cinema / 『ラストシーン』

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ラストシーン
英題:“LAST SCENE” / 監督:中田秀夫 / エグゼクティヴ・プロデューサー:Sungykyu Cho / プロデューサー:Mathew Jacobs、一瀬隆重 / 原案:一瀬隆重 / 脚本:中村義洋、鈴木謙一 / 音楽:ゲイリー芦屋 / 編集:高橋信之 / 出演:西島秀俊、若村麻由美、麻生祐未、ジョニー吉長、麻生久美子 / 製作:DIGITAL NEGA / 製作協力:JAGO ENTERTAINMENT / 配給:オズ+オムロ
2002年日本作品 / 上映時間:1時間40分
2002年11月09日公開
2003年04月25日DVD版発売 [amazon]
公式サイト : http://www.omuro.co.jp/lastscene/
劇場にて初見(2002/11/26)

[粗筋]
 1965年、日本の映画業界は斜陽を迎えつつあった。撮影所では年間100本を超える作品が作られ活気を示していたが、最盛期の1960年から僅か五年で国内の映画館が5000を割り、動員人数が4億を切り、制作者側には焦りが色濃くなりつつあった時代だった。
 そんな中、一人の花形女優が引退を表明した。吉野恵子(麻生祐未)は三原 健(西島秀俊)とのコンビで16本の作品に主演したが、結婚を期に銀幕を退く決意を固めたのだ――恵子が最後の撮影を終え、引退に関するインタビューの席に並んだ三原は、その場で自分の次回作が後輩の若手スター主演に変更されていた事実を知り、上層部に抗議する。しかし、三原を恵子とセットで考えていた制作者側は、今後三原を敵役で起用することを考えていた。ならばここを出て別の映画会社か独立プロダクションと契約する、と捨て科白を残す三原だったが、絶望感は否むべくもない。いつの間にか控え室を訪れていた妻・千鶴(若村麻由美)に八つ当たりまでする始末だった。
 腹いせに新人女優を口説こうとするも上手くいかず、最後の撮影を前に苛立ちを隠せない三原は、頭上から誤ってスパナを取り落とした照明助手を殴り飛ばす。そのとき、三原は撮影所内にいるはずのない千鶴の姿を見て――やがて訪れた一人の男が、驚くべき事実を告げた。千鶴は今朝、交通事故により急逝したというのだ――
 ――それから35年、2000年の同じ撮影所。
 かつての活況も既に遠く、閑散としたスタジオを利用するのはテレビ局、それも高視聴率を稼いだとは言えどこかいい加減な作りのドラマの映画版が主流となり、撮影本数も目に見えて激減していた。そんな数少ない映画のひとつ、『ドクター鮫島 THE MOVIE』の撮影現場に小道具係として参加するミオ(麻生久美子)は、映画撮影に不慣れであまりにいい加減な指示しかしない監督やプロデューサーたちの態度に、嫌気を感じはじめていた。
 そんななか、不治の病に罹った老人役が急遽降板し、代わりとして一人の痩せこけた老人がスタジオを訪れた。それは、35年前に妻を亡くしたことを契機にアルコール中毒を悪化させ、人々も知らない間に銀幕から姿を消していたかつてのスター俳優・三原 順(ジョニー吉長)だった。

[感想]
 骨格には新奇なところなどひとつもない。オーソドックスなヒューマンドラマに、映画業界と怪談的な要素で肉付けしただけである。だが、その描き方が非常に上手い。興行的なことは別として、本数や質の上では活況を呈していた撮影所の生き生きとした姿と、近年の衰微した映画界を象徴する寂しい姿との対比。1965年当時と2000年現在共通で登場する人々の繊細な描き分け。同じようなシチュエーションを、それぞれの時代風俗に合わせて挿入している手管も巧い。
 ただ難だったのは、断片でさえも魅力的な1965年の作中作『愛の果て』に対し、2000年の作中作『ドクター鮫島 THE MOVIE』が、いかにいい加減な作りという設定であっても、キャラクターもお話も極端なまでに粗雑だったことだ。いちおうテレビ放映で高視聴率を獲得したシリーズの映画化、という設定なのだから、それなりの魅力は付与してほしかったところだ。
 しかし目立つ瑕疵はこのくらいで、あとは非常にツボを心得た作品となっている。物語上の仕掛けで特に感心したのは、『クラクション』である。どの辺に感心したのかは、御覧になって判断していただきたいところだが……この点を評価するのはもしかしたらあまり一般的な感性じゃないかも知れない。
 そしてなによりも素晴らしいのは、過去と現代双方の「三原健」を演じた2人の役者である。1965年の三原役・西島秀俊は揺らぎつつある映画業界に対処しきれず自分を見失っていくスター俳優を容姿においても内面においても見事に再現している。2000年の三原役・ジョニー吉長は撮影に当たって10kgの減量を行い峻烈な容貌で登場し、凋落したスターの孤独な生き様を感じさせる重厚な演技を披露した。過去の物語をも吸収し昇華させる現代編で三原をまさに怪演しきったジョニー吉長にどうしても注目してしまうが、その下地を必要十分なテンポで表現してみせた西島秀俊も高く評価したい。
 邦画へのノスタルジーに満ちた内容だが、行き届いた細工と伏線によって嫌味なくドラマを成立させている。邦画のみならず、映画を愛する人は必見、と言い切ろう。……これを書いている時点で劇場での公開は(私が把握している限り)数日を残すのみなのが悲しい。

 奇しくも今年は、全盛期の邦画業界、引退した俳優、そうしたものへの憧憬とオマージュとを籠めた作品がもう一本公開されている――但し実写ではない。『千と千尋の神隠し』とともに様々な賞に輝いた話題作『千年女優』である。アプローチは大きく異なるし、決着も正反対と言っていい(『千年女優』が内側に向かう結末であるなら、『ラストシーン』は外側に向いた決着と言おうか)。邦画の衰退が叫ばれて久しいが、こういう作品が作られているあたり、そんなに捨てたもんじゃないように思えてくる。

 なお中田監督は本編を、「デジタル・ビデオを使って撮影してほしい、内容は自由」という依頼に基づいて制作したという。そうして作ったものがこのよーなアナログ時代への憧憬を詰めまくった物語だというあたり、実に愛すべきひねくれ者ではないか。どうしても『女優霊』『リング』のヒットが先に浮かんでしまうが、今後も一筋縄ではいかない仕事を期待したい。

(2002/11/27・2003/12/31追記)


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