cinema / 『戦場のピアニスト』

『cinema』トップページに戻る
『light as a feather』トップページに戻る


戦場のピアニスト
原題:“The Pianist” / 監督:ロマン・ポランスキー / 製作:ロマン・ポランスキー、ロベール・ベンムッサ、アラン・サルド / 脚本:ロナルド・ハーウッド / 原作:ウワディスワフ・シュピルマン(春秋社・刊) / 音楽:ヴォイチェフ・キラール / ピアノ・ソロ:ヤーヌシュ・オレイニチャク / オーケストラ指揮:タデウシュ・ストルガラ / プロダクション・デザイン:アラン・スタルスキ / 衣裳デザイン:アンナ・シェパード / 撮影:パヴェル・エデルマン / 編集監督:エルヴェ・ド・リューズ / 出演:エイドリアン・ブロディ、トーマス・クレッチマン、フランク・フィンレイ、モーリーン・リップマン、エミリア・フォックス、エド・ストッパード、ジュリア・レイナー、ジェシカ・ケイト・マイヤー、ルース・ブラット / 配給:Amuse Pictures
2002年ポーランド・フランス合作 / 上映時間:2時間28分 / 日本語字幕:松浦美奈
2003年02月15日日本公開
2003年08月22日DVD版日本発売 [amazon]
公式サイト : http://www.pianist-movie.jp/
日劇PLEXにて初見(2003/02/21)

[粗筋]
 1939年9月、第二次世界大戦におけるドイツの侵攻はいよいよポーランドに及んだ。仕事先であるラジオ局から命からがら自宅に舞い戻ったピアニストのウワディクことウワディスワフ・シュピルマン(エイドリアン・ブロディ)は、両親によりイギリス・フランスがドイツに対して宣戦布告したという情報を聞いて安心する。だが、間もなくドイツの軍勢はウワディクたち一家の暮らす土地にまで及び、ユダヤ人である彼らの地獄の日々がこのときから始まったのだ。
 ユダヤ人たちは全て腕章をつけるように、という命令に始まり、ナチスによる締め付けは日増しに厳しさを増していく。一定以上の財産の所有を禁じ、居住地区を限定し、狭い建物に押し込め……その都度ウワディクは家族の命のために奔走するが、尽く無為に終わった。
 そして、運命の日が来た。1942年8月16日、集荷センターで辛うじて職を得ていたシュピルマン一家は、他のユダヤ人たちと共に広場に連れて行かれ、やがて間近にある線路につけた貨物列車に引き立てられた。だが、家族のなかでだだひとり、ウワディクだけが、かつて一家の友人でありユダヤ人警察の職に就いたために虐待を免れた男によって列を外され、生き長らえてしまった。ユダヤ人たちが連れ去られ、駆り立てられたあとのゲットー内部を彷徨しながら、ウワディクは啜り泣く。
 ゲットー内部で運営していたカフェの店主と落ち合ったウワディクは、彼と共にナチスが提供する建築現場での仕事に従事することで糊口を漱いだ。働き口であってもナチスの気紛れな虐待は続き、その口減らしの一環としてカフェの店主もまた間もなく処刑されてしまう。
 芸術家であったウワディクにとって肉体労働は楽ではなく、仲間たちによって楽な仕事をあてがわれたものの、死と隣り合わせの生活であることに違いはなかった。偶然に再会したゲットー時代の友人で地下活動家の男に、ウワディクはポーランド人の友人である音楽家に自分を匿ってもらうよう連絡を依頼した。幸いに話はうまく繋がり、ウワディクは現場を出て行くポーランド人の列に混じって脱出する。音楽家の手引きにより、ゲットーとの壁に程近いアパートに匿われたウワディクは、差し入れでどうにか食欲を慰めながら、残されたユダヤ人たちの抵抗する姿を間近で目撃することになるのだった……

[感想]
 戦争、とりわけユダヤ人虐殺については幾度も幾度も繰り返し語られてきた。故に、冒頭から繰り返し悪夢もかくやと思うほどの虐待シーンに若干倦みを感じる――と言っても、直接的に血を見せる場面はあまりなく、累々と転がる死者の姿をロングショットで撮すぐらい。だが、この静かな惨さが、じわじわと染みる。
 それでいて従来のユダヤ人虐待を描いた映画と一線を画するのは、ドイツ兵=悪、ユダヤ人=抵抗する側、という表現をしていないこと。ドイツが構成したユダヤ人警察に参加し、同朋をドイツ兵と一緒になって虐待することで自分だけは助かろうと画策した者。他のユダヤ人女性が運んでいた配給のスープを横取りしようとし、弾みで地面に落ちたそれを這い蹲ってすする老人。一度は労働に従事するユダヤ人たちに情けを見せながら、酒に酔った勢いで罵倒するドイツ兵。匿ったウワディクの名声を売りに金を集め、肝心のウワディクはほったらかしで私腹を肥やす者。そして、戦争を憎みユダヤ人たちを救う手立てに頭を悩ませていたナチスの将校も存在する。そういう、考えてみれば当たり前の現実を、無理なく無駄なく描ききっている。
 主人公が生き延びていく過程は、ノンフィクションだと言われてもにわかに信じがたいほど偶然に助けられている。だが、観終わったあとそれを殊更に欠点として論う気にならないのは、その理由をきっちりと登場人物をして言わしめたからだろう。『神に生かされているのだ』――なんだか卑怯だ、と思うくらいに、この台詞は本編の存在自体と相俟って説得力を具えている。
 主人公ウワディクは劇中いちども他人に銃口を向けなければ、攻撃めいたことすらしない。ただただ目の前にある現実を眺めながら、生きることに執心しているだけだ。必然的理由から常に危険な現場の近くに居合わせ、その一部始終を傍観せざるを得ない立場にいるため、主人公の目の位置から幾度も壮絶な戦闘と戦いの過ぎ去った悪夢のような情景がカメラに収められる。時として、爆撃に遭ったウワディクの感じる耳鳴りすら再現した音響と、恐らくはデジタル技術も駆使した戦闘とそのあとの廃墟の描写は生々しい。
 だが、何と言っても最大の見せ場は終盤、ウワディクが数年振りにピアノに向かい、たった一人の観客相手に死をも覚悟したような凄絶な表情で演奏する一幕だろう。そこに至るまでの出来事があってこそ重みを具える数分だが、しかしきっとこの場面だけのために鑑賞したとしても胸の満たされる想いがするはずである。
 結局主人公含め、名前の出た人物は戦後数名しか生き残れなかったことになるのだが、しかし不思議にも後味は深く沈痛ながら快い。
 主人公が銃を持たない、或いはそれを人に向けない戦争映画という観点からは、イスラエルのアモス・ギタイ監督『キプールの記憶(映像ソフトタイトル:キプール 勝者なき戦場)』が近年の最高峰と思っていたが、本編はそれに匹敵する傑作。カンヌ映画祭パルムドールも宜なるかな、だが、この際アカデミーでも逞しく生き残っていただきたい。

(2003/02/22・2004/01/10追記)


『cinema』トップページに戻る
『light as a feather』トップページに戻る