cinema / 『ワイルド・レンジ 最後の銃撃』

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ワイルド・レンジ 最後の銃撃
原題:“Open Range” / 原作:ローレン・ペイン / 監督:ケヴィン・コスナー / 脚本:クレイグ・ストーパー / 製作:デイヴィッド・ヴァルデス、ジェイク・エバーツ / 製作総指揮:クレイグ・ストーパー、アーミアン・バーンスタイン / 撮影監督:ジェームス・ミューロー / 美術:ガエ・バックリー / 編集:マイケル・J・ダシー、ミクロス・ライト / 衣装:ジョン・ブルームフィールド / 音楽:マイケル・ケイメン / 出演:ケヴィン・コスナー、ロバート・デュヴァル、アネット・ベニング、マイケル・ガンボン、マイケル・ジェッター、ディエゴ・ルナ、ジェームズ・ルッソ、アブラハム・ベンルビ、ディーン・マクダーモット、キム・コーツ / 配給:日本ヘラルド
2003年アメリカ作品 / 上映時間:2時間20分 / 日本語字幕:戸田奈津子
2004年07月03日日本公開
公式サイト : http://www.herald.co.jp/official/wild_range/index.shtml
銀座シネパトスにて初見(2004/07/31)

[粗筋]
 19世紀末頃、アメリカ西部。居留地を定めずに牛を放牧する、“オープン・レンジ”或いは“フリー・グレイザー”とも呼ばれる牧畜を行いながら、延々と旅を続ける四人の男達の姿があった。リーダー格であるボス・スピアマン(ロバート・デュヴァル)、寡黙なチャーリー・ウェイト(ケヴィン・コスナー)、大食漢のモーズ(アブラハム・ベンルビ)、最年少のバトン(ディエゴ・ルナ)――お互いに訳ありの身分であることを承知のうえ、通称のみで呼び合いながら詮索することなく生活を共にしていた。
 嵐をやり過ごしたある日、食料を調達に街へと出かけたモーズが、数日経っても戻らなかった。バトンを留守番に置いて、ボスとチャーリーは近くにあるハーモン郡へと赴く。
 モーズは喧嘩をしたというかどで、保安官事務所に拘留されていた。プール保安官(ジェームズ・ルッソ)とともに保安官事務所にふんぞり返っていた地元の農場主にして顔役のバクスター(マイケル・ガンボン)は、自分の地所をフリー・グレイザーであるボスたちが通ることを快しとしていない。プール保安官は法外な保釈金を要求し、牢から連れ出したモーズは手ひどい傷を負っていた。ボスたちは気のいいパーシー(マイケル・ジェッター)の紹介で街はずれに居を構えるバーロウ医師(ディーン・マクダーモット)のもとを訪れ、モーズに治療を施したあとキャンプ地に帰還する。
 モーズの回復を待ってしばらくその地に滞在していた彼らの様子を、不審な白い覆面姿の男達が窺っていた。彼らがモーズを痛めつけた人間の仲間であると察知したボスとチャーリーは夜陰に紛れて男達を急襲し痛めつける。だが、戻ったふたりを待っていたのは、何者かに襲われ倒れたバトンとモーズ、そして愛犬の姿だった。
 モーズと愛犬は死亡、バトンは息こそしているが脳震盪を起こして目を醒まさない。ボスたちはバトンをバーロウ医師のもとに連れていくが、折しもふたたび訪れた嵐のために、バクスターの農場を訪れたまま医師は戻っておらず、代わりに医師と同居するスー(アネット・ベニング)に預ける。バクスターらのあまりの横暴ぶりに、ボスとチャーリーは復讐を決意した――

[感想]
 ケヴィン・コスナーが西部劇に愛着を抱いていることは今更説明するまでもないだろう。監督としてアカデミー賞に輝いた『ダンス・ウィズ・ウルブス』をはじめ、『シルバラード』『ワイアット・アープ』といった代表作がある。本編は、そのケヴィン・コスナーにとっても久々だが、ハリウッド全体を眺めても久々の本格的な西部劇だ。
 なまじ久々であるだけに、ほとんど躊躇いもなく王道を突っ走った作品となっている。狭量かつ横暴な農場主に支配された西部の小さな町。土地に暮らす女性と、町を訪れた無宿者とのロマンス。農場主との確執の末、クライマックスに幕を開ける壮絶な決闘。西部劇というものにあまり触れたことのない人間でも、こうでなきゃ、と感じる要素を徹底的に注ぎ込んでいる。
 その一方で、現代に作られる西部劇として、従来はあまり描かれなかったヒーローの人間性に着目していることが出色だ。仲間たちの信頼を受ける貫禄と包容力を感じさせるボス、剣呑な過去を匂わせながらどこか子供っぽく不器用なチャーリー、牛追いたち四人の中でいちばん付き合いの長いふたりの心理描写が丁寧に行われている。彼らの戦闘能力を過剰に喧伝しない代わりに、妙にコミカルな会話や繊細な言葉のやり取りの中に過去や能力を窺わせることを忘れていない。終盤まであまり派手さも残酷さもない展開が続くが、開拓時代の雰囲気を再現した映像とヒーローふたりと町の人々、農場主や彼に雇われた悪党たちとのやり取りを巧みな呼吸で織りあげ、飽きさせずに話を進めていく。
 しかし白眉はやはりラスト20分ほどを飾る銃撃戦だろう。本国でもそのリアリティが絶賛されたという一幕だが、なるほど派手な動きや非現実的な反応はない代わりに一挙手一投足が生々しく、銃撃音とその的中する響きが実に重い。昨今の映画では観られない、リボルバーの引き金を引いたまま撃鉄を繰り返し下ろすという早撃ちの手法(ファニングと呼ぶらしい)や、壁越しに見える影を狙い撃ちする、などといった技も登場し、この僅か数分の見所が多い。しかも、序盤の少々間延びしたと感じられる箇所で、このクライマックスの伏線がきちんと張られているのだ。
 あまりに綺麗に片が付き、チャーリーとスーの恋模様に終盤時間を割きすぎているように感じられるのが疵だが、しかしそこにさえ“娯楽の王道”としての西部劇を作り上げよう、というスタッフの意気込みを感じさせる。
 舞台は極度に絞られ、派手さはなく、彩りとなる恋模様も当事者が大人すぎてちょっと枯れた色合いになっている。しかしそれだけに渋い味わいのある良品だった。――ただ、彼らの旅の終わりと同時に、西部劇の終わりさえ暗示しているかのようなラストシーンが、ハッピーエンドにも拘わらず切なく感じられたのは、私だけだろうか。

 ……それにしても、全米での公開から一年足らずにも拘わらず死者の多い映画である。原作者のローレン・ペインは映画化権売却当時は存命だったもののこのキャストによる製作が決定した時点で亡くなっていたそうだし、音楽のマイケル・ケイメンは公開後に他界。キャストの中にも、昨年春に亡くなったマイケル・ジェッターがいる。むろん、ただの偶然にすぎないのだろうけれど。

(2004/08/01・2004/08/03誤字訂正)


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