/ 『裸足の1500マイル』
『cinema』トップページに戻る
『light as a feather』トップページに戻る裸足の1500マイル
原題:“Rabbit-Proof Fence” / 原作:ドリス・ピルキングトン / 監督・製作:フィリップ・ノイス / 脚本・製作:クリスティン・オルセン / 撮影監督:クリストファー・ドイル / 音楽:ピーター・ガブリエル / 出演:エヴァーリン・サンピ、ローラ・モナガン、ティアナ・サンズベリー、ケネス・ブラナー、デヴィッド・ガルビリル / 配給:GAGA
2002年オーストラリア作品 / 上映時間:1時間39分 / 字幕:松浦美奈
2003年02月02日日本公開
公式サイト : http://www.gaga.ne.jp/hadashi/
シネスイッチ銀座にて初見(2003/03/15)[粗筋]
1931年、南オーストラリアの砂漠地帯にある集落ジガロング。オーストラリア原住民アボリジニの少女モリー(エヴァーリン・サンピ)、その妹デイジー(ティアナ・サンズベリー)、従妹のグレイシー(ローラ・モナガン)は、保護局の配給や母たちと行った狩りの収穫でほそぼそと、しかし平穏に暮らしていた。
だがある日、保護局の男たちが一通の命令書を携えて、モリーたちのもとを訪れた。白人入植者たちとの混血児であるモリーたちを保護の名目のもと隔離し、白人と同化させる政策のために彼女たちを拘束し、ムーアリバー先住民居住地に移送するというのだ。激しく抵抗する親子だったが、悲嘆に泣き崩れる母と祖母を残し、モリーたち三人を載せた車はジガロングから遠ざかっていく。
ムーアリバーは白人優位の原理が支配する、異様な清潔さが漂う空間だった。子供達の生活は厳しく管理され、アボリジニの言葉を使うことも禁じられる。家族や恋人に会うため逃走する子供もいたが、保護局長ネヴィル(ケネス・ブラナー)が雇用した腕利きの追跡者ムードゥ(デヴィッド・ガルビリル)によってすぐさま連れ戻され、厳重な罰を与えられる。
ある日の集まりで、モリーはネヴィルの前に連れ出された。色の白い子供を選んで、白人たちの学校に進ませる儀式なのだという――色の白い子供は賢い、という迷信のために。モリーは審査を通らなかった。
翌日、空には雷雲がたちこめていた。夜間の排泄物を貯めたバケツの処理を命じられたモリーは、その機に乗じてデイジーとグレイシーの手を引くように施設を抜け出す。
ネヴィルは早速ムードゥ、警察、マスコミを駆り出して三人の捜索を開始した。だが、モリーはネヴィルの予測を超えた聡明さを発揮し、様々な手段で移動の痕跡を隠し追っ手を擦り抜けていく。遭遇したアボリジニの人々や白人に手助けされながら、広大なオーストラリアの原野をひたすらに歩いていく。
やがて三人は、コートをくれた白人女性の言葉から、うさぎ避けフェンス(Rabbit Proof Fence)を手懸かりに移動することを思いつく。オーストラリアに帰化し、農作物に被害を齎すうさぎを排除するために政府が設けた、全長5000マイルにも及ぶフェンス。ジガロングにも存在したそれを頼りに、三人は道を行く。ただ再び、家族の平穏な暮らしを取り戻すために。[感想]
筋立ては単純明快である。逃走劇というスタイルからすると、もっと緻密かつ緊迫した駆け引きがあってもいいように思われるが、モリーの策略は地味だし“追跡人”ムードゥの姿にも緊迫した印象はない。
ただ、ひとつひとつの表現が逞しい。保護局という組織によって管理されながらも自分たちなりの生き方を貫こうとするアボリジニの人々、不自然ではあるが決して虐待はされない環境にも否を唱え、敢えて広大な原野へ飛び出していく子供達の姿。
そのうえで、白人の絶対的な優位を信じて疑わず、だからこそ純真にアボリジニの人々を「保護」しようとしているネヴィルたち施政者の善意をちゃんと窺わせ、ただの敵役として描いていないあたりに製作者のバランス感覚が垣間見える。何らかの罪によって保護観察処分を受けながら、その嗅覚を買われて追跡者としてムーアリバーに就くことになったムードゥの、お仕着せのような制服姿や無表情な面に時折浮かべる苦さや、最後に一瞬だけ見せる笑顔もまた、表現の深みを感じさせる。
物語のシンプルだが確かな強さを裏打ちするのが、オーストラリアの大自然を膚に感じさせるくらいにきちんと焼き付けるような美しい映像と、時として音響装置が負けるほど低音を駆使し、随所に民族音楽と自然の音色とを鏤めた壮大な音楽。
派手さはないが、確実に記憶に残る一本。ただ、その音楽と映像とを充分に堪能したいと思うのであれば、是非劇場で御覧戴きたい。(2003/03/16)