/ 『ナイト・ウォッチ/NOCHNOI DOZOR』
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『light as a feather』トップページに戻るナイト・ウォッチ/NOCHNOI DOZOR
原題:“НОЧНОЙ ДОЗОР” / 原作:セルゲイ・ルキヤネンコ(バジリコ・刊) / 監督:ティムール・ベクマンベトフ / ロシア語版脚本:セルゲイ・ルキヤネンコ、ティムール・ベクマンベトフ / 英語版脚本:ティムール・ベクマンベトフ、レータ・カログリディス / 製作:アナトリー・マキシモフ、コンスタンチン・エルンスト / ライン・プロデューサー:アレクセイ・クブリツキー、ワーリャ・アヴデュシュコ / 撮影:セルゲイ・トロフィモフ / 美術:ワレーリー・ヴィクトロフ、ムクタール・ミルザケイェフ / 編集:ドミトリー・キセレフ / 音楽:ユーリ・キテイェンコ / 出演:コンスタンチン・ハベンスキー、ディマ・マルティノフ、ウラジミール・メニショフ、マリア・ポロシナ、ガリーナ・チューニナ、ヴィクトル・ヴェルズビツキー / 配給:20世紀フォックス
2004年ロシア作品 / 上映時間:1時間55分 / 日本語字幕:太田直子
2006年04月01日日本公開
公式サイト : http://www.nightwatch.jp/
シネマメディアージュにて初見(2006/04/01)[粗筋]
遥か昔、人間とは異なる能力を備えた“異種”は光と闇とふたつの勢力に分かれ激しく対立していた。だが、完全に拮抗した戦闘力での争いは双方の破滅を導くと悟った光側の指導者ボリス・ゲッサー(ウラジミール・メニショフ)は休戦を提案、闇の王ザヴロン(ヴィクトル・ヴェルズビツキー)もこれを了承する。代わりに、お互いを監視する組織を立ち上げ、協約違反を見張るのだった――
1992年、ソビエト連邦崩壊後のモスクワ。恋人の裏切りに遭ったアントン・ゴロデツキー(コンスタンチン・ハベンスキー)は呪術使いの老婆のもとを訪れ、彼女を取り戻して欲しいと依頼する。老婆は彼女の口から別れを告げさせるのは容易いが、最大の障害が彼女のお腹のなかにいる、と言う――それを取り除かねば、彼女は戻らない、と。自らが責任を負え、と言われアントンは承諾し、呪術は行われたが、完成寸前に光の勢力=ナイト・ウォッチの面々が踏み込んで制止、老婆を逮捕する。異界を介して移動してきたはずの彼らが見えた、というその事実は、アントンもまた“異種”のひとりであることを証明していた。
それから更に12年後。血を呑むことで感覚を研ぎ澄まし、未来を予見する能力を備えていると判明したアントンは闇を監視するナイト・ウォッチに所属し、協約違反を犯す闇側の“異種”を狩る仕事に就いていた。彼らがいま追っているのは吸血鬼のアンドレイと、彼によって眷属にされた恋人のふたり。アンドレイたちは嗜好に見合った餌食にメッセージを送り、自らの隠れ潜む場所へと導こうとしていた。
当初仲間たちと合流して追跡を開始するはずだったアントンは、いち早く標的を捕捉したために、そのあとを追うことにした。地下鉄の車内で、だが彼は思いがけず奇異なものを目の当たりにする。扉の傍に佇む女性の頭上に、渦が巻いていたのだ。呪いに近いものだと感知し、紫外線ライトを仕込んだ懐中電灯を向けたアントンだったが、まったく薙ぎ払うことの出来ない事実に恐怖する。その際に引き起こしてしまった騒動で、標的にされていた少年に警戒され、いちどは見失ってしまった。
だが、研ぎ澄ませた感覚によって、廃墟となった美容室で餌食にされかかっていたところへ辛うじて踏み込むことに成功する。アンドレイと死闘を繰り広げ、遂に斃したアントンだったが、自らも瀕死の重傷を負ってしまう。加えて、仲間たちが救援に駆けつけたときには、襲われかかっていた少年もアンドレイの恋人も逃げ去っていた。
アントンはゲッサーのもとに担ぎ込まれ、彼の手によって治療を受けながら、地下鉄で目撃した出来事を伝える。ゲッサーはそれを、予言に伝えられる呪われた聖処女と推測した――何者かの呪いによって触れるものに災いを起こすその女の出現が、長年に亘って保たれてきた光と闇との均衡を破壊する契機となる、と予言は説いていた。既にモスクワには局地的な竜巻を中心とした異常事態が勃発しつつある。原因を究明し呪いを解くためにゲッサーはナイト・ウォッチの面々を動員するが、アントンは逃げた少年をアンドレイの恋人が追跡することを憂慮し、ひとり別行動に出た。
一方、闇の勢力=デイ・ウォッチもまた、アンドレイの死という事態を見過ごすつもりはなかった。アンドレイの恋人をけしかけ、例の少年を人質にアンドレイを殺害した人間を引っ張り出してくるよう手を打つ。
狙われた少年・イゴール(ディマ・マルティノフ)はその夜、自らが目撃した出来事を母に語ろうとするが、外出する用事を抱えた母はろくに耳を貸そうとしない。我が家にひとり残された彼のもとへ、ヴァンパイアはじわじわと接近しつつあった……[感想]
本編については内容よりもその逸話のほうが巷間に知れ渡っているかも知れない。ロシアで製作され、本国の興収ランキングで『スパイダーマン2』『ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還』を超えてトップに君臨し、世界各国で賞賛された。日本でも2005年夏の東京国際ファンタスティック映画祭で上映されるやネットを中心に話題となり、当初公開予定はなかったものが配給会社を動かすかたちとなり、遂に全国各地で公開されるに至った。
関心を惹いたのは、ロシア的な感性を滲ませつつもCGを駆使して精彩に作り込まれたと思しい映像と、これまで文学的で晦渋な印象の強かったロシア映画と比べると異例に娯楽性が濃厚そうであった、という二点だろう。実のところ提示されたシチュエーションというのはハリウッドで繰り返し扱われているものに過ぎないのだが、それをロシアの国民性が如何に換骨奪胎したか、ということが興味を煽ったと思われる。
さて、いざようやく目の当たりに出来た実物はどうだったかというと――驚くほど期待どおりだった。予告編や予備情報からの推測がほぼそのまま形になっている。
映像表現の技術そのものに革新的なものは見られないが、ヴィジュアルのセンスは特異かつ傑出している。冒頭、過去での戦闘シーンにおいて、部下や敵たちの血飛沫を顔に浴びながら身動ぎしない光の王ゲッサー。遠くにいる人間にかけた呪いを視覚化するカメラの激しい動き。ヴァンパイアに取り憑かれた少年を判別する手段のヴィジュアル。そして飛行機から外れた部品を追いかける視点のトリッキーさなどなど。いずれも原型や類型をハリウッドなどの過去の作品に求めることは可能だが、それらを独自に調理しなおし独自のムードを醸し出している点にまず惹かれる。そのじめじめとした手触り、どこか無機質な雰囲気はハリウッド(こと、ハリウッドがアメリカを舞台に作りあげた映画)には見られないものだ。英語版の字幕にまで様々な細工を施しており、その信念たるや尋常ではない。
扱っているモチーフ自体も比較的ありふれた物が多い。“異種”というカテゴリのもと一括して語られているものの、登場する彼らの特殊能力やその背景は、ヴァンパイアであり動物に変身できる能力であり過去見・予知などといった具合に、民間伝承や怪奇小説などでお馴染みのものばかりだ。ただ、それを束ねるための“異種”や彼らを一般人と区別するための能力など、定義はかなりしっかりしており、少なくとも本編で提示されている範囲で大きな矛盾は生じていない。たとえば、感覚を研ぎ澄ませるために血を呑み、その昂揚感に耐えきれなくなって呑んだものを吐き出す主人公アントンや、何らかの罪によって置物のフクロウに偽装されていた女=オリガが人間に戻るシーンのヴィジュアルは、本質を踏まえて巧みに膨らませている。
そして何より、壮大な構想の上に練り上げられたプロットの端整さがいい。アントンの行動を軸にしながら中盤から物語は枝分かれし、それが恐らくはほとんどの観客が予想もしなかった――しかし大前提からすればごく自然なところで合流し、着地しているのが見事だ。大枠としては決して独創的ではないが、そこに至る伏線の置き方などはなかなか斬新である。惜しむらくは全体にテンションの安定した演出と話運びのために、全体に緊張感を保ちながらも中弛みした印象を齎す点だが、そういう意味で不満を抱いたとしても、一本の物語として悲壮感と爽快感とを合わせたカタルシスを構築し、更に次のエピソードへの興味を惹くように仕向けている点で極めて優秀だ。
本編で発生した事件についてはほぼ決着しているものの、その外側で解かれていない謎も多い。たとえばオリガは何の罪によってフクロウの姿形に身を窶していたのか。アントンと、本来彼と敵対するはずの“闇”に属する隣人との関係は如何に築かれたのか。いやもっと下がって、そもそも“光”と“闇”の抗争のきっかけは何処にあったのか。二人の主導者が今回の物語を受けて次に選ぶ道は何なのか――
だが、解決していないことが多いから駄作、という結論になろうはずもない。それを徹底して魅力的に見せた本編は充分に、ハリウッドなど映画先進国の作品に比肩する作品である、と断じよう。だから既にロシアでは公開されている第2作『デイ・ウォッチ』も、どうやらアメリカ資本と提携して製作される可能性も仄めかされている完結編『ダスク・ウォッチ』もちゃんと日本に持ってきてくださいお願いします。(2006/04/02)