cinema / 『ムーンライト・マイル』

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ムーンライト・マイル
原題:“Moonlight Mile” / 監督・脚本・製作:ブラッド・シルバーリング / 製作:マーク・ジョンソン / 製作総指揮:パトリシア・ウィッチャー、アショク・アムリトラジ、デヴィッド・ホバーマン、スーザン・サランドン / 撮影監督:フェドン・パパマイケル / 美術:ミッシー・スチュワート / 編集:リサ・ゼノ・チャージン / 衣裳デザイン:メアリー・ソフレス / 音楽:マーク・アイシャム / 音楽監修:ドーン・ソラー / 出演:ジェイク・ギレンホール、ダスティン・ホフマン、スーザン・サランドン、ホリー・ハンター、エレン・ポンペオ、リチャード・T・ジョーンズ、ダブニー・コールマン / 配給:GAGA-HUMAX
2002年アメリカ作品 / 上映時間:1時間56分 / 字幕:松浦美奈
2003年06月28日日本公開
公式サイト : http://www.moonlight-mile.jp/
日比谷みゆき座にて初見(2003/06/28)

[粗筋]
 近頃、ジョー・ナスト(ジェイク・ギレンホール)の夢見は良くない。安眠するためにコードを抜いてしまった電話機から、誰かが呼びかけているような気分だった。
 ダイアナ・フロスの葬儀が行われたあとも、ジョーはなし崩しにフロス家に留まっている。生前のダイアナとの約束に固執し、不動産業に復帰するのに合わせてジョーを新しいパートナーに祭り上げることに躍起のベン(ダスティン・ホフマン)と、親類や友人の安易な同情心に毒を吐きながら、仕事のためにタイプライターに向かっても言葉が出ないというジレンマに陥っているジョージョー(スーザン・サランドン)――愛娘ダイアナを失ったふたりの間に立って、ジョーは苦悩していた。
 印刷所から直接参列者に発想する手筈になっていた結婚式の招待状を停止する手続を忘れた、とベンに言われたジョーは、多忙な彼に代わって回収に出かける。印刷所が閉まっていたため、直接出向いた郵便局で対応してくれた職員のバーティ・ノックス(エレン・ポンペオ)と共に発送前の郵便物のなかから回収した。招待状の差出人名義から事情を察した彼女はジョーに親身になって、回収し損なった一通を雨の中、わざわざジョーのいるフロス家まで届けてくれるのだった。
 後日、ダイアナの形見分けをしてもらうという名目でやってきたダイアナの友人たちに誘われて、ジョーは渋々出かける。訪れたバーは、偶然にもバーティが切り盛りしている店だった。三年前、ベトナム戦争に出征したきり行方不明になってしまった恋人を待ちながら、友人と共に店を支えてきた彼女の姿に、いつしかジョーは自分の境遇を重ねていた。
 そんな中、看板に「フロスと息子」の文字が書き込まれた事務所に、大きな仕事の話が舞い込んできた。複合型巨大マーケットの建設のために地上げをするよう要請されたのである。俄然やる気を出したベンが用地候補として挙げた中に、バーティが支えている店の名前があった。
 自分が交渉する、とベンに言って引き延ばしを図ってきたが、時間的にも精神的にももうジョーは限界だった。ふたたびダイアナの夢を見たジョーは電話機のコードを繋いでバーティに連絡し、告白する。
 ――ジョーは、ダイアナが流れ弾で死ぬ三日前に、彼女との婚約を解消していた。ダイアナが死んだのは、恐らくその事実をベンに告げるため待ち合わせたときの出来事だったのだ……

[感想]
 恐ろしく深刻な話のように聞こえるかも知れない。だが、作品のトーンは淡々としていて、登場人物たちの煩悶を丁寧に描きながらも暗くならない。それどころか、どこか不思議な滑稽さを漂わせてさえいる。
 物語はダイアナの葬儀の朝から始まり、彼女の死因やジョーとフロス家との関係等々、ナレーションはおろか台詞の中でも説明させることなく、じわじわと理解させていく語り口は、少々淡々としすぎて、漫然と見ていると筋が理解できずに早いうちに飽きてしまう。また、まるで自分を主張せず流されっぱなしの主人公・ジョーの姿に苛立つこともしばしばで、なまじ丁寧なだけに損をしていると感じる部分も多々あった。
 その佇まいには滑稽で、最初のうちはどうも深刻になれないのだが、フロス夫妻とジョーとがそれぞれに平常を装うことに困難を来たし、次第に不協和音を出し始める後半からはのめり込まされてしまう。特に謎めいた描写をしているわけでもないのに、ある時点からこのにわか家族の複雑な内実が透け見えてくる様は何故か推理小説のようでさえある。
 終盤で明らかになるのは、ジョーや夫妻が娘の死をどのように捉え、どのように生活を再構築しようとしていたかという現実なのだが、しかし見終わってみて興味深いのは、その再構築自体は実は二義的なもので、寧ろ死んだダイアナという娘の実像を描くことに本編の目的があったように感じることである。事実、彼女は本編ではほとんど登場しない。ジョーの夢の中でちらっと姿を見せるだけ、上の粗筋などを御覧になっても解るだろうが、役者の名前が特記されないくらいに出番がないのだ。それでも、見終わったあとになると彼女のイメージがとても鮮明に浮かんでくる。何故か――実はこの点こそ、本編の勘所となっているはずなので、未見の方は自らの眼でご確認いただきたい。
 そうしてようやくダイアナの死を乗り越えたあとのジョーとフロス夫妻の動向もまたあっさりと描かれているが、それだけに余韻もさりげなく深い。冒頭近くの些細な描写を応用したラストシーンもまた淡々としているが、下手な気取りがない分物語を自然に決着させている。
 60年代末のポップ・ロックミュージックを多用しながらも静かなタッチで、悲劇に直面した人々の姿を深刻にならずに描き出した佳作である。これだけの名優を多く起用しながら、それぞれが役割を逸脱せず収まっている様が、役者に期待した人には物足りないかも知れないが、それもこれもドラマとしての完成度の高さを彼らが信じていたからに他ならないからだと思う。繰り返し見る価値がある。

 ちなみに題名はローリング・ストーンズの知られざる名曲から取っているらしい。作中、重要な場面で流れるのだが、歌詞の内容と相俟って印象深い。この曲に限らず、当時の代表的なアーティストから曲を集めながら、一曲一曲は通好みのものを選んでいるのも本編の特徴である。

(2003/06/28)


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