/ 『誰も知らない Nobody Knows』
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『light as a feather』トップページに戻る誰も知らない Nobody Knows
監督・脚本・編集・プロデューサー:是枝裕和 / ゼネラルプロデューサー:重延 浩、川城和実 / 企画:安田匡裕 / 企画協力:小林栄太朗、李 鳳宇 / アソシエイトプロデューサー:浦谷年良、河野 聡 / 撮影:山崎 裕 / 録音:弦巻 裕 / 美術:磯見俊裕、三ツ松けいこ / 音楽:ゴンチチ / 挿入歌:「宝石」タテタカコ(Vap) / スチール:川内倫子 / 広告美術:葛西 薫 / 出演:柳楽優弥、北浦 愛、木村飛影、清水萌々子、韓 英恵、YOU、串田和美、岡元夕紀子、平泉 成、加瀬 亮、タテタカコ、木村祐一、遠藤憲一、寺島 進 / 制作プロダクション:テレビマンユニオン / 配給:cinequanon
2004年日本作品 / 上映時間:2時間21分
2004年08月07日公開
公式サイト : http://www.daremoshiranai.com/
新宿武蔵野館1にて初見(2004/11/06)[粗筋]
都内にある2DKのアパート。大家の元に挨拶にやってきたのは福島けい子(YOU)と明(柳楽優弥)の親子ふたり。だが、親子が引っ越し屋に任せず手ずから運び込んだボストンバッグのなかから茂(木村飛影)とゆき(清水萌々子)のふたりが出て来て、遅れて電車経由で京子(北浦 愛)も加わった。福島家はこの五人――父親はいない。それどころか、子供達はみな、学校にも通っていないどころか、世間的に認知もされていない。
子供達四人はみな父親が異なる。それぞれ誰が父親であるかだいたいは見当がついていたけれど、特に必要と感じていなかった。大家に対しては子供は明ひとりというふうに伝えており、発覚すると転居する、ということを繰り返している。仕事が忙しく日中はずっと留守にしている母に代わって明が炊事を、京子が洗濯をして家庭を守り、小さな子供ふたりはなるべく騒がず家からも出ないように命じられている。かなり特異な境遇ではあったが、けい子は彼女なりに子供達を愛し、明たちもこの状況を自然に受け入れていた。福島家は一風変わったなりに、幸せに暮らしていた――はずだった。
けい子の帰りが遅くなった夜が明けると、既に母の姿はなく、代わりに二十万円と「京子、茂、ゆきをよろしくね」と記した明宛の書き置きだけが残されていた。戻らぬ母を待ちながら、明は金をやりくりして家を守る。だが、二十万円程度、家賃と光熱費を払えば簡単に飛んでしまう。ひと月ほどけい子が戻らなかっただけで、福島家の家計はピンチに陥った。しかし明も慣れたもので、さっそくけい子のかつてのボーイフレンドであるタクシー運転手の杉原(木村祐一)やパチンコ屋の店員・京橋(遠藤憲一)のもとを訪ねて金を工面する。不況の折、杉原は気づかぬふりを貫き、京橋が不承不承差し出した五千円だけが収穫だった。
数日後、ようやくけい子が帰ってきた。お土産を手渡され茂やゆきは上機嫌だが、京子や明は複雑な面持ちをしている。ふたりとも、母が仕事ではなく男の元にいたことを薄々察していた。すぐさまもういちど家を出て行った母を見送りがてら、明は詰問するものの、けい子はどこ吹く風という素振りを崩さない。
クリスマスには戻ってくる、と言いおいていった母だったが、約束が守られることはなかった。代わりに届いたのは僅かな金を詰めただけの現金書留。明は書留に記されていた住所から番号を割り出し電話をかけたが、「山本です」と名乗った母の声に愕然として、何も言うことが出来なかった――このとき明は、自分たちが母に捨てられたことを悟った。
明はその事実を弟や妹に知られるまいとした。年が明けるとなけなしの仕送りから許される最小限の額をポチ袋に詰めて、いつか親しくなったコンビニ店員の女性(タテタカコ)に宛名を書いてもらって、母からのお年玉と称して京子たちに手渡す。
日増しに少なくなっていく生活費と格闘しながら、明はギリギリのところで必死に家族を守ろうと努力しつづけた。だが……[感想]
物語は1988年に発覚し世間を騒がせた西巣鴨の子供四人置き去り事件、と呼ばれるものを原型としている。本編と同様、それぞれ父親の異なる子供四人を産んだ母親が、ある男と一緒に暮らすために子供達をアパートに放置した。子供達は時折送られてくる仕送りだけを頼りに半年間生活しつづけたが、末の妹が死亡したことで事態が発覚する。四人とも出生届が出されておらず、世間的にまったく認知されない存在であったことも同じだ。
ごく常識的な見地からすれば、責められるべきは母親の無責任さだろう。だが、是枝監督はそれでも母親が四人の子供を育て、そして捨てられた子供達――特に長男が、弟妹、ひいては家族を守ろうと必死になっていた事実に着目した。そうして、舞台を現代に置き換え、状況のみをトレースして独自の解釈のもとに事件の再構築を試みたのが本編、ということらしい。
物語は終始、明の視点で綴られるが、ナレーションなどの説明は一切省かれている。その代わりに要領を得た描写によって、彼らの置かれた状況を実にスムーズに観客に伝える。たとえば四人の子供達がいずれも世間的に認知されていないこと、四人が四人とも父親が異なること、学校にも行かせて貰えない状況ながら子供達はそれを母の愛情故と理解し、それぞれに母親を愛していることなど、具体的な表現がなくともきちんと把握できる。
だが、それでも母親は子供達を捨ててしまう――まるっきり見捨てたつもりはないのだろう、というのも察せられるのが尚更に痛い。いちばんよく解るのは、最後に届く仕送りの場面だ。この仕送りが届けられるきっかけは、明がある理由から母親にあてて、なけなしの小銭をはたいて電話をかけたものの、呼び出しを待つあいだに手持ちが尽きてしまった、という一幕なのだ。このときは母が出るまで通話を続けることさえ出来なかったが、けい子はそれをSOSと受け止めたのだろう。直接訪ねることはせずお金だけ、というのはやはり無責任の誹りを免れないが、明たちに心を残していることだけは解る。明自身もそれを承知しており、封筒を握りしめる彼の表情は無に近いが、引き裂かれそうな想いが、そうでなくても沈痛な場面を更に重くする。
それにしても、この物語の異様なリアリティはどうだろう。無論、実際の事件に基づいているのだからある程度のリアリティは予め付与されていると言っていいのだけれど、元となった事件の発覚した頃とは異なる現代の事情や、漏れ聞く事件の状況からするとここまで追い込まれはしなかっただろう、という箇所までが実に生々しく描かれていることに驚かされる。学校に対する憧れのあった明は、学校に通う代わりに生活費の一部でゲーム機を購入して、それを餌に友達を作るが、万引きが出来なかったばかりに友達から見放される。ふたたび学校に彼らを訪ねたとき、その少年たちは明からまださほど遠ざかりもしないうちに別の友達に「あいつの家、臭いんだよ」と語る。やがて光熱費の支払いが出来なくなると電気、ガス、ついには水の供給までが絶たれるが、子供達は近所の公園で水を汲んで飲料とし、食事はコンビニの賞味期限切れとなった弁当や総菜の類を恵んでもらって食いつなぐ。危機的な状況に、たまたま明たちと親しくなった少女が選んだのは援助交際という手段だった――こうしたディテールは1988年当時の事件にはあったと考えづらく、よく検証しながら現代に置き換えていることが解る。
描写に説得力を与えるのは、いかにも演技してます、というようなわざとらしさの皆無な子供達である。これにより史上最年少のカンヌ映画祭主演男優賞を獲得した柳楽優弥もさることながら、茂役の木村飛影とゆき役の清水萌々子の天真爛漫さ、京子を演じた北浦 愛や、のちに福島家の子供達と親しくなる紗希を演じた韓 英恵の繊細な表情がしばしば胸を打つ。また、序盤で見せる母親役・YOUの、まるでバラエティ番組で見る彼女の姿の延長上にあるようなほとんど飾りっ気のない演技が、子供達の表情にもう一本筋を通していることも指摘しておきたい。
そしてもうひとつ、カメラワークの実に美しいことにも注目したい。次第に荒廃していきながらも生々しく強烈な生活感を放ちはじめるアパートのなか、常に同じアングルから映される街角とそこを様々な表情で歩いて行く明の様子、そして終盤のキーポイントとなるモノレールと飛行機の捉え方など。凄惨な物語であるにも拘わらず、そうした絵の作り方が非常に巧く、子供達の演技と相俟って清澄なイメージを作りあげている。
物語は現実とは少々異なる決着を迎える。部分的には共通しながら、子供達の奇妙な共同生活はなおも継続するように描かれて、物語は幕を下ろす――だが、眩いほどの希望の光はない。ごく現実的なものの見方が出来る人であれば、新たに幾つもの難しい要素を孕んでいることに気づくはずだ。
いささか尺が長く、内容的にもハードなので、鑑賞したあとの消耗感が著しいが、観たものの心の中に確実に何かを残す名編である。その気になれば幾らでも語ることが思いつくのだけど、既に収拾がつかなくなっているのでこの辺で切り上げます。とにかく、間違いなく一見の価値がある作品である、とだけは明言しましょう。ひとつだけ追記。
観る前から気になっていたことだが、鑑賞したあととなって尚更気懸かりに思えてきたことがひとつある。しつこいようだが本編の演技によってカンヌ映画祭主演男優賞を獲得した、柳楽優弥のその後だ。
この作品における彼の存在感、そして飾らない演技は確かに秀逸だ。とりわけその眼が実に力強く、この作品限りとならない逸材の香気を感じさせる。
だが、その存在感は本編ぐらいに重さがあり、またドキュメンタリー風の演出を旨とする監督だからこそ引き出せたものだ、という気がしてならない。その眼の強さが、出演するあらゆる作品でものを言うことは確実だと思われるが、本当に彼を活かすには作品の質のほうが重要だろう。中途半端な代物では作品の駄目さを際立たせるだけだし、彼にとってもいい方向には働くまい。
主演男優賞を受賞したことによって柳楽少年は引っ張りだこになり、日本公開直前のキャンペーン活動では目玉である彼が忙しすぎるために監督と母親役のYOUのみ姿を現す、という一幕さえ私は眼にしている。だが――そこまで忙しかったわりには、彼の存在をきちんと活かし、質的にも認められた作品というのを私は知らない。
願わくば、本当に優れた作品にて改めてその存在感を見せつけて欲しいところである。実際、下手をして腐らせてしまうには勿体ない逸材だと思うのだ。(2004/11/10)