/ 『キャプテン・ウルフ』
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『light as a feather』トップページに戻るキャプテン・ウルフ
原題:“The Pacifier” / 監督:アダム・シャンクマン / 脚本:トーマス・レノン、ロバート・ベン・ギャラント / 製作:ロジャー・バーンバウム、ゲイリー・バーバー、ジョナサン・グリックマン / 製作総指揮:アダム・シャンクマン、ジェニファー・ギブゴット、デレク・エヴァンス、ギャレット・グラント、ジョージ・ザック / 撮影監督:ピーター・ジェームズ,A.C.S.,A.S.C. / 美術:リンダ・デセンナ / 編集:クリストファー・グリーンバリー / 音楽:ジョン・デブニー / 出演:ヴィン・ディーゼル、ブリタニー・スノウ、マックス・シエリオット、モーガン・ヨーク、ローガン&キーガン・フーヴァー、ボー&ルーク・ヴィンク、ローレン・グラハム、フェイス・フォード、キャロル・ケイン、ブラッド・ギャレット、クリス・ポッター / ウォルト・ディズニー・ピクチャーズ提供 / 配給:ブエナ ビスタ インターナショナル(ジャパン)
2005年アメリカ作品 / 上映時間:1時間35分 / 日本語字幕:菊地浩司
2005年10月29日日本公開
公式サイト : http://www.disney.co.jp/movies/captainwolfe/
丸の内TOEI2にて初見(2005/11/08)[粗筋]
米海軍特殊部隊の指揮官であるシェーン・ウルフ大尉(ヴィン・ディーゼル)にとって、それは初めての失態だった。核発射阻止のための特殊プログラム、通称“ゴースト”を開発中だったハワード・プラマー教授(テイト・ドノヴァン)が誘拐され、彼を奪還することが使命だったが、成功間近のところで教授は何者かによって殺害、シェーンもまた銃弾を浴びて重傷を負った。
二ヶ月後、ようやく退院したシェーンだったが、事件はまだ終わっていなかった。完成されていたはずの“ゴースト”は未だ発見されておらず、それを狙ったと思しい侵入者がプラマー教授の家に現れている。そこで上司のビル・ファウセット大佐(クリス・ポッター)はシェーンに家の警護と侵入者の捕獲を図ると共に、大佐がプラマー夫人のジュリー(フェイス・フォード)を伴い、スイス銀行にある教授の隠し金庫を開けに行く短い間、子供達の面倒を見るように命じる。教授の死に重い責任を感じていたシェーンに異存はなかった。
早速教授宅を訪れたシェーンだったが、この任務、意外にもかなり厄介な代物だった。
プラマー家の子供は総勢五人。
長女のゾーイ(ブリタニー・スノウ)は思春期まっただ中で、実のところ教授宅に現れた侵入者の正体は、彼女のところに忍んできたボーイフレンドだったらしい。着任早々ボーイフレンドを捕まえたシェーンは彼にお仕置きするが、「これでもう二度と来なくなる」とゾーイは怒り心頭のご様子。
長男のセス(マックス・シエリオット)は無口で、何を考えているか解らないタイプ。ふらっと姿を消したから部屋に閉じ籠もっているかと思えばただトイレに向かっただけだったり、学校ではやたらと軟弱で、受講しているレスリングの担当・マーニー教頭(ブラッド・ギャレット)はじめ生徒たちにも侮られている。
次女のルル(モーガン・ヨーク)は低学年だが早くも大人に見られたい年頃のようで、シェーンが幼児として扱うとつむじを曲げる。ガールスカウトの仲間たち共々、かなりおしゃまなところがあるようで、上のふたりに比べるとややシェーンの存在を受け入れるのは早いようだが……
そしてシェーンにとって最大の難物は次男のピーター(ローガン&キーガン・フーヴァー)と三男タイラー(ボー&ルーク・ヴィンク)である。まだまだ幼いピーターはシェーンたちの手を焼かせ、タイラーに至ってはまだおむつも取れずハイハイしか出来ない赤ん坊。戦いの世界しか知らなかったシェーンにとってこの二人は完全に異世界の存在だった。
プラマー夫人が発ったいま、何とかして自分のやり方で彼らを監督しようと、シェーンは軍隊式に子供達とベビーシッターのヘルガ(キャロル・ケイン)とをコードネームで呼び、自分を上官として命令には絶対服従するよう指示するが、当然子供達は反発する。
ゾーイとセスは彼を追い出そうと罠まで仕掛けるが、運悪くかかってしまったのはヘルガ。結果として彼女は日頃から溜まりに溜まっていた鬱憤を爆発させ、職場を放棄してしまう。いよいよシェーンは途方に暮れた――子供の面倒どころかおむつ替えさえ学んだことのない彼らに、護衛と子守りとを兼任するなんて、果たして可能なのだろうか?[感想]
本編は日本語吹替版と字幕版の2パターンが公開されているが、意図的に字幕版のほうを選んで鑑賞した。日頃からなるべくオリジナルの言語で聞きたい、と考えていることもあるが、主演のヴィン・ディーゼルの魅力のひとつはそのセクシーな声にもあると捉えている。吹替で彼の役を担当したガレッジセールのゴリが嫌いな訳ではないが、やはり前々からヴィンの声の魅力を知っていると、彼自身の声を聞きながら物語を楽しみたい、と思うのである。
ただ、そうしたことに拘らないなら、吹替版でも字幕版でもあまり変わらず楽しめる類の作品であろう。コメディと一口に言っても、会話のテンポやその言語独特の捻りを用いたユーモアが中心だと、吹替ではその面白みが充分に伝わらない危険が多々あるが、本編の場合その心配は少ない。
というのも、本編は会話ではなく表情や動きに重点を置き、仮に言葉のやり取りで盛り上げる場面であっても、決して凝った言葉遊びなどを用いていないからだ。こういうタイプの作品は、極端な話、台詞をあまり聞かず、画面だけ漠然と眺めていても楽しめる。ファミリーものを志向している作品としては、まず順当な配慮と言えよう。
対象を子供から大人まで問わずに作品を構築しようという心構えは、そもそも冒頭の、主人公シェーン・ウルフの普通の仕事ぶりを見せつつ本編へと導くためのシークエンスでいきなり窺われる。首尾良く一端は救出対象である教授を敵の船から奪還、任務を完了させたかに見えたところで、教授は家族に連絡しておきたいと言い出す。安全と言える場所に移動できるまで、と説得するが応じない教授にシェーンは折れ、先にヘリコプターに乗って操縦士に指示を出そうとするが、操縦士は既に息絶えており、慌てて外に出ようとした直前に銃声が鳴り響き、第二弾がシェーンの躰を弾き飛ばす。ここで教授が死んだことで、シェーンが教授宅に乗り込むための道がつけられることになるのだが、幾らでも残酷に描けそうなこの場面で、カメラは一滴も血を映していない。操縦士が撃たれるシーンなどまるでなく、教授が襲われたという事実も銃声のみで示し、シェーンが負傷したことはアングルのなかから彼が弾き飛ばされたことで窺い知れるのみ。直接銃口を向けられる場面も、血飛沫が舞うような描写も用意せずに、プロローグを終えている。
事件の背景は戦争絡みながら、あくまで物語のテーマが、海軍の英雄が何の因果か子守りの真似事をさせられ、抵抗を顕わにする子供や頑是無い赤ん坊相手に苦戦するさまを描くことにあるということをよく弁え、勘所にアクションを織り交ぜ、クライマックスも危機の連続ながら残酷さの欠片もなく描いている。
そのうえ、クライマックスにおける事件の解決に、ちゃんと中段の珍妙なホーム・コメディでの出来事や描写がきちんと奉仕しているのだ。やもするといたずらに暴力性が強調されたり、大団円がこじつけめくファミリー向けもどきもあるなかで、本編の作りはかなり誠実である。
起きていること、やっていることは滑稽だけれど、決して主人公やそれに準ずるキャラクターたちが、他人を侮ることで笑いを生もうとしていないことも評価できる。そうした側面が特に明瞭となっているのは、長男セスへの態度だ。選択したレスリングにまるで身が入らず、その理由を詳らかにしようとしない彼だが、やがてひょんなきっかけからシェーンは事情を知る。知られたことで卑屈になるセスに、シェーンは決して無理矢理レスリングのほうへと走らせることをせず、彼の夢を追い求めることを薦める。普通のコメディなら、レスリングに対する苦手が判明したところで即、無理にでも覚え込ませようとする場面だが、そこに一呼吸おくことで、相手の個性を馬鹿にしないという態度が明確になっている。
笑いの見せ方にもメリハリが効いている。前段では子供達の食い違いと、まだろくに意思の疎通も出来ない子供二人の世話に四苦八苦する様をそのままコメディとして描いているが、後半以降はそれを踏まえて、お互いに対する理解の様子じたいにおかしみを滲ませている。セスに関するくだりもさることながら、ゾーイやルルと心を通わせていくその過程がまた心温まりつつも変でいい。
そしてちゃんと物語の最後には目頭の熱くなるようなシチュエーションもきちんと用意している。これだけ揃っていたらもうほとんど文句はない。強いて言うならヴィン・ディーゼルにもっと弾ける場面が欲しかったことと、もう少しぐらい突出した箇所が欲しかったぐらいだ。またすれた目には、アメリカ自体に蔓延する某国への偏見が事件の背景に組み込まれていることが引っかかるが、こういうユーモラスな筋での扱いに目くじらを立てる必要もないだろう。
1時間半という手頃な尺にすべてをはみ出さずに収めた点も含めて、ファミリー向けムービーのお手本のような仕上がりである。ヴィン・ディーゼルの溢れる魅力や重量感のあるアクションに飢えていたという方も、家族全員で楽しめる映画が観たかったという方も、等しく安心して劇場に足を運んで頂きたい。(2005/11/09)