cinema / 『マッチポイント』

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マッチポイント
原題:“Matchpoint” / 監督・脚本:ウディ・アレン / 製作:レッティ・アロンソン、ギャレス・ワイリー、ルーシー・ダーウィン / 製作総指揮:スティーヴン・テネンバウム / 撮影:レミ・アデファラシン / 美術:ジム・クレイ / 編集:アリサ・レプセルター / 衣装:ジル・テイラー / 出演:ジョナサン・リース・メイヤーズ、マシュー・グード、ブライアン・コックス、ペネロピー・ウィルソン、エミリー・モーティマー、スカーレット・ヨハンソン、ルパート・ペンリー=ジョーンズ、マーガレット・タイザック、スティーヴ・ペンバートン、ユエン・ブレンナー、ジェームズ・ネスビット / ジェイダ・プロダクション製作 / 配給:Asmik Ace
2005年アメリカ作品 / 上映時間:2時間1分 / 日本語字幕:古田由紀子
2006年08月19日日本公開
公式サイト : http://matchpoint-movie.com/
新宿武蔵野館にて初見(2006/10/21)

[粗筋]
 アイルランド出身のクリス・ウィルトン(ジョナサン・リース・メイヤーズ)はテニスのツアー・プロの道を捨てて、ロンドンでテニス・クラブのコーチに転身した。転戦転戦の日々に倦み、自分の才能に見切りをつけての決断は、早くに実を結ぶ。
 彼の生徒となったトム・ヒューイット(マシュー・グード)は、オペラ劇場の出資者にも名を連ねる実業家アレック・ヒューイット(ブライアン・コックス)の息子だった。クリスがオペラ愛好家であることを知ったトムは、彼を家族で利用しているボックス席に招待する。そこでクリスは、トムの父アレックに母のエレノア(ペネロピー・ウィルトン)、そして妹のクロエ(エミリー・モーティマー)らに紹介された。
 ヒューイット一家でのクリスの受けは上々だった。アレックは元テニス・プレイヤーという彼の経歴をお気に召し、特にクロエは並ならぬ関心を抱いたらしい。間もなくクリスはヒューイット家の別荘にて催された親族間のパーティに招待された。
 優雅に振る舞う人々が雲集するなかで、クリスはただひとり、自分と同様に異質な空気を纏う女性と遭遇する。彼女――ノラ(スカーレット・ヨハンソン)はコロラド州出身のアメリカ人であり、女優の卵にして、トムの婚約者だった。決して手出ししてはならない女性、だがクリスの心には彼女の存在が強烈に焼きついてしまう。
 一方で、クリスとクロエの交際は順調に進んでいった。デートを重ね、やがてクロエがクリスの部屋を訪れ、ふたりは晴れて恋人となる。かねてから一介のテニス・コーチで終わりたくない、という野心を口にしていたクリスを、クロエは父に推挙した。もともと彼を気に入っていたアレックは早速、幹部候補としてクリスを採用する。
 仕事を覚えるのが早いクリスは瞬く間に頭角を顕していった。そんなとき、クリスは街中でノラとばったり遭遇する。不安のあるオーディションに赴く途中で、本当なら同行してくれるはずだった友人が急にキャンセルしてしまい、心細さに押し潰されそうになっている彼女に、クリスはついていった。何とかオーディションを終えたノラと、クリスは酒を酌み交わす。半ばヤケになってコップを干すノラは、女優という仕事を続けていくことへの不安と、立場の違いから恋人の母エレノアに理解してもらえない苦しさを零す。そして、酔った勢いから、ノラはヒューイット家の人間よりもずっと境遇の近しいクリスを誘うような言葉を口走るのだった。
 ふたたびヒューイット家の別荘に招かれたふたりは、だがその立場で明暗が分かれる。クリスは順調な業績を評価され、アレックから重役に抜擢する用意があることを聞かされた。他方、ノアは一向に芽の出ない女優業をそろそろ諦めるべきだ、と諭され、雨の降りしきるなかを飛び出していく。クリスはそのあとを追い――激情に促されるまま、躰を重ねてしまう……

[感想]
 ニューヨークを舞台として、スタイリッシュでエスプリの利いた作品を撮り続けてきたウディ・アレンが、慣れ親しんだ土地を離れ、初めてロンドンで撮影した作品である。だから――というわけではないだろうが、本編では彼の作品に濃厚だったユーモアがなりを潜め、辛辣さと苦みとを強めている。
 作中で描かれる期間は、ちかごろの映画にしては珍しいほど長い。上の粗筋ではさほど時間が経過していないように読めるかも知れないが、ざっと半年は経過しているし、このあと更にクリスとクロエの結婚とトムとノラの別離、クリスがノラと再会することで始まる二重生活、不妊に悩むクロエ、といった具合に長期間だからこそ描ける波乱が連続し、都合2年ほどに及ぶ。順序立てた話運びのお陰で理解できないという状況にこそならないものの、他人の人生の重い部分を丼にたっぷり盛られて差し出されたような満腹感を齎す。
 しかしその分、細かな心理までもが緻密に描きこまれている印象だ。主人公クリスの言葉少なながら旺盛な野心は早い段階から如実だし、クロエの好意を快く受け止めながら、劣情はノラのほうを向いているのが伝わる。クロエのあまりに一途すぎる気質にトムの情熱と裏腹な変心の早さ、ノラのクールに見せて人一倍寂しがりである点など、人物の完成度が高く、それらが密になって物語を形成していく。画面の作りや台詞の組み立ては洒落ているが、そのなかに早くも人間関係が不穏な気配を醸成している。この膨らみには文芸作品の風格さえある。
 そして、こうした描写が中盤あたりから一気に深刻で緊迫したものになっていく。クロエはその一途さからなかなか子供が出来ないことに胸を痛め、ひたすら子作りにのみセックスの目的を求める彼女にクリスは倦んでいく。その分、性生活の面での情熱がノラに傾斜していくのだが、そのことがやがて絶望的な状況に結びついていく。その必然性、皮肉な成り行きが痛ましくも目が離せない。序盤から積み上げてきた伏線が、このあたりで実に細かく意味を為していく手管も絶妙だ。特に“マッチポイント”というタイトルに籠められた意味合いが判明するくだりには、鳥肌が立つような感覚さえ齎す。
 何よりも強烈であるのは、そうして辿り着いたラストが、恐らくはほとんどの観客の予想を超える流れになっている点である。途中までは想像がつくし、随所に見られる主人公の失態が導き出す終わりには絶望しか伺えない。
 そうして辿り着いた結末に、意外と共に不満を抱く者もあるだろう。あれでいいのか、そもそも物語としても、無数に残された失態が解釈されないままではないか、と。だが、その決着していない部分が、一見綺麗なラストにまとわりつく影を色濃く、そして余韻の深いものにしていることを見逃してはならない。単純に伏線を拾っていった通りの展開などよりも、主人公にとってこの収束はあまりに重く、辛辣なものなのだ。
 カメラワークや台詞回し、街の描写などに都会派らしい洒脱さをとどめながらも、新しい方向性を示した意欲作と思う。新しくも、既に古典のような味わいがある傑作である。

(2006/10/26)


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