cinema / 『マイノリティ・リポート』

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マイノリティ・リポート
原題:MINORITY REPORT / 原作:フィリップ・K・ディック(ハヤカワ文庫SF・刊) / 監督:スティーヴン・スピルバーグ / 脚本:スコット・フランク、ジョン・コーエン / 製作:ジェラルド・R・モーレン、ボニー・カーティス、ウォルター・F・パークス、ヤン・デ・ボン / 製作総指揮:ゲイリー・ゴールドマン、ロナルド・シャセット / 撮影:ヤヌス・カミンスキー、ASC/ プロダクション・デザイン:アレックス・マクドウェル / 編集:マイケル・カーン、A.C.E / 衣装デザイン:デボラ・L・スコット / 視覚効果スーパーヴァイザー:スコット・ファラール / 音楽:ジョン・ウィリアムズ / 出演:トム・クルーズ、コリン・ファレル、サマンサ・モートン、マックス・フォン・シドー、ロイス・スミス、キャサリン・モリス、ティム・ブレイク・ネルソン、ピーター・ストーメア / 制作:DREAMWORKS / 配給:20世紀フォックス
2002年アメリカ作品 / 上映時間:2時間25分 / 字幕:戸田奈津子
2002年12月07日公開
2003年05月23日DVD日本発売 [amazon]
公式サイト : http://www.foxjapan.com/movies/minority/
スーパー・プレミア試写会にて初見(2002/11/03)

[粗筋]
 2054年。完璧に管理された交通網、網膜走査により瞬時に個人を識別し相応のサービスを提供する極度の情報化社会。だがワシントンD.C.では、更に画期的なシステムが導入されていた。犯罪予防局――予知能力者=プリコグが事前に殺人を予知し、犯行直前に犯人を逮捕、収容する組織。6年前から試験的に導入されると、たちまちワシントンD.C.での殺人発生率は激減した。約一週間後の国民投票で賛成多数を勝ち取れば、全米規模で実施される予定の、それは完璧な防犯システムの筈だった。
 ジョン・アンダートン(トム・クルーズ)は犯罪予防局殺人捜査課の主任捜査官として活躍していたが、それには理由がある。予知システムが確立される以前、目を離した隙に愛息ショーン(スペンサー・トリート・クラーク)を失い、その為に妻ララ・クラーク(キャサリン・モリス)とも別離し、覚醒剤でひとりの時間を慰めながら、仕事に打ち込むことで悲劇から逃れようとしていたのだ。
 国民投票を目前に控え、内側での駆け引きも熾烈な様相を呈しつつあった。犯罪予防局にダニー・ウィットワー(コリン・ファレル)をはじめとする司法局からの調査官が派遣され、システムの、或いは人材の不備を探りはじめる。危機感を抱いたジョンは、公私ともに交流の深いラマー・パージェス犯罪予防局長(マックス・フォン・シドー)の指示を仰ぎながら、対応を開始する。
 そんなジョンにウィットワーは司法局からの命令書を掲げ、犯罪予防局本部の核心に存在する3人の予知能力者との面会と訊問を求めた。薬品と装置により常に覚醒と安眠の狭間で安定した状態を保たされた3人は会話すら受け付けぬ状態であり、ウィットワーは一旦大人しく引き下がる。だが、ウィットワーが立ち去ったあと、予知能力者のひとりである女性アガサ(サマンサ・モートン)が突如ジョンの腕を掴み、「あれが見える?」と囁きかける――水槽の天井モニターには、アガサがかつて予知した殺人現場のイメージが映し出されていた。意味を問うより早く、彼女は再び眠りと目醒めのあわいへ落ちていった。
 気懸かりを覚えたジョンは収容所を訪れ、過去の記録を洗い出す。目にした殺人状況から検索した結果、該当したのはアン・ライブリー(ジェシカ・ハーパー)の事件だった。奇妙なことに、犯人の身許は未だに判明せず、一命を取り留めたはずのアンも所在不明。更に、予知能力者3人のイメージ記録のうち、アガサのものだけが抜け落ちていた。ノイズが発生してぼやけることはあっても、記録そのものが欠落するケースは決して多くない。ある可能性に思い至ったジョンは、パージェス局長に報告しウィットワーの目からどうにか隠蔽できないか模索する。
 だが翌日、事態は急変する。いつものように出勤し、「計画犯罪」として予知されたイメージから事件現場を特定しようとしていたジョンは――被害者に向けて発砲する自分の姿を見た……

[感想]
 久々の、真っ向勝負のSFスリラーである。スピルバーグ監督にとってもそうだが、ハリウッド全体を見ても娯楽作品としてこうまで筋の通ったSFは久し振りではないか。
 SFファンに限らず、ある程度年季を積んだ読書家なら名前を知っているはずのSF作家フィリップ・K・ディックの短篇小説に基づいた作品である。同様にディックの作品を下敷きとした映画は、リドリー・スコットの出世作『ブレードランナー』(原作は『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』)、ポール・バーホーベンによるアクション映画『トータル・リコール』(『記憶売ります』)、ゲイリー・フレダー監督による堅実な映像化『クローン』(『にせもの』)があるが、映像化する際の最大の弱点として――誰が作ってもイメージが似通ってしまうことが挙げられる。スピルバーグ監督による本編も同様で、しかも前掲の作品中最もディックの雰囲気を完璧に再現してみせた『クローン』と印象が変わらないのがある意味最大の傷かも知れない。
 また、オリジナルであろうSF要素――特に捜査官たちが所持する武器類が、引っかかる人には結構引っかかるだろう。あり得そうだが説明がほとんどないので理屈を問いたくなるのだ――とそれを言い出すと際限が無くなるので個人的にお薦めしないが。
 そうした難点をお約束として認められるのであれば、多分不満は殆ど感じない。徹底した世界観の構築と巧みな伏線、そして随所に取り入れられたアクションと緊張感に溢れる駆け引き、そして緊迫したなかにも挿入されたユーモア。娯楽映画に求められる要素をほぼ完全に取り入れている。こと、事件の真相はSFミステリとしてもなかなかに練り込まれた内容で、ゆえに冒頭からある程度推理を続けていれば真相を看破できるはずだが、だからこそ終盤の緊迫感は裏付けがある分強烈である。ある人物の行動が必ずしも合理的でないという疵があるが、全体からすればさほど問題とはなるまい。この辺りはスピルバーグというより、『アウト・オブ・サイト』『ゲット・ショーティ』とエルモア・レナード作品に二度携わりファンをも唸らせる巧みな脚色を見せた脚本家スコット・フランクと、これが初の映画脚本参加となるジョン・コーエン両氏の力に因るところが大きいと見るべきか。
 最大の問題は2時間25分という、娯楽映画としては長めの尺を「長い」と感じるか否か、だろう。少なくとも私は長さを殆ど感じなかった。これで細かいところを摘んでしまったら、逆に駆け足すぎて余裕のない作品になってしまったと思う。
 何にしても、娯楽大作の名に相応しい贅沢な仕上がりになっている。ただただその怒濤のような映像に酔いしれるも複雑なストーリーに没頭するも、はたまたSFや娯楽映画としての難点にあれこれ突っ込むにしても、料金分楽しむことは確実に出来る、はず。

 トム・クルーズの仕上がりについては今更言うことはない。色気にいまいち欠くとか本筋を離れた話題が多いとか個人的な嫌味は多々あるが、私の知る限り役者として失敗した試しはない。
 というわけで今回クローズアップするべきは、トム演じる犯罪予防局捜査官と対立する司法局調査官ウィットワーを演じたコリン・ファレルである。次代のハリウッドを担う若手俳優として既に注目されている人物だが、それにしても気になったのは先に公開された出演作『ジャスティス』でのキャプション。……代表作が『マイノリティ・リポート』となっていたのだ。何で? と首を傾げていたのだけど、きっちり対等に渡り合っていたのだからそれもありだろう。他にヒットした大作がなかった、というのもあるのだが。とは言え、ブラッド・ピットも名指しで注目株とした俳優である。留意されたし。

(2002/11/04・2003/05/23追記)


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