cinema / 『オトシモノ』

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オトシモノ
監督:古澤健 / 製作:久松猛朗 / プロデューサー:石塚慶生、榎望 / 原案:浅見敬、福島大輔、石塚慶生 / 脚本:古澤健、田中江里夏 / 撮影:水口智之 / 美術:丸尾知行 / 編集:大永昌弘、川瀬功 / VFXスーパーヴァイザー:長谷川靖 / 音楽:林祐介 / 主題歌:加藤ミリヤ『I WILL』(Sony Music Records) / 出演:沢尻エリカ、若槻千夏、小栗旬、杉本彩、板尾創路、斉木しげる、浅田美代子 / 配給:松竹
2006年日本作品 / 上映時間:1時間34分
2006年09月30日公開
公式サイト : http://www.otoshimono.jp/
渋谷Q-AXシネマにて初見(2006/09/30)

[粗筋]
 福田孝(佐藤和也)という男の子が行方をくらました。彼に限らず、水無駅の付近ではちかごろ謎の失踪が相次いでいる。その奇妙な“神隠し”は、やがて木村奈々(沢尻エリカ)の身近にまで波及する。母・靖子(浅田美代子)が心臓の病で入院を余儀なくされ、ふたりっきりで生活せねばならなくなった矢先に、その妹――範子(野村涼乃)が消えてしまったのである。奈々は範子が疾走する直前、孝少年と同じ内容の定期券を拾っていたことを思い出し、そこに妹の行方に関する鍵が隠されているのでは、と考えはじめる。
 同じころ、奈々の同級生・藤田香苗(若槻千夏)もまた奇禍に見舞われていた。忽然と姿を消していた恋人の須藤茂(北村栄基)が水無駅に突如舞い戻り、遭遇した香苗の首を絞めてきたのである。香苗に突き飛ばされ、線路に転落した茂はそこで我に返ったように「八重子に気をつけろ」と香苗に叫ぶと――電車の下に呑みこまれていった。
 そしてもうひとり。電車の運転手だった久我俊一(小栗旬)は、トンネル内を走行中、線路の上に転がる女を発見して電車を急停車させたが、確かめても屍体も何もない。上司の吉田(斉木しげる)は久我の話を信用せず、「少し休め」という言葉と共に彼を内勤に廻した。遺失物預所に身を寄せることになった久我は、同じ部署にいる川村(板尾創路)に「もう戻れないぞ」と揶揄されながら、現場に戻るために躍起になって働く。
 だがある晩、久我はふたたび奇妙なものを、今度は駅構内で目撃した。既に閉められた構内を、ひとりの女の子が歩いているのをモニターで確認、すぐに現場に向かったが、少女の姿はない。しかしきっちりと録画されていた映像に残る少女の姿は、奈々の失踪した妹・範子のように見えた。
 確認のために呼び出された奈々は、モニターのなかで力なく歩く範子の後ろに奇妙な女の影があることに気づく。しかし、駅員たちは取り合わず、また姿を確認されたことで範子の失踪をただの家出と片付けようとした。憤りながら、奈々は自分と同じものを見、そして何かに気づいたように見える久我に、協力するよう懇願するが、異様なものを目撃したことで現場を退けられた久我は、彼女を拒絶するのだった……
 繰り返す失踪事件と怪奇現象、それらの源にはいったい何があるのか……? 大切な家族を取り戻すために奔走する奈々は、やがて“呪い”の源泉へと肉薄していく……

[感想]
 特に突出した出来映えではないが、押さえるべきところを押さえた、丹念な仕上がりのホラーである。
 物語はダラダラとした伏線を仕掛けることなく、いきなり怪奇現象を提示してくる。まず小学生の男の子が異界のものに忽然と連れ去られてしまうさまを描くと、ほとんど間を置くことなく魔手は男の子の友達である女の子に延びていく。そうして女の子の姉という位置づけで主人公へと繋がっていくのだが、その流れに無駄がなく、急ぎすぎもせずしかし速やかだ。
 また、ホラー映画でありがちな、ある特定の人物の周辺に怪奇現象が生じすぎる違和感を、本編では三人に分散することで緩和させている。もともとヒロインである奈々はそういう出来事を直接目撃する立場ではなく、そんな彼女の物語を集約していく手続として他の二人を使っているという見方も出来るが、いずれにしてもこうすることで過剰な印象を抑えているのは巧みだ。
 3つの流れが合流していき、進んでいく終盤の筋運びもなかなか堂に入っている。ある人物の介入がいささか唐突であり、その人物と物語との縁についてもいささかつけすぎた感があるのが気になるが、しかし話の流れからすれば少なくともその人物がいた意味はあり、大幅な疵とはなっていない。構成が実に整っているのだ。
 その人物に関することも含め、この話には謎になったまま終わる部分が多い。すべてがきっちり締めくくられることを望む向きには気に掛かるポイントであろうが、しかしこれがホラーであり、解決された部分とされていない部分のバランスの匙加減を考えれば、残されている方が正解だろう。この点から本編に対して否定的な見解を抱くようなら、たぶんホラーを見ること自体に向いていない。
 あとは細かな描写がもっと恐怖を誘ってくれれば――という厭味はあるが、これは本稿を書いているわたしがもういい加減すれっからしになってしまったせいも多分にあるだろう。少なくとも、そんな私の目から見ても気配の作り方は絶妙だし、脇からいきなり現れる、という虚仮威しの類で脅かそうとしていない点は評価できる。恐怖を感じさせるポイントの作り方もよく考えられているので、寧ろ好感を抱いた。
 本編はホラーである以上に、その感動的な要素について宣伝でしばしば謳っていたが、なるほどそうしたドラマという面から見ても本編はなかなか優れている。キーポイントとなるのは、家に問題があるため進学に悩みを抱えるヒロイン・奈々と、ひとりぼっちでいたくないがために友達でもないと感じる連中とつるんでいた香苗という二人の関係である。優等生である奈々と、日頃から軽口ばかり叩いている香苗とは同級生であるということ以外に接点がなかったが、どうやら同じような、常識を逸脱した出来事によって親しい人を失っている、ということから接点を得る。そのあたりの描写の繊細さは出色であり、それが終盤の、初めて過剰になる怪奇描写のなかにあって緊張感とドラマとを盛り上げる役を果たしている。この点、電車の運転手についても同様だ。おかしなものを目撃したと衒いもなく口にしてしまったがために現場を外され、それ故に当初は奈々と同じものを見ながら口を噤んでしまう。その自然な流れと、終盤の意識の変化とが巧く話に波を齎している。
 そうした情緒的な部分が恐怖の部分と巧みにシンクロした結果、ホラーとして安定した仕上がりを示しながら、同時に快い後味を残すというドラマ性とをうまく共存させている。斬新さこそないものの、ツボをきっちりと押さえた優等生的なホラー映画。毒に乏しいことを嘆く向きもあるだろうが、こういう正統的なホラーがときどき作られるのはいいことだと個人的には思う。

(2006/10/04)


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