cinema / 『アザーズ』

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アザーズ
原題:“the Others” / 監督・脚本・音楽:アレハンドロ・アメナーバル / 製作:トム・クルーズ、ポーラ・ワグナー、ボブ・ウェインスタイン、ハーヴェイ・ウェインスタイン、リック・シュワルツ / プロデュース:フェルナンド・ボヴァイラ、ホセ・ルイス・クエルダ、サンミン・パーク / 撮影:ハビエル・アギーレサロベ / 美術:リカルド・スタインバーグ / 出演:ニコール・キッドマン、フィオヌラ・フラナガン、クリストファー・エクルストン、アラキナ・マン、ジェームズ・ベントレー、エリック・サイクス、エレーン・キャシディ / 配給:GAGA-HUMAX
2001年アメリカ・スペイン・フランス合作 / 上映時間:1時間44分 / 字幕:太田直子
2002年04月27日日本公開
2002年11月20日DVD日本版発売 [amazon]
公式サイト : http://www.others-jp.com/
お台場シネマメディアージュにて初見(2002/04/29)

 お断り
 いつも通り粗筋・感想の順序でご紹介するが、もし本編を純粋に楽しみたい、というのであれば、未見の方は御覧にならないよう忠告する。間違いなく、予備知識が最小限であればあるほど恐怖し、戦慄し、胸の震える一本であるからだ。もし出来に一抹の不安を抱いている、という方があるなら、最終的にどう評価するにせよ「一見の価値はある」と申し上げておく。ホラーとしての完成度は極めて高く、上品で、そして美しくも悲しい――
 既に鑑賞済である、或いはなんとなくオチが察せられても構わない、という方だけ画面をスクロールしていただきたい。









































[粗筋]
 1945年、終戦直後のイギリス・チャネル諸島。グレース(ニコール・キッドマン)は光アレルギーのために日光を浴びることの出来ないアン(アラキナ・マン)とニコラス(ジェームズ・ベントレー)という二人の子供と供に、出征から1年半を経ても戻らない夫チャールズ(クリストファー・エクルストン)を待ち焦がれながら、広大な屋敷をカーテンで闇に鎧いつつ暮らしていた。ただ一筋の光も子供達のもとに辿り着かないように、部屋を移るたびに鍵を掛け、一方の扉を閉じてから別の扉を開ける、という用心深さでもって。
 ある日、屋敷に3人の訪問者がやって来た。慈母のような風貌のミセス・ミルズ(フィオヌラ・フラナガン)、鷹揚な物腰の庭師ミスター・タトル(エリック・サイクス)、ある事件以来言葉を失ってしまったという家政婦のリディア(エレーン・キャシディ)――グレースは募集広告を出し損なったのにやって来た彼らを最初は訝しむが、かつてこの屋敷で働いていたことがあり、隅々まで知悉している、というミセス・ミルズの弁を信用して彼らを雇い入れる。
 そのしばらく前から、子供達は奇妙なことを口にし始めていた。この屋敷に、自分たち以外の誰かがいるという。迷信を口にするな、と子供達、特にその誰かと交流しているような言動をするアンをグレースは厳しく戒めるが、やがて彼女自身も屋敷の中に奇妙な気配を感じ始める。キッチンで刺繍をしていると上階の物音がうるさく、リディアの仕業と思ってミセス・ミルズに注意しに行かせると、二人が庭先で会話しているのが見えるのに、上での物音は止まない。階段を駆け上がり、上階に位置する物置部屋を探すが誰もいない――その彼女の背後で、閉じておいたはずの扉が再び閉まる音がした。
 屋敷の中に、確かに誰かがいる――その正体を知った瞬間、グレースたちの住む世界は反転した――

[感想]
 ……うーん、なるべく未鑑賞の人の興を殺がぬように書いたつもりだが、これでも割れてしまいそうな気はする。私自身、各所に上げられた感想や予備知識などと照らし合わせたために、開始数分で全体像が掴めてしまったほどなのだ。尤も細かい演出については完璧に予想できるはずもなく、特に謎が完全な形で明らかになる最初の場面、そこで用いられたシチュエーションなど、知識がある人間ほど膝を打ちたくなるはず。
 ともあれ、結末がなんとなく察せられても、決して本編の評価が下がることはないだろう。非常に丁寧な演出、道具立て、ストーリー展開に唸らされるはずだ。光アレルギーという子供達の設定は、時間に拘わらず建物の中に禍々しい気配を「闇」として宿す方法となるし、グレースの偏頭痛という持病は、BGMをひとたび断てば物語を静謐に閉じ込めることが出来る。何より、イギリスという舞台設定は、世界を封じ込めるための霧とゴシック建築を正当化する。そうしたガジェットを徹底的に使いこなし、特筆するべきは一滴も血を流させることなく恐怖を描写してみせた手際だ。この手法はホラー映画におけるひとつの理想だが、これを徹底することで清冽な美しさ、悲しさを物語と映像とに付与することに成功している。
 何せ早々と決着の予想がついてしまったため、そういう風に技術的なところから観るしか出来ないのが自分でも悔やまれるが、兎に角殆ど文句のつけようがない(若干疑問に感じる部分もあるが瑕疵に過ぎまい)作品であることは確かだ。そして何より、本編を価値あるものにした最大の要因は、ニコール・キッドマンに尽きるだろう。メイクアップアーティストが降参するほど完璧な美貌に往年のハリウッド女優たちを思わせてどこかクラシカルな演技、作品全体を支配する存在感。作品と監督のセンスに、キッドマンという稀有な女優が加わったことで成り立ったホラーの名編である。その顛末を評価するしないに拘わらず、一見の価値はある。

(2002/04/29・2004/06/22追記)


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