cinema / 『Ray/レイ』

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Ray/レイ
原題:“Ray” / 監督・原案・製作:テイラー・ハックフォード / 脚本・原案:ジェームズ・L・ホワイト / 製作:ハワード・ボールドウィン、カレン・ボールドウィン、スチュアート・ベンジャミン / 製作総指揮:ウィリアム・J・アイマーマン、ジェイム・ラッカー・キング / 製作補:レイ・チャールズ・ロビンソンJr.、アリス・ベンジャミン、ニック・モートン / 撮影:パヴェル・エデルマン / プロダクション・デザイナー:スティーヴン・オルトマン / 編集:ポール・ハーシュ / オリジナル&新録音ヴォーカル:レイ・チャールズ / スコア:クレイグ・アームストロング / 音楽監修:カート・ソベル / 衣装:シャレン・デイヴィス / 出演:ジェイミー・フォックス、ケリー・ワシントン、レジーナ・キング、クリフトン・パウエル、ハリー・レニックス、ボキーム・ウッドバイン、アーンジャニュー・エリス、シャロン・ウォレン、C.J.サンダース、カーティス・アームストロング、リチャード・シフ、ラレンツ・テイト、テレンス・ダション・ハワード / 配給:UIP Japan
2004年アメリカ作品 / 上映時間:2時間32分 / 日本語字幕:石田泰子
2005年01月29日日本公開
公式サイト : http://www.ray-movie.jp/
日比谷みゆき座にて初見(2005/01/29)

[粗筋]
 1948年、レイ・チャールズ・ロビンソン(ジェイミー・フォックス)はフロリダからシアトルに移り、本格的にショウ・ビジネスに乗り出した。ギタリストのゴッシー・マッキー(テレンス・ダション・ハワード)とベースとによるトリオで売り出し、最初に演奏を行ったクラブのマネージャーであるマーリーン・アンドレ(デニース・ダウス)の庇護のもと、活動を開始する。様々な音楽を吸収してきた彼のセンスは超一流であり、瞬く間に地元でも人気のグループに成長、マーリーンのクラブに限らず各所で演奏を繰り返した。この頃、まだ十代であったクインシー・ジョーンズ(ラレンツ・テイト)と出会い親交を結んでいる。
 レイの名演はバンドを離れて注目を浴び、レコード会社のジャック・ローダーデイル(ロバート・ウィズダム)からレコード録音の誘いを受けた。同時に、これまで世話になっていたゴッシーとマーリーンがかなりの報酬を横取りしていたことを知り、レイはトリオを離れ独り立ちする決意を固めるのだった。
 1950年からレイは芸名をR・C・ロビンソンからレイ・チャールズに変え、ブルース・シンガーのローウェル・フルソン(クリス・トーマス・キング)のバック・バンドにピアニストとして参加し、ツアーにも同行するようになる。そこで彼はキャリア初期の盟友となるツアー・マネージャーのジェフ・ブラウン(クリフトン・パウエル)とサックス奏者デヴィッド・“ファットヘッド”・ニューマン(ボキーム・ウッドバイン)と出逢い充実した日々を送る一方、ヘロインという悪習も身に付いてしまった。
 メンバーの侮辱的な言動に腹を立てたレイがバンドを離脱して間もなく、ジャックが債務超過によってミュージシャンたちとの契約を手放すことになった。そこへ現れたのが、アトランティック・レコードのプロデューサーであるアーメット・アーティガン(カーティス・アームストロング)である。駆け引きを経て契約を成立させると、レイはさっそくレコーディングを開始する。耳のいい彼の演奏力と歌唱力は折り紙付きであり、デビュー当初から一定の売り上げを確保するが、裏方たちはまだ彼がナット・キング・コールやチャールズ・ブラウンの物真似の域を出ていないことに気づいていた。レイの提案からアーメットは自らがこっそり作っていた曲“メス・アラウンド”を提供、スマッシュ・ヒットを飛ばすが、突き抜けるにはまだ時間が必要と思われた。
 その頃、レイは運命の女性と巡りあう。ゴスペル・シンガーとして活躍していたデラ・ビー(ケリー・ワシントン)はレイの才能をよく見抜き、レイはそんな彼女にすぐさま恋をした。再度のレコーディングのため3週間離れたのち、デラ・ビーと結ばれたレイは彼女のためにゴスペルをモチーフにした恋の歌を歌う。不謹慎だ、と最初は咎めたデラ・ビーだったが、その発想と信念に裏打ちされた力強さに、改めて彼女はこの男の才能を確信する。
 このデラ・ビーに捧げたアイディアが遂にレイ・チャールズを開花させた。ゴスペル音楽をベースに彼の率直な愛を乗せた曲“I've Got A Woman”は、それまでの枠に嵌らない新しいジャンル――ソウル・ミュージックとして強烈に支持される。エージェントであるミルト・ショウ(デヴィッド・クラムホルツ)との出逢いによってプロモーション活動も活発化し、レイの音楽家としての活動はいよいよ軌道に乗った。
 デラ・ビーとの結婚も果たし、順風満帆に見えたレイ・チャールズだったが、そんな彼もふたつの問題を抱えていた。それは女性に対する手の早さであり、仕事のために旅が多いこともあって家庭を守りたいという想いと裏腹にデラ・ビーを裏切る日々が続いたこと。そして、バンドメンバーだった時分に覚えた悪癖が、じわじわと彼を蝕んでいた……

[感想]
 昨年2004年06月10日、稀代のエンタテイナー=レイ・チャールズは73歳でこの世を去った。本編の全米公開は同年10月、あまりに絶妙なタイミングでの映像化だが、企画そのものは15年間に亘って練り込まれていたのだという。作中の演奏はレイ・チャールズ本人のものを多く導入しているほどで、準備段階でも当人の協力を大いに仰いでいたようだ。
 だが、本編の完成は恐らく、ジェイミー・フォックスという俳優の登場と起用なしに実現は不可能ではなかったか、と思う。容姿が若き日のレイ・チャールズによく似ている(プログラムに掲載された写真と比べても確かだ)こともそうだが、本編における彼の演技はまさしく神憑り――レイ・チャールズ本人が乗り移ったとしか思えないなりきりようだ。僅かに宙を仰ぐような姿勢で、肩を大きく揺らしながらピアノを弾き、語り聴かせるような節回しを使う独特の歌い方は無論のこと、そして日常生活での仕種や喋り方に至るまで――私たちはその実際を知りようはないのだけど――本人を想起させずにはおかない。その巧さは、本人のヴォーカルをバックに口パクで応じているはずの演奏場面への移行にまったく違和感を与えないことが如実に証明している。
 ジェイミー・フォックスの驚異的な憑依ぷりを目の当たりにするためだけでも一見の価値のある作品だが、レイ・チャールズという稀代のエンタテイナーが自らの地位を確立する過程を描いた作品としても、また彼を嚆矢とするソウル・ミュージック誕生の様子を辿った音楽史映画としても良質だ。前者は伝記映画という性質上、やもすると全体を貫くストーリーラインが失われ散漫になりかねないところを、レイ・チャールズという人物をよく研究したうえで肝要な場面を抜き出し、一本の映画として相応しい起点と着地点とに設定し不自然のない道筋を作っている。後者については、粗筋にも記したようなレイ・チャールズ独自のスタイルを追求していく様子が解りやすく克明に描かれているためで、このあと彼は本来神聖であるべきゴスペルに扇情的な歌詞を乗せて歌ったということで一部のメンバーを失うなど反感を買うのだが、こうした経緯は“ソウル”というジャンルが完全に確立されてしまったいまの音楽しか知らない世代には驚くべき事実と感じられる。
 同時に、大成したレイ・チャールズはいっとき、そうして確立した自らのスタイルを離れて、弦と大人数のコーラスを率いた代表作“Georgia On My Mind”を完成させたり、ルーツのひとつであるカントリーに舞い戻って“I Can't Stop Lovin' You”という大ヒット曲を生んでいる。それは彼が備えた、観客の渇望を見抜く眼力と、それに応えるために自らのスタイルを変えることを厭わないエンタテイナーとしての資質故の展開であり、そうと解らせる筋書きの確かさは、脚本段階で良く練り込んだ証左でもあるだろう。
 ドラマとしての秀逸さは、随所に被さってくるフラッシュ・バックとクライマックスにおけるある描写のフィクション性が支えている。あそこで敢えてああいう描写を挿入したことで、一連の出来事に一貫性が生まれ、本編をただの伝記映画という地位から一歩抜きん出たものにしている。敢えて生々しく描かれたレイ・チャールズの美点と欠点、それを踏まえたこのクライマックスとラストシーンが、レイ・チャールズというエンタテイナーの大きさと共に、彼の親しみやすい人柄とをより明確にしたと言えるだろう。
 監督をはじめとするスタッフの深い敬意、それに対するレイ・チャールズ本人の協力と、何よりもジェイミー・フォックスという希有な俳優が完成させた無二の“音楽映画”であり、極めてドキュメンタリーに接近したドラマ。レイ・チャールズを愛する人のみならず、音楽好きにも映画好きにも観ていただきたい傑作です。

(2005/01/29)


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