cinema / 『ストーカー』

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ストーカー
原題:“One Hour Photo” / 監督・脚本:マーク・ロマネク / 製作:クリスティーン・ヴァション、パメラ・コフラー、スタン・ヴロドコウスキー / 製作総指揮:ロバート・B・スターム、ジェレミー・W・バーバー、ジョン・ウェルズ / 撮影監督:ジェフ・クローネンウェス / 美術:トム・フォーデン / 編集:ジェフリー・フォード / 衣裳デザイン:アリアンヌ・フィリップス / 音楽:ラインハルト・ハイル&ジョニー・クリメク / 音楽監修:クリス・ドゥリダス / キャスティング:デボラ・アキーラ,CSA、トリシア・ウッド / 出演:ロビン・ウィリアムス、コニー・ニールセン、ミシェル・ヴァルタン、ゲイリー・コール、エリック・ラ・サール、ディラン・スミス、エリン・ダニエルス、クラーク・グレッグ、ポール・ハンセン・キム / 配給:20世紀フォックス
2002年アメリカ作品 / 上映時間:1時間38分 / 日本語字幕:古田由紀子
2003年02月02日日本公開
公式サイト : http://www.foxjapan.com/movies/onehourphoto/
日比谷シャンテ・シネにて初見(2003/03/05)

[粗筋]
 ヴァンダージ刑事(エリック・ラ・サール)は弁護士が来るまで何も喋らなくていい、という前提で、サイ・パリッシュ(ロビン・ウィリアムス)に動機を訊ねた。ウィル・ヨーキン(ミシェル・ヴァルタン)に恨みがあったのか、と。サイは穏やかな調子で語り始めた。
 サイが巨大ショッピング・センターの写真コーナーに勤務するようになって14年になんなんとしていた。自分の仕事には誇りを持っている。雑な現像をせず、常連客に笑顔を向け雑談をすることも忘れない。
 様々な常連客の中で、サイがとりわけ気に留めている人々がいた。ニーナ・ヨーキン(コニー・ニールセン)は9年前の妊娠からずっとサイの写真コーナーを利用しており、一人息子のジェイク(ディラン・スミス)が生まれる前からの付き合いとなる。ニーナたちは知る由もなかったが、サイは彼女が妊娠した頃から、ヨーキン一家が持ち込むフィルムを1セット多く現像していた。それらの写真は、寒々としたサイのアパートの壁一面に飾ってある。妻も子供も係累もない孤独なサイにとって、ヨーキン一家との愛のある生活を想像することが唯一の楽しみであり、幸福だった。
 だが、それ故にサイは、傍目に幸せそうなヨーキン一家に僅かに歪みが生じていることも悟っていた。寂しげな表情を見せるようになったジェイクに誕生日のサービスと称して使い捨てカメラを進呈し、偶然を装ってジェイクの所属するサッカークラブの練習場を覗いて、欲しがっていたおもちゃをこっそり与えようとしたのも、気遣いのつもりだった。だが、カメラはともかく、おもちゃについては「知らない人からもらうと、パパに怒られるから」とジェイクは拒む。
 破局はある日唐突に訪れた。廃液処理をしている最中、サイは店長のビル(ゲイリー・コール)に呼びだされ、解雇を言いわたされた。現像の注文量とポジの消費に数百枚という違いがあること、現像機の整備のことで客を前に声を荒げたこと、そして店の方針にない誕生日のサービスを施したこと――そうした細かな積み重ねが、ビルの心証を悪くしていた。茫然自失のままカウンターに立ったサイの元を、ニーナとジェイクの親子が訪れて、あの誕生日プレゼントの現像を頼んでいった。おもちゃばかりを撮した他愛もない写真を眺めながら、サイは涙を流す。
 自宅に戻ったサイは、ふと妙なことに気づいた。つい先日、現像を依頼したマヤ(エリン・ダニエルス)という女性の顔に見覚えがある、と思っていたところ、サイは壁を飾ったヨーキン一家の写真の中に彼女の姿を発見したのだ。夫のウィルが経営する会社で行われた野球大会の記念写真。サイは早朝、他の店員が出勤する前のショッピング・センターに忍び込み、現像済みのマヤの写真を取り出す。そこには、裸で睦みあうマヤとウィルの姿があった……

[感想]
 日本とアメリカのスーパーマーケットの違いは、扱っている商品の量にある。移動手段のメインが自家用車である郊外生活者の人口が多く、一つの店で買いだめする傾向にあるから、スーパーには同じ商品が大量に整然と積み上げられ、品数も各種食品からPC製品まで幅広い。巨大で清潔な店内に整然と商品が並んだ棚を眺めていると眩暈がして、時として慄然とすることがある。
 本編の視点人物であるサイが働くのがそうした店の一つであり、彼の暮らすアパートもまた異常に物が少なく、整然としている――それだけに、壁に秩序正しく貼り付けられた、ヨーキン一家の歴史を物語るような写真群が不気味に映る。
 一方、ヨーキン一家の自宅は騒々しいほど雑然としている。ものに溢れ、一人息子ジェイクの部屋はおもちゃで散らかり放題だ。いかにもアメリカの家庭らしく、折々にホームパーティーを行い、現像する写真は人で溢れている。
 ロビン・ウィリアムスはサイという人物の狂気を演じながら、しかし彼が一方で常識的すぎるほどの常識人であることもきっちりと表現している。同時に、理想的な家庭の孕む危険と虚飾とを、サイの生活と対比させることで間接的に、しかし容赦なく描き出してもいる。両者のコントラストが、映像的にも心理的にも効果を生んでいるのだ。
 ジャンル分けするならばスリラーに属する内容だが、直接的に描かれる暴力はない。緊張感を巧みに演出し利用して、心にメスを入れるが如き手腕を示している。血はほとんど流れないのに、異様に痛々しい。
 緊張感に富み、ところどころに不気味な要素をちりばめながらも、全体は地味に進行する。あくまで数日間の出来事のみに触れ、過去や背景を過剰に語らないあたり、物足りなさを感じる向きもあるだろうが、いっそ潔さが漂っている。何より、観客がいちばん知りたいことの幾つかを完璧に伏せ、最後のたった一枚の写真に象徴させるあたりが憎い。
 地味で丁寧で、哀しく透明な余韻を残す佳作。題名とは裏腹にセンセーショナルな要素が少なく、話題にならないのも致し方ないところだが、ちょっと勿体ない。

 ところでこのマーク・ロマネクという監督、最近多いミュージック・クリップ畑出身の人物であり、そちらでの仕事が多かったためか、長篇映画は17年ぷりだという。17年振りの作品を、ロビン・ウィリアムスの悪役という話題つきとは言えこんな地味な作品にするとは、ある意味ただ者ではない。

 もひとつ余談。作中、サイがジェイクの気を惹くためにあげようとしたおもちゃ、粗筋では余分だったため名前を出さなかったが、『新世紀エヴァンゲリオン』のそれである。パッケージにも普通に日本語で表記されていて、筋とは関係ないところで笑ってしまった。
 しかし、受け取って貰えなかったエヴァはその後、物の少ないサイの自宅の机を飾り、その孤独感を表現するガジェットの一つとして用いられている。巧い。

(2003/03/06)


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