cinema / 『リトル・ミス・サンシャイン』

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リトル・ミス・サンシャイン
原題:“Little Miss Sunshine” / 監督:ジョナサン・デイトン&ヴァレリー・ファリス / 脚本:マイケル・アーント / 製作:マーク・タートルトーブ、デイヴィッド・T.フレンドリー、ピーター・サラフ、アルバート・バーガー&ロン・イェルザ / 製作総指揮:ジェブ・ブロディ、マイケル・ビューグ / 撮影監督:ティム・サーステッド,A.S.C. / 美術:カリーナ・イワノフ / 編集:パメラ・マーティン / 衣装デザイン:ナンシー・スタイナー / 音楽:マイケル・ダナ / 挿入歌:デヴォーチカ / 音楽監修:キム・デイヴィス−ワグナー、ジャスティン・バドリー / 出演:アビゲイル・ブレスリン、グレッグ・キニア、ポール・ダノ、アラン・アーキン、トニ・コレット、スティーヴ・カレル / ビッグ・ビーチ・プロダクション製作 / 配給:20世紀フォックス
2006年アメリカ作品 / 上映時間:1時間40分 / 日本語字幕:古田由紀子
2006年12月23日日本公開
公式サイト : http://movies.foxjapan.com/lms/
シネクイントにて初見(2007/02/23)

[粗筋]
 チビで幼児体型、視力が弱いので不格好な眼鏡をかけた、“美少女”という表現からはおよそ程遠いオリーヴ・フーヴァー(アビゲイル・ブレスリン)が夢見ているのは、ビューティ・コンテストで優勝すること。そのために、グランパ(アラン・アーキン)からオリジナルのダンスを伝授してもらい日々特訓に勤しんでいる。老人ホームに入ったものの、奔放な言動と麻薬の悪癖のために追い出された、開けっ広げなこの祖父が、オリーヴは大好きだった。
 そんな彼女にある日、忽然と朗報が届いた。以前に参加して、惜しくも予選二位に留まった“リトル・ミス・サンシャイン・コンテスト”で、予選に優勝した少女がダイエット薬品を使用したことで権利を剥奪され、オリーヴが繰り上がり当選となったのである。カリフォルニア州レドンド・ビーチにて決勝が開催されるのは、今度の日曜。
 困ったのは家族たちである。大黒柱リチャード(グレッグ・キニア)は超楽観的な成功論信奉者で、自らが提唱する“9段階プログラム”をエージェントに売り込み、その出版権で一挙に稼ぐことを目論んでいるが、そのために予算を注ぎ込み家計は逼迫しているのだ。行くなら時間的にも飛行機が最善だが、節約して車で向かうなら、もう翌朝には出発しなければ、とうてい間に合わない。
 一家のなかではいちばんの常識人である母シェリル(トニ・コレット)は、優勝の可能性は乏しくとも頑張った娘のために参加を実現してやりたいが、予算と同時に彼女は大きな問題を抱えこんでいた。シェリルの兄フランク(スティーヴ・カレル)は自称アメリカ1のプルースト研究家だったが、ゲイである彼はさきごろ元教え子である恋人をライヴァルの研究家に掠め取られ、更にはマッカーサー天才奨学金までも奪われ、自暴自棄になった挙句に自殺未遂を犯したのである。家はとうに追い出され、保険も適用されない兄をシェリルは夫の反対を押し切って保護したのだが、まだショックから脱していない彼をひとり家に残すわけにはいかない。
 リチャードは長男ドウェーン(ポール・ダノ)を一緒に置いていけばいい、と言うが、そのドウェーンは空軍パイロットを夢見、願掛けのためと称してこの九ヶ月いっさい口を利かなくなっている。実のところ家族全員を忌み嫌っているからこその抵抗であり、そんな父の無責任な言葉にも「ひとりにしておいてくれ」と筆談で反発する。シェリルはやむなく、空軍学校に入れてやる約束をして、ようやくフランクと共に同道することを約束させた。
 かくて、崩壊寸前の“負け犬”一家は不承不承ながら黄色いフォルクス・ワーゲン・ミニバスに乗り、我が家のあるアリゾナ州アルバカーキからカリフォルニア州レドンド・ビーチまでの長旅に出た。そうでなくてもギクシャクしていた彼らの旅路が、平穏に進むはずもなく……。

[感想]
 家族をテーマにしたコメディ映画、と簡単に表現してしまうと、人それぞれに持っている“ありきたり”のイメージが思い浮かぶだろう。だが本編は、間違いなくそうした“凡庸さ”からは隔たったところにある。
 家族のメンバーがそれぞれ個性的であるのは定石通りだが、本編の場合は全員が社会的に“落伍者”である点がまず特異だ。通常なら、個性的であれどわりと破綻のない暮らしを送っている面々にひとり混ざっている程度のそうした要素がほぼ家族全員に及んでいるので、差し迫った悲壮感と、それぞれに負の部分を嫌悪するがゆえの緊張感とが一同のやり取りに漂い、アメリカ製の家族ドラマに有り体な和やかさや賑やかさ、当たり障りのないユーモアといった部分が一切ない。まずこの点からして特異だが、しかもそれぞれの不幸にリアリティがちゃんと付与されているので、特殊だが浮ついた印象もないのが見事だ。些細な台詞にも丁寧な配慮が窺われ、それぞれの肉付けや性格付けが巧みなのである。
 これほど丹念にネガティヴな性格や状況を積み重ねれば、笑えない話になりそうなものだが、本編はきっちりと笑いに結びつけるばかりか、何故か序盤からしてさほどネガティヴな印象を受けない。登場人物と似たような経験がある者はいささか入れ込みすぎ、最初のうち笑えないかも知れないが、あまりにも度を超した不幸の応酬と、それらが絡みあって生じる滑稽さに、いつしか笑みを誘われるようになる。似たような境遇であれば自虐的な、他人事だとしても同情的な笑いを齎す手管が確立されている。
 このあたりは脚本の工夫に因る部分が大きい。細かに鏤めた要素を巧みに活かして、あとで笑いを齎す要素に造り替えてしまう――という技が随所で用いられている。特に見事だったのは、グランパの年甲斐もなく激しい性欲とフランクの不運すぎるゲイという設定、それに一同が利用するバスのポンコツぶり、このあまり噛み合いそうもない3つの要素が織り交ざって、ひょっこりと顔を覗かせるユーモアである。その場では失笑だったり、戸惑いを覚えたりと決して笑いに結びつかなくとも、あとからじわじわと沁みてくる。
 用いられているガジェットが全般に下品であるにも拘わらず、悪趣味さや後味の悪さを感じさせない点にも注目していただきたい。CMやミュージシャンのプロモーション・ビデオを撮影していたという監督コンビのキャリアに起因する、洗練された演出やカメラワークにも理由はあるが、家族を演じる役者たちが絶妙の匙加減を保ち続けた点も大きい。世の中を“勝ち組”“負け組”のふたつに単純明快に峻別し成功者のみを貴しとする家長リチャード、快楽に対してやたらと従順なグランパ、絶望ゆえに自殺未遂を犯してなおも危険を示唆されるフランク、願掛けを装って大嫌いな家族にいっさい口を利かない道を選んだドウェーン、揃いも揃って近くにいたら鬱陶しい人たちばかりだが、匙加減巧みな演出と演技のお陰で厭な印象は齎さない。寧ろ、愛すべき人物たちに映る。
 もともとこの家族は、ネガティヴなかたちではあるが噛み合い調和を保っていた。だが、揃いも揃って悪い方向へ進んでいたがために、嫌悪感を募らせていたと見える。それが一緒に旅を続けることによって、ぼんやりとだが気持ちを通い合わせていくさまは穏やかで心地好い。特に物語終盤での息の揃い方は、過程は違うのに結論が同じという具合で、その状況自体がユーモラスでありながら、クライマックスを前にして早くもちょっと胸を熱くさせる。
 そうして積み上げていったものが、クライマックスで炸裂する。あんなにも間が抜けていて情けなくて滑稽なのに、しかし胸を熱くさせるという状況は、並大抵の手管で作りあげられるものではない。それでいて終盤の成り行きに御都合主義は感じさせず、いっさい誤魔化しがない。
 終始リアルでなおかつ滑稽、でも受ける印象は最後まで爽やかで、ラストは決してハッピーでないにも拘わらず、それ故の混ざりもののない感動が待っている。これこそ本当に芯の通った“ファミリー・ドラマ”と呼ぶべき作品である。途中におけるユーモアの表面的な下品さに惑わされて、根っこにある品性と優しさとを、是非とも見落とさないで頂きたい。

 ちなみに本編、カリフォルニア州知事となったアーノルド・シュワルツェネッガーの「この世でいちばん嫌いなものがあるとすれば、それは“負け犬”だ」という発言から脚本家のマイケル・アーントが想を得たものだという。そこからこれだけ凝ったコメディを創出するのも見事なら、旅の目的地に敢えてカリフォルニア州を設定するあたりも気が利いている。
 真っ向切って批判するのではなく遠回しに、ユーモアを籠めて放った挑発が、間もなく同氏の任期が切れるこの年になってアカデミー賞をはじめとする賞レースを騒がせている。是非ともアーノルド・シュワルツェネッガー氏の感想を訊いてみたいものだが、既に誰か取材してたりしないんだろうか。

(2007/02/24)


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