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『light as a feather』トップページに戻るチョコレート
原題:Monster's Ball / 監督:マーク・フォスター / 脚本:ミロ・アディカ、ウィル・ロコス / 製作:リー・ダニエルス / 製作総指揮:マーク・ウルマン、マイケル・パセオネク、マイケル・バーンズ / 撮影監督:ロバート・シェイファー / プロダクション・デザイン:モンロー・ケリー / 音楽:アッシュ&スペンサー / 出演:ハル・ベリー、ビリー・ボブ・ソーントン、ヒース・レジャー、ピーター・ボイル、ショーン・コムズ、モス・デフ / 制作:ライオン・ゲート・フィルムズ / 配給:GAGA
2001年アメリカ作品 / 上映時間:1時間53分 / 字幕:松浦美奈 / R18指定映画
2002年07月20日日本公開
2003年02月21日DVD日本版発売 [amazon]
公式サイト : http://www.gaga.ne.jp/chocolate/
日比谷シャンテ・シネにて初見(2002/08/24)[粗筋]
その日、1人の黒人男性の命が法の手によって絶たれようとしていた。男の名はローレンス・マスグローヴ(ショーン・コムズ)、死刑判決に控訴せず11年の服役を経てついに刑の執行が決まったのだ。妻のレティシア・マスグローヴ(ハル・ベリー)はひとり息子のタイレル(コロンジ・カルフーン)とともに最期の面会に訪れるが、11年間を越える服役生活を支え続け疲れ果てた彼女とローレンスとの間に交わす言葉は少ない。短い別れの言葉と、執行直前に電話をかけるという台詞だけを受け取って、レティシアは息子を連れて帰途に就く。
死刑執行直前の囚人が収監される監房の見張り役に宛われたのは、ハンク(ビリー・ボブ・ソーントン)とソニー(ヒース・レジャー)のグロトウスキ親子だった。ハンクの父バック(ピーター・ボイル)から三代続いて刑務所の看守を生業とする一家で、病のために現役を退いたバックが未だに影響力を固辞している。バックの影響を強く受けて育ったハンクは、父に倣うように黒人蔑視の立場をとっていたが、ソニーはそんな家族に刃向かうように、近所に越してきた黒人ライラス・クーパー(モス・デフ)一家と親しく付き合っていた。仕事にも順応しきれず、ことある毎に反抗の意志を見せるソニーを、バックは軽蔑し、ハンクは苦々しく思っていた。
グロトウスキ親子の確執は、ローレンスの処刑を境に頂点に達する。訓練の段階からソニーは死刑執行準備にしばしば不手際をしでかしていたのだが、ローレンスを刑場に連れて行く途中で吐き気を催し、自らの持ち場を離れてしまったのだ。ハンクは息子の大失態を罵り、早朝に息子を叩き起こして家を出ていくよう宣告する。だが、そんなハンクにソニーは銃を突き付け、バックのいる居間まで押し遣って詰問する。「ぼくを憎んでいるんだろう?!」ずっと憎んでいた、と返すハンクに、ソニーは「それでもぼくは父さんを愛していた」と応え、自らの心臓に銃弾を撃ち込んだ――
処刑の日、レティシアの家の電話は鳴らなかった。漫然とテレビを眺めてその時を待ち、タイレルの間食を叱りつけて――疲れ果てた翌日、出勤したレティシアを待っていたのは、解雇通告だった。
一方ハンクは息子の死を契機に、長年培ってきた価値観が崩壊するのを感じていた。もはや仕事を続けることも困難に感じ、刑務所長に退職を願い出る。それを愚行だと断じる父との価値観の違いも漸く悟り始めていた。自らの将来を見失いながらも、唯一の楽しみであるチョコレートアイスクリームを食べにいつもの喫茶店に向かうと、見慣れぬ黒人女性が給仕した。レティシアもハンクもこの時はまだ、途方もない偶然からお互いの運命が交錯したことを知らない――[感想]
結構シンプルだと思っていたが粗筋に起こしてみると異様に複雑でぴっくり。映像で見せることと文章で表現することとの違いということか。
ハル・ベリーの、アカデミー賞史上初となった黒人女性としての主演女優賞獲得で話題になった作品である。個人的には先に日本公開された『ソードフィッシュ』の、トップレスが話題になったお色気担当、という印象があってかなり意外な受賞だったのだが、プログラムや実際の作品を観ると、その実ガチガチの本命だった、という気がする。
脚本家はこれが初めての仕事だがふたりとも本職の役者であり、元々自らが出演する意図の許に本編を執筆したという(本編にもミロ・アディカは看守役で、ウィル・ロコスは刑務所長役で出演している)。が、優れた物語に映画業界が着目し、大物俳優の主演による製作が幾たびも計画されては、ふたりの意向も含めて頓挫していたらしい。その中で、脚本を読んだハル・ベリーは繰り返し製作者・監督にアプローチを行い、立候補する多くの黒人女優を押し退けて役を得たそうだ。脚本と役柄への高い評価と、それを努力で勝ち取った情熱とを思えば、名演も頷けるのである。
どうしても照準がハル・ベリーに向きがちだが、この作品のもう一つの――或いは本当の見所はビリー・ボブ・ソーントン演じるハンク・グロトウスキ一家の、親子三代の関係とその顛末である。父親は筋金入りの差別主義者、息子はその父の影響下で育ち、孫はそんなふたりに反発しながら成長した。息子の抗議とも言える自殺を契機に初めて自らの価値観に疑いを覚え、聡明な息子に対して駄目な父親でしかなかった自分を恥じる。ひき逃げにあった黒人の少年を助けるために車をバックさせ、ソニーが親しくしていた近所の黒人親子と自分も付き合うようになり、夫と息子を立て続けに喪い悲嘆に暮れるレティシアを慰めるうちに、彼女を深く愛するまでになる。その変遷の描き方の説得力もさることながら、最も象徴的なのはハンクが父を捨てる場面だ。ある経緯からハンクは父を施設に入れる決意をし、施設の一室に押し込まれた父に別れを告げに行く。「こんな死に方は厭だ」と訴える父に、ハンクは「俺も厭だよ、父さん」と応える――
手垢のついた表現で恐縮だが、これは正しくアメリカ社会の縮図である。黒人社会と差別の現実を、アメリカ特有の家族関係を鍵にして見事に描写しきっている。ラストシーン、ハンクの「俺たち、きっとうまくいくよ」という台詞に頷けるほどそのテーマも構図も甘くはない。だが、こうして多くの作り手の情熱に支えられ、紆余曲折の末に高い評価を受けるに至った本編そのものが大きな希望に映る。
ハリウッド特有の派手さを排し、贅肉を徹底的に削ぎ落とした本編はあまりに物語があっさりとして淡々と過ぎていくように見える。まして結末で、レティシアが何の応えも口にしないことに不満と不安を感じる向きもあるだろう。だが、まさにチョコレートのような、その苦さの中に甘い期待を含む深い余韻を伴った結末は、それ自体で充分に価値がある。
原題の“Monster's Ball”は、死刑執行前夜に刑務所の関係者たちによって開かれるパーティを意味する言葉だという。ローレンスの死刑執行を契機に多くの偶然から結ばれたレティシアとハンクの異様な(Monster)関係にもかけられたタイトルのようで、それはそれで深いものがあるが、今回に限っては邦題のほうに軍配を挙げたい。ハンクが好んで食べていたチョコレートアイスクリーム、レティシアの息子が彼女の目を盗んでつまみ食いしていたチョコレートバー、そしてハンクの父が忌み嫌いやがてはハンクが深く愛するようになるレティシアの肌の色と、物語のほろ苦い結末まで示唆したこの邦題は絶妙である。――ただひとつ気になるのは、日本では1年前に公開された『ショコラ』をどの程度意識してつけられたのか、だったりして。妙な邪推をしたくなるほど、実はこの2つの作品色々な共通項がある。興味がおありの方にはじっくりとこの二作を比較してみていただきたい。(2002/08/25・2004/06/23追記)