cinema / 『パニック・ルーム』

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パニック・ルーム
監督:デイヴィッド・フィンチャー / 脚本:デイヴィッド・コープ / 製作:ギャビン・ポロン、ジュディ・ホフランド、シーアン・チャフィン / 音楽:ハワード・ショア / 出演:ジョディ・フォスター、フォレスト・ウィテカー、ドワイト・ヨーカム、ジャレッド・レト、クリステン・スチュワート / 配給:Sony Pictures Entertainment
2002年アメリカ作品 / 上映時間:1時間53分 / 字幕:戸田奈津子
2002年05月18日日本公開
2002年09月27日DVD日本版発売 [amazon]
2004年04月28日DVD最新版発売 [amazon]
公式サイト : http://www.panicroom.jp/
丸の内ルーブルにて初見(2002/06/22)

[粗筋]
 メグ・アルトマン(ジョディ・フォスター)は娘サラとともにマンハッタンに居を移した――多分に、女を連れ込んだ夫スティーブン(パトリック・ボーショー)に対する嫌がらせの意味を含んだ転居だった。
 下見に訪れたそこは、ふたり暮らしには勿体ないほどの規模と作りをしていた。住居の内容には特に拘りのなかったメグだったが、最上階、主の書斎として設計されたはずの部屋が異様に狭い事実を気に留める。財産に絡んで争いの絶えなかった一族のひとりであった元の主は、緊急時のために「何者も侵入させないための部屋」=“パニック・ルーム”を用意していたのだ。スチール製の頑丈な扉、屋内の各所に設置したカメラからの画像を映し出す8台のモニター、独立した電話回線、完全な換気システム――シェルターにも匹敵する設備は、娘サラ(クリステン・スチュワート)のお気には召したようだが、メグは微かな怖気を覚える。
 言い値で構わない、という不動産に絆されたか、メグは程なくサラと共に件の屋敷に引っ越してきた。侘びしい食事を終え、厄介な防犯システムの設定を先送りにしてメグがベッドに横たわった――その頃、家の周囲を嗅ぎ廻る人影があった。
 屋根から巧みに警報装置を切断し、内部に侵入したのはバーナム(フォレスト・ウィテカー)。無人の筈の邸内に母子の姿を認めて動揺しながら、玄関の錠を外して仲間を邸内に招じ入れた。それは、以前にこの屋敷に暮らしていた富豪の係累であるジュニア(ジャレッド・レト)の誤解とした調べ不足によるものだった。更に彼はバーナムに内緒で勝手にもうひとり、ラウール(ドワイト・ヨーカム)という、スキーマスクを被った男を仲間に加えていた。ジュニアの横暴と無能ぶりに憤るバーナムとラウールだったが、ジュニアのちらつかせる300万ドルという言葉に惑わされて、計画の強行を決める。
 その頃、うまく眠れずに苦しんでいたメグは、防犯システムの設定中に間違って点灯させてしまったパニック・ルーム内のモニターに不審な影を見つけ、慌ててサラを起こしパニック・ルームに引っ張っていく。侵入者三名もそれを察して追いすがるが、間一髪母子はパニック・ルームに避難した。
 ――だが、それはバーナムたちにしてみれば最悪の事態だった。何故なら、彼らの狙うものはパニック・ルームの中にある金庫に仕舞われているのだ。かくして、アルトマン母子の悪夢の一夜が幕を開ける――

[感想]
 随分と期待していながら、事前に巡回先の感想を目の当たりにして、劇場を訪れることを躊躇っていたのだが――すみません。世評はどうあれやっぱりデイヴィッド・フィンチャーは私の師匠(勝手にそう決める)でした。
 先行する三つの問題作『セブン』『ゲーム』『ファイト・クラブ』と異なり、観客の認識を揺さぶるような表現やテーマがあるわけではない。通常の手段では侵入不能の“パニック・ルーム”という存在を軸に、真っ向勝負とも言えるスリリングな駆け引きが展開するだけである。
 まず、この“パニック・ルーム”を中心に行われる駆け引きが考え抜かれていて、実に巧い。侵入不能とは言えどこかしらに抜け道があり、それらを介してギリギリの知恵比べが行われる。そこに更に、登場人物たちの性格と条件とが絡んできて、物語はなかなか複雑に展開する。
 だが、それでも話が解りにくくなることがないのは、トリッキーながら状況を的確に伝える演出とカメラワークの力があるからだ。上下に長い邸内を、階段を上り下りし床を擦り抜け柵やジューサーの把手を潜り抜けつつ、位置関係を確実に観客に伝える。一見奇を衒ったようなカメラの配置も、基本的にはサスペンスを盛り上げるためのものであり、総体として醸成されてくるのはストレートな緊迫感のみ。新境地を開拓した、というよりフィンチャー監督の手法がこうしたサスペンスにも適用可能である、という事実を再確認させる一本と言えるのではないか。
 しかしその一方で重大な欠点がある。あまりに個々の要素が巧妙に活かされているために、展開の先読みが簡単でストーリーの上での意外性が乏しいことだ。天候ですらもきちんと利用する完璧主義ぶりは見事だが、既出三作のようにテーマそのものの重みがないために、劇場の中で作品が完結してしまいこぢんまりと纏まってしまった印象が強い。
 とは言え、閉鎖環境を舞台にした一夜限りの恐怖、という直線的なスリラーとして、屈指の水準にあることだけは主張しておきたい。決して画面の外には持ち出されない、ここだけのサスペンス。ヒッチコックの系譜に並ぶ、純然たる娯楽作品。しつこいようだが、やはり私はフィンチャー監督を尊敬します。

 ジョディ・フォスターに侵入者3人の演技の質は今更触れるまでもない。本編で一番惹かれたのは、娘・サラ役のクリステン・スチュワートである。ジョディの幼い日を思わせる硬質かつ少年的な顔立ち、だが直向きな表情と微かな鬱屈を匂わせながらも純粋な愛らしさを讃えた所作はいっそ抱き締めたくなるほどである。いわば一瞬の輝きであり今後女優としてどう成長していくのかは未知数だが、こと本編については彼女に注目していただきたい。

 以下、物語の筋からすると些末な問題点ではあるが、どーも疑問に思えて仕方のないことをちと書き留めておく。
 物語の鍵を握る事実のひとつに、メグの娘サラがどうやら糖尿病を患っていること、がある。後半、メグが危険を冒してパニック・ルームを飛び出す理由のひとつとなるわけだが、しかしここにおかしな話がある。サラは手首に血糖値を計測する機械を巻いていて、その数値が異常に減少したからこそメグは脱出を余儀なくされるのだが――数値が低くなっている、ということは症状は低血糖である。実際、これを書くために調べてみたところ、眩暈、発汗、意識障害といった症状は高血糖よりも低血糖に該当する。ならば、対症法は人口に膾炙しているインシュリンではなく、作中で描かれていたようにジュース、糖分を含んだ食物を口にする、或いはグルカゴンという注射を施すかのいずれになる。――が、作中でどう言っていたのかは記憶していないが、プログラムには歴然と“インシュリンが必要”と書いてある……さて、どちらが正しいのだろう?

(2002/06/23・2004/06/22追記)


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