cinema / 『陰陽師II』

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陰陽師II
原作・脚本:夢枕 獏 / 監督・脚本:滝田洋二郎 / 脚本:江良 至 / 製作総指揮:植村伴次郎 / キービジュアル・コンセプトデザイン、衣装デザイン:天野喜孝 / VFXエグゼクティヴ:二宮清隆 / 撮影:浜田 毅、J.S.C. / 美術:部谷京子 / 編集:富田伸子 / 音楽:梅林 茂 / VFX製作:OMNIBUS JAPAN、東北新社 / 出演:野村萬斎、伊藤英明、今井絵理子、市原隼人、深田恭子、伊武雅刀、古手川祐子、中井貴一 / ナレーション:津嘉山正種 / 製作:東北新社、TBS、電通、角川書店、東宝、MBS / 配給:東宝
2003年日本作品 / 上映時間:1時間55分
2003年10月04日公開
公式サイト : http://www.onmyoji-movie.com/
日劇PLEX1にて初見(2003/10/13)

[粗筋]
 闇に妖魔の跋扈する平安の京。その頃、内裏を騒がせていたのは、日蝕の夜から出没するようになった、体の一部を喰らう鬼の存在であった。ある者は肩を、ある者は耳を、またある者は口を――そして先夜、神を祀る職にある斎部定行が襲われ、足の肉を食われて絶命した。解決は京随一の陰陽師・安倍晴明(野村萬斎)に委ねられるが、この男相変わらず腹の底が読めない。
 同じ頃、晴明の刎頸の友である源 博雅(伊藤英明)はふたりの人物と出会った。ひとりは右大臣・藤原安麻呂(伊武雅刀)のひとり娘にして、鬼も恐れをなす男勝りとして知られる日美子(深田恭子)。相次ぐ怪現象を鎮めるために催された宴の席で彼女の姿を見るなり一目惚れしてしまった博雅は、夜も眠れぬという情けない状態に陥り、晴明にいいように揶揄われる。
 いまひとりは、深更のあばら屋で琵琶を奏でていた若者・須佐(市原隼人)。その音色に誘われるようにあばら屋を訪れた博雅は即興で笛を合わせ、束の間心を通わせるのだった。須佐が奏でた玄妙な旋律は、彼の生まれ育った村に伝わるものだという。
 ある日、晴明は帝(螢雪次朗)に呼び出された。内裏に保管されている宝物のひとつアメノムラクモの剣が、あの日蝕から夜毎に鳴り響くようになったのだという。18年前にも同じ現象があり、そのときは何事もなかったと記録にあるのだが、帝や安麻呂は怪しい気配を感じていた。晴明は剣を調べるが、傍目にはこれといった異常は見られなかった。藤原家やそれに与すると思われている晴明を快く思わない平為成(鈴木ヒロミツ)や三善行憲(山田辰夫)らはその様を嘲笑うが、晴明は意に介さなかった。帝の重ねての要請を受けて、晴明は剣の由来を調査しはじめる。
 一向に進展しない鬼の調査に加えて、剣の一件での失態という材料を得た平為成らは、この隙に付け入ろうと目論んだ。手をかざすだけでどんな傷をも癒すことで、市井の者から神のように崇められつつある術師・幻角(中井貴一)を招請し、解決に当たらせた。折りも折り、アメノウズメノミコを祀る神社の巫女・景子(能世あんな)が鬼の魔手にかかり、左目を食われて絶命し、その殺害現場で晴明と幻角は邂逅する。幻角は晴明が既に鬼の正体をある程度察している、と踏んだ幻角は探りを入れるが、晴明は「あれは鬼であって鬼ではない」と謎めいた言葉で返して、その場を去る。
 景子が殺されたその夜、もう一つの出会いがあった。傷ついて京を彷徨っていた須佐を日美子が見つけ、傷を癒し邸内に匿ったのだ。翌日、日美子の歓心を引くために、須佐から教わった旋律を奏でるつもりで安麻呂邸を訪れた博雅は、日美子の前で須佐と共演する。日美子はその旋律に聞き覚えがあると言って涙を流し、やがて須佐は左腕を押さえながら苦しげにうめき始め、邸から遁走する。一方の日美子は、右腕の痛みを必死に堪えていた……

[感想]
 既に貫禄さえ漂わせる安倍晴明=野村萬斎の第2作である。
 まず言うと、地理的なことや考証の面で問題を抱えていることは確かだ。作品の重要な舞台として「出雲村」なるものが登場し、記紀神話に想を得た幾つものガジェットが作品を彩っているが、現実の歴史と並べるとかなり異同がある。作中では平安京から出雲村のあいだはさほど隔たってないように描かれているが、実在の出雲はとても人の足で一日のうちに移動できる距離ではないし、神話の解釈にしてもかなり創作が混ざっている。
 が、こうした点は、2時間近い尺の物語を支え、映画的なスペクタクルを演出するための潤色としては相応しいものだろう。こと、前作で既に平安京の来歴に関わる大きなテーマを扱ってしまっただけに、それに匹敵するテーマと敵を用意しなければいけない、という縛りは観客側にも制作者側にもあったはずだ。そういう意味では、賢明な処置だったと言える。
 そして、極めて濃密となった神話の空気を再現するために、野村萬斎という役者が備えるバックボーンが効き目となっている点も見逃せない。陰陽道の怪しげな雰囲気を醸し出すために、即興的な舞踏を交えているのは前作同様だが、その物語への貢献度は前作よりも遙かに高い。とりわけクライマックスにおける妖しくも玄妙な雰囲気は、野村萬斎の舞があってこその仕上がりで、他のどんな役者がや演じたとしてもああまで美しくはならなかったに違いない。
 歴史や舞台を捏造してまでも、野村萬斎という役者で力を得た安倍晴明を活かそうとした、実に弁えた作りの映画である。粗筋の乱雑さや史実からの遊離などは、些細な疵に過ぎまい。
 ただ、物語で重要な役割を果たす日美子と須佐、どちらも役者の実力のせいか気迫に乏しく説得力を欠くものになってしまったのが残念だった。中井貴一の演じる幻角が見事に晴明と渡り合っているだけに、余計にそう感じるのである。

 まだ正式な発表こそないものの、既に第三作、それ以降の続編も約束されたような印象を受ける本編だが、となると気になるのは今後の敵役である。前作では真田広之が晴明と同じ陰陽道の使い手を演じ、本編では中井貴一がその座に就いた。では次作、このふたりに比肩するほどの敵役を誰が演じうるかというと……佐藤浩市ぐらいしか思い浮かばない。いや、その気になれば唐沢寿明とか江口洋介とか、やや若く木村拓哉やオダギリジョーあたりも挙がってくるように思うのだが、どーせ今後の日本映画界を支えるであろう才能をふたりまで起用したのなら、残るひとりも使ってくれないかなー、と願ってしまうわけで。
 実際に発表があった訳じゃないのに今からそんなことで気を揉むなよ、と自分でも思うが。

(2003/10/14)


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