cinema / 『プロフェシー』

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プロフェシー
原題:THE MOTHMAN PROPHECIES / ジョン・A・キールのルポルタージュに基づく(『プロフェシー』(ソニー・マガジンズ・刊) / 監督:マーク・ペリントン / 脚本・製作補:リチャード・ヘイテム / 製作:トム・ローゼンバーグ、ゲアリー・ルッチェシ、ゲアリー・ゴールドステイン / 製作総指揮:テッド・タンネバウム、リチャード・S・ライト、テリー・マッケイ / 美術:リチャード・フーバー / 撮影:フレッド・マーフィー、A.S.C. / キャスティング:シーラ・ジャフィ、C.S.A. / 編集:ブライアン・バーダン、A.C.E / 音楽スーパーヴァイザー:ライザ・リチャードソン / 衣装デザイン:スーザン・ライオール / 音楽:トムアンドアンディ / 出演:リチャード・ギア、ローラ・リネイ、ウィル・パットン、デブラ・メッシング、ルシンダ・ジェニー、アラン・ベイツ / スクリーン・ジェムズ&レイクショア・エンタテインメント提供 / 配給:Sony Pictures Entertainment
2002年アメリカ作品 / 上映時間:1時間58分 / 字幕:太田直子
2002年11月02日日本公開
公式サイト : http://www.prophecy-movie.jp/
劇場にて初見(2002/11/15)

[粗筋]
 2002年冬、ジョン・クライン(リチャード・ギア)は幸福の頂点にいた。ワシントン・ポスト紙の花形記者として一線で活躍し、その日とうとう愛する妻メアリー(デブラ・メッシング)を連れて一軒家の下見に訪れ、即決で購入した。帰り道、この上なく弾んでいた2人の会話は――急ブレーキとスリップ、鈍い衝突音とに掻き消された。メアリーは目前に現れた何かに気を取られ、ハンドル操作を誤り、意識不明に陥った。病院のベッドで覚醒したメアリーは、ジョンの姿にさえ怯え、夫に向かって「あれを見た?」と訊ねる。メアリーは自らの変調に不安を覚え、恐慌を来していた。
 精密検査の結果、事故とは無関係な脳腫瘍が発見され――体力を頼みにした化学療法しか手立てはない、という宣告を受け、ジョンは絶望する。間もなくメアリーは死んだ。手帳に不可解なメモと、翼を具えた不気味な人間のイラストを沢山残して。
 ――それから2年の月日を経ても、ジョンの心の傷が癒えることはなかった。全てを失ったように仕事に没頭するが、どうしてもメアリーの面影が脳裡から消えない。再び冬が訪れ、街がクリスマスの装いを始める頃、ジョンは仕事のためにワシントンD.Cからリッチモンドへと車を走らせる。
 だが午前2時半頃、とある田舎道で車の電気系統が全滅し、立ち往生する羽目になった。どういうわけか携帯電話も通じず、電話を借りるためにジョンは近くの家の扉を叩く。だが、扉を開けるなり、住人のゴードン(ウィル・パットン)は「またこいつか。待ってたよ」と言うと、ジョンをバスタブまで連れて行き、ライフルを突き付けた。間もなく駆け付けた女性警官コニー・パーカー(ローラ・リネイ)にゴードンは、ジョンが昨晩、一昨晩と全く同じ時刻に訪れたと言い募る。いったんその場を取り繕い、コニーはジョンにひとまずこの町に留まるよう要請した。
 移動する車中、コニーは最近この町で奇妙な目撃証言が相次いでいる、と告白する。闇の中に光る2つの赤い目、飛来する何か――証言しているのは決して何らかの奇癖があるわけでもない、ゴードン夫妻と同様、普通の人々だと話す。
 やがて運ばれたモーテルで宿泊の手続きをとりながら、ジョンは現在地を確認して、愕然とした。そこはウェストヴァージニア州ポイントプレザント、ワシントンD.Cからの距離は約600km――いつの間にかジョンはまるで間違った方角へ、しかも僅か1時間半の内に移動していたのだ。
 翌朝の整備で車に何の異常もないことが確認されると、ジョンは仕事を放ってポイントプレザントに留まった。コニーの協力を得て、一連の奇怪な出来事を目撃した人々に話を聞いて廻る。赤い目、巨大な翼、そして奇妙な痕跡――そのどれもが、メアリーを失うまでの出来事と奇妙な類似を見せる。
 不可解な現象は、いつしかジョンの身辺にも起き始めていた……

[感想]
 原題にある“Mothman”とは、作中でイラストとして、或いは目撃談として間接的に語られる翼を持った怪人を表した言葉であり、訳せば『蛾男』となる。ジョン・A・キール氏の原作によれば、ある地方紙の記者が付けた名前らしい。映画で描かれた出来事はいずれも1960年代アメリカ、まさにウェストヴァージニア州ポイントプレザントで確認されたものであるそうだ(劇中では意図的に2002年に置き換えられている)。
 あくまでノンフィクションとして、自らの体験以外は間接的に検証するだけであった原作の立場を尊重するように、本編ではタイトルに冠せられながらも『蛾男』の姿が生のままで映ることはない。描かれるのはその痕跡、意図や正体の判然としないメッセージや象徴ばかりである。本編の巧みさは、迫ってくる恐怖を殆ど直接描くことなく、ミュージッククリップ畑出身の監督らしくエフェクトやオーバーラップなどの視覚効果をふんだんに用いた幻惑するような映像を交えて表現したことにある。物語といいながらひとつひとつの現象について明確な説明も解釈もなされることがなく、ただ切実な危機感だけが少しずつ募ってくる。なまじのスプラッタやホラーなどより強烈な緊張感と恐怖を実に巧く描いているのだ。
 弱点といえば、あまりに丁寧に原作のエッセンスを抽出してしまったことそれ自体、ぐらいと言えるだろう。時々映画鑑賞に先駆けて原作を読むという律儀な真似をする私は、時代の置き換えや現象の取捨選択がきっちり行われていたにも拘わらず、それ故に「ラストはこうなるしかない」という方向性も見えてしまい、劇的なクライマックスの筋書きも概ね予想がついてしまい、その映像的迫力には驚いたものの展開には全く驚けなかった(但し、原作を読んだときの衝撃はかなり凄まじかったことは申し添えておく)。
 しかし、多くの人物の証言からなる原作を、人物を絞り込み必要な部分のみを決して不自然でないレベルに置き換えながら、現代の科学を以てしても解き明かしようがない脅威を説得力豊かに描いた技量は素晴らしい。原作にあった混乱を、個人の煩悶に置き換えられたことにより筋の通ったものに作り替えたことも着眼と言えるだろう。
 原作を読んだ上でならよりその思いは深まるが、エッセンスを完璧に抽出したこの映画を鑑賞するだけでも、その恐怖は実感していただけるのではないか。敢えてホラー映画の収穫、と言いたい。
 ――それにしても、原作を読んだときにも感じたことだが、これだけの出来事が現実に起きた、というのが怖い。

 以下余談(書くときにここから始めている場合もあるがそこはそれ)。
 原作に圧倒された私も満足の一本であったが、しかしそれとは別に鑑賞中気になることがひとつあった。
 あちこちにノイズが入っているのである。
 いや確かに作中で電話やテレビ画面にノイズが入る、という演出が頻繁に登場するのだが、そうではなくリチャード・ギアの話す声やごく普通の効果音にノイズが混入する。たとえば、音楽をヘッドフォンで聴いているとき、不意にピンジャックの接続が緩んだせいで「ぷちっ」という物が弾けるような音のあと、音源が遠退いたような感覚になるが、イメージはそれに近い。気にならない人は流してしまうだろうが、私はやけに耳に障った。
 問題は、それが映画本来に意図されていた演出なのか否か、である。不快感を覚える人もあるだろうから普通は避けるような方法論だが、映画の趣旨からするとそこを敢えて断行してみた、という可能性も否定できない。
 こういう形で感想を公表している都合もあるので、退出する前に劇場の方に訊ねてみた。が、演出上の意図があったのかは解らなかった。映写室では問題がなかった、と言われても配線の関係で影響が出たのは劇場内だけだったかも知れない。既に全ての上映が終了したあとで、出入口も限定されてしまったあとだったのでグレーのまま追求を止めてしまったが、半日経った今でも気になって仕方ない。既に或いはこれから鑑賞される方、情報をお寄せいただければ幸いです。なんか変じゃありませんでしたか?

(2002/11/16)


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