cinema / 『ライトニング・イン・ア・ボトル 〜ラジオシティ・ミュージック・ホール 奇蹟の一夜〜』

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ライトニング・イン・ア・ボトル 〜ラジオシティ・ミュージック・ホール 奇蹟の一夜〜
原題:“Lightning in a bottle” / 製作総指揮:マーティン・スコセッシ / 監督:アントワン・フークア / 音楽監督:スティーヴ・ジョーダン / 撮影:リサ・リンズラー / 出演:アンジェリーク・キジョー、メイヴィス・ステイプルズ、デヴィッド・ハニーボーイ・エドワーズ、ケブ・モ、ジェイムス・ブラッド・ウルマー&アリソン・クラウス、インディア.アリー、オデッタ、ナタリー・コール、ラリー・ジョンソン、バディ・ガイ、ルース・ブラウン、メイシー・グレイ、クラレンス・ゲイトマウス・ブラウン、キム・ウィルソン、ボニー・レイット、ジョン・フォガティ、ジョン・ハモンド、スティーヴン・タイラー&ジョー・ペリー(エアロスミス)、ザ・ネヴィル・ブラザーズ、シェメキア・コープランド、ロバート・クレイ、デヴィッド・ヨハンセン&ヒューバート・サムリン、ソロモン・バーク、ヴァーノン・リード、チャックD&ファイン・アーツ・ミリティア、B.B.キング / 配給:日活
2004年アメリカ作品 / 上映時間:1時間49分 / 日本語字幕:石田泰子
2005年03月19日日本公開
公式サイト : http://www.nikkatsu.com/movie/lightning/
渋谷シネマライズにて初見(2005/04/01)

[粗筋]
 ブルースの起源は必ずしも明確ではないが、W.C.ハンディというシンガーが楽譜を作成し著作権登録を行ったのが1903年であったという。2003年、世にブルースが認知されて百周年を祝して様々なイベントが開催された。特に気を吐いたのは音楽への造詣の深さでも知られる映画監督マーティン・スコセッシが旗振りを行った、“The BLUES MOVIE Project”と題された一連のドキュメンタリーである。ヴィム・ヴェンダース、マイク・フィギス、更にクリント・イーストウッドまで、音楽に対する愛と情熱とを備えた監督たちがそれぞれのスタンスから製作した作品群はブルース・ファンの枠を飛び越えて話題を振りまいた。
 そのプロローグとなったのが、2003年2月7日、ラジオシティ・ミュージック・ホールで開催されたスペシャル・コンサート“A Salute to The Blues”であり、アントワン・フークア監督の手によって一連のドキュメンタリー企画の掉尾を飾る一本として編集された本編である。B.B.キングにソロモン・バーク、ルース・ブラウンといった重鎮からメイシー・グレイ、ボニー・レイット、チャックDといった中堅・若手に至るまで、「電話帳の〈ブルース〉の欄に載っている人間を全員集めた」ような豪華な演奏家たちが集う。ここでも製作総指揮の立場に就いたマーティン・スコセッシによる主旨の説明のあと、映像に重ねられたこんな台詞が紡がれる。
「同胞を奪い去られ、太鼓も取りあげられた。しかし、たったひとつだけは奪うことは出来なかった――わたしたちの“声”だけは」
 黒人音楽の遥かなるルーツであるアフリカの血を引くアンジェリーク・キジョーの透明でエモーショナルな声が歌い上げる西アフリカの伝統楽曲“Zelie”から、映画は本格的に始まる……

[感想]
 粗筋というか解説ですが、本当に基本はコンサートの再編集のみなので粗筋などというものが存在するはずもなく。
 いちおうドキュメンタリーという体裁ながら、基本は五時間を超えたというコンサートを再編しながら映画館で再現しようというスタイルと言っていい。合間合間に出演者のインタビューやリハーサル風景が挿入され、沿革やコンサートが形になっていく様子も描いているが分量は控え目で、あくまで絢爛たるミュージシャンたちの演奏を見せていくことが中心になっている。
 ブルースの歴史を辿るという主旨に従って、実際のステージ上に設けられたスクリーンに映った映像などをオーバーラップさせることはあるが、ほかに特殊な視覚効果はほとんど用いず、飾り気のない映像が続く。震える喉や大きな身振り、その都度に飛び散る汗を丁寧に追う画面は劇場にいながら実際のステージに立ち会っているような気分を味わわせる。緻密に計算されたと思われる音響もあって、臨場感は凄まじいものがある。
 だがそんな小理屈を凌駕して観るものを魅了するのは、全篇これハイライトと言っていい出演者たちのパフォーマンスの数々である。冒頭のアンジェリーク・キジョーの野趣と清澄さを併せ持ったヴォーカル、デヴィッド・ハニーボーイ・エドワースやクラレンス・ゲイトマウス・ブラウンらベテラン・ギタリストの渋い演奏、性も時代も超越するルース・ブラウンの厚みのある歌唱、そして掉尾を飾るB.B.キングの貫禄のステージング、等々、見所にはまるで事欠かない。全篇で高いテンションが持続するために、観ているこちらの体力が削られて、中盤を過ぎる頃には疲れ果ててしまうのが逆に欠点になっているくらいだ。
 ブルースの歴史などには疎い私だが、それでも本編の演奏には終始唸らされた。特に目を惹かれたのはメイシー・グレイとソロモン・バークである。
 前者はまだ三十代の若手だがマーカス・ミラーやファットボーイ・スリムらのアルバムに参加したり、日本のTVCMでクイーンの名曲をカヴァーしたりとジャンルの枠を超えて活躍しており、その「ビリー・ホリデイが大声で歌っているだけ」と言われるハスキー・ヴォイスに聞き覚えのある人も少なくないのではないか。本編では彼女のパートのリハーサル風景が挿入されていたが、一見無関心な態度でいて表情にはあからさまな緊張が認められ、ステージの監修を務めたスティーヴ・ジョーダンの言葉にも上の空で応えていたように見える。だが、場面が一転本番に移ると、見事なパフォーマンスでジョーダンの要望に完璧に応えているのだ。若手ながらまさに“魂”を感じさせる演奏っぷりで、アントワン・フークア監督が最大の見所と言い切るのも納得である。
 そしてもうひとりのソロモン・バークは1960年代から活躍し、ミック・ジャガーなどにも多大な影響を与えた大ベテランであるというが、私がはっきりとその音楽を聴いたのはこれが初めてだった。体調に問題があるのか、椅子に座ったままの演奏だったが、しかし声の艶と迫力は若手や矍鑠としたベテランたちと比較してもまったく遜色がない。それどころか、座ったままでも観客をじわじわと盛り上げていく手腕は、名演ばかりの本編の中でも出色だった。座ったままの登場だったからこそ、興奮したように立ち上がった瞬間に会場は沸騰する。そうしたことを計算を感じさせずにやり遂げるのは、“牧師”という肩書きをも備える彼ならではかも知れない。冒頭、ベテランたちが楽屋で久々の再会を果たす場面において、あのB.B.キングがバークに対して、「君の歌唱法が会得できるなら、僕は今のスタイルを捨ててもいい」と言ったのも頷ける。
 実際のコンサートのようにミュージシャンと観客が一体になって盛りあがる、ということが出来ないため、観ている側としてはしまいに疲れる・飽きるという状態に陥ってしまう、ライヴ映像にありがちな欠点が拭われていないのは残念だが、往年の名曲をカヴァーすることでブルースの歴史を辿りつつ、決して郷愁にのみ浸ることなくブルースの本質を描き出そうとした演奏と、それを飾り気なく忠実に映像に刻みつけた演出はお見事。ブルースがよほど性に合わないという人でもない限り存分に楽しめる、音楽映画の名品である。
 なお、よくスタッフロールの途中で席を立ってしまう観客がいますが、今回は最後まで待つことをお薦めします――あの人が、ちゃんとオチをつけてくれますから。

(2005/04/02)


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