最たるものは湖に死体を沈め、岸に戻っていくボートを写したワンシーンだろう。明らかに意味はないのだが、登場人物たちの背後に今後もつきまとうであろう“何か”を想起させてひたすらに不気味だ。
 そして役者たちの堅実で説得力のある演技が素晴らしい。とりわけ、殺人を告白しながらも我が子のために夫を隠蔽工作に駆り立てる並木美菜子を演じた薬師丸ひろ子の迫力が凄まじかった。
 原作に惚れた人間としては、ラストシーンで重要な役割を果たすあるシチュエーションが切り刻まれ、ほんの僅かにあった快さを切り捨てられてしまったのが残念だったが、そのお陰で解き明かされていない闇の部分がいっそう色濃くなり、テーマの追求という意味では原作よりも更に深いところへ到達した趣がある。原作も秀作だが、それを深めつつ娯楽としての完成度も温存した本編、かなり秀逸である。小説の映画化、特にミステリの映像化作品にはあまりいい想い出がないという方にも安心してお薦めできる。

 まったくの余談。
 作中、英里子のふりをしてホテルをチェックアウトした美菜子を俊介と藤間が出迎えるシーンがあります。ここで藤間が美菜子に対して行動を確認したあと、こんなことを言います。
「ブンダバ。素晴らしい」
 ……おまいは西川魯介か、とツッコミたくなりました。藤間は医師という設定なので、こういう台詞を入れたのでしょうけど。

(2005/01/22・2005/01/23追記)


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