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(さけび)
監督・脚本:黒沢清 / プロデューサー:一瀬隆重 / エグゼクティヴ・プロデューサー:濱名一哉、小谷靖、千葉龍平 / 撮影:芦沢明子,J.S.C. / 照明:市川徳充 / 美術:安宅紀史 / 装飾:須坂史昭 / 録音:小松将人 / 編集:高橋信之 / VFXスーパーヴァイザー:浅野秀二 / 音楽プロデューサー:慶田次徳 / 音楽:`島邦明 / 主題歌:中村中『風になる』(avex trax) / 出演:役所広司、小西真奈美、葉月里緒菜、伊原剛志、平山広行、中村育二、加瀬亮、奥貫薫、野村宏伸、オダギリジョー / 製作プロダクション:オズ / 配給:XANADEUX, avex atrs, PHANTOM FILM
2006年日本作品 / 上映時間:1時間44分
2007年02月24日日本公開
公式サイト : http://www.sakebi.jp/
シネセゾン渋谷にて初見(2007/04/02)

[粗筋]
 埋立地に造成された有明地区、新たなビルが建てられるために急遽均された一画で、女性の他殺死体が発見された。現場に赴いた時点から、有明署の刑事・吉岡(役所広司)は自分が何か関係があるような、奇妙な感覚に見舞われる。
 それを証明するかのように、現場からは彼が昔に購入した安物のコートのボタンが見つかり、遺体の爪から吉岡の指紋が発見される。夜中に現場を訪れた吉岡はそこで奇怪な悲鳴を聞き、赤い服の女(葉月里緒菜)の姿を目撃する。同僚の宮地(伊原剛志)もまた、そうした異様な成り行きを察しながら、気のせいだと念じるかのように、吉岡が自ら提出しようとした証拠を回収してしまうのだった。彼らの焦りを後押しするかのように、被害者の身元はなかなか判明しない……
 そんななか、新たな事件が発生する。やはり有明の造成地で、最初の被害者と同様に、貯められた海水によって溺死させられた他殺死体が発見されたのだ。しかし、今回は犠牲者の身元は速やかに現地の高校生と判明、前日から行方をくらましている被害者の父・佐久間昇一(中村育二)が最重要参考人として手配される。手口の類似性から先の身元不明死体の事件も佐久間の犯行だろうと推理し吉岡は強硬に捜査を進めるが、宮地は合点がいかない。
 誘われるように訪れた最初の現場付近で、吉岡は佐久間を発見した。吉岡は廃ビルの屋上から投身し負傷した佐久間の首根っこを掴まえて執拗に問い詰めるが、しかし佐久間は最初の事件に関与したこと自体を認めようとしない。宮地にねじ込んで、取調も吉岡が手懸けるが、佐久間は最後まで「知らない」と言い貫く。それどころか、佐久間は取調中に自分が殺した息子が現れると怯え出す始末で、まったく取調にならなかった。
 そうしているあいだにも、吉岡は繰り返し赤い服の女の存在に脅かされ続ける。やがて、長年交際している恋人・春江(小西真奈美)との会話からふと思い出した、過去の出来事にその手懸かりがあるのでは、と考え、吉岡は捜査を無視して勝手に動き回る。
 やがて、またしても新たな事件が起こるのだった……

[感想]
『CURE』『回路』など、ホラー・サスペンスに属しながら独特のガジェットの扱いと洗練された演出技法により、近年隆盛の和製ホラー主力と一線を画しつつ独自の地位を確立、世界的にも支持者の多い黒沢清監督が初めて“本格的なミステリー”に挑んだ作品――という惹句が添えられた本編だが、いわゆるミステリーに親しんでいる者が意識する“本格的なミステリー”ではない。それだけはまず主張しておきたい。
 ミステリー、それも“本格ミステリ”と呼ばれるものは、人によって定義は異なれど、大雑把に言って、緻密な伏線が齎す解決がある、或いは論理的な仕掛けに基づくトリックが設けられている、といったものをまず求められるのは確実だが、本編はそうした結構を前提としていない。謎解きと捉えて、登場する証拠から真相を突き止めようとすると肩透かしを食らうので、あまりそういう期待はしないほうが賢明だろう。
 しかし、ホラーとして、幻想怪奇の要素を孕んだ広義のミステリーとして捉えれば、極めて優秀な作品である。序盤、いっさい説明的な描写を省いていきなり描かれる死体遺棄の様子と、すぐさま開始される警察の捜査。のっけから不審な主人公・吉岡の行動。やがて不意に挿入され始める、非現実的な出来事の数々。思わせぶりな要素を随所に鏤め、怪しげに繰り広げられていく物語の牽引力は著しく、謎解きなどにこだわらなくとも自然と惹きつけられる。
 明らかに異様な者たちが出没する本編だが、ホラーとして洗練されているのは、それらが突然現れることではなく、“なぜ現れるのかが解らない”、そしてその影響から逃れられないことが恐怖の源泉となっているあたりだ。その疑問が、吉岡には更に「自分が犯人ではないのか」という疑念にフィードバックされていく。アイデンティティが突き崩されていくような恐怖、そして状況証拠や同僚が無言のうちに向ける疑惑の眼差しが、吉岡を焦躁に駆り立てる、この緊迫感が凄まじい。
 本編を“ミステリー”と喧伝する背景には、終盤で明かされる“ある事実”ゆえだと推測するが、正直に言ってこれはさほど難解な謎ではない。本格ミステリでなくとも、この手のホラーや広義のミステリーに多数触れている人であれば、途中で察することができ、その通りの決着に辿り着く。だが、本編において出色であるのは、それを暗示する表現の数々だ。決して前提を崩さない繊細な描写は公平さを貫いているし、とりわけ終盤におけるある場面での描写などは、私の穿ちすぎかも知れないが、象徴として意図したものならば見事の一言に尽きる。
 舞台として、埋立によって造成された地区を選んでいるのも秀逸だ。かつては未来都市建造の憧れとともに誕生した新天地は、だが未だその未来像を実現するどころか際限なく破壊と建築とを繰り返し混沌とした様相を呈している。その虚ろな空気を巧みに物語に織りこんで、そこに生きる吉岡の荒涼とした精神を映像面でも的確に再現し、否応なく観客に感情移入させてしまう。埋立地特有の液状化現象を招く地震を意図的に多用していることも巧みだ。
 純粋にホラーとして眺めても、その描写の完成度は高い。虚仮威し、猫騙しのような手法を多用せず、観客の先入観や油断を巧みについた複雑な技で恐怖を煽っていく。象徴的に出没する“幽霊”に赤い衣裳を用いてその姿を鮮烈に焼き付ける一方、表情のヴァリエーションを絞って不気味さを演出する手管など、実に堂に入っている。
 虚無感の頂点に達するようなクライマックスも秀逸だ。無数に鏤められた伏線と呼応しあって齎される、空虚でしかし重厚な余韻は、観ている側が日常でふと感じる虚しさに働きかけて、しばし胸の中に留まる。
 唯一、エピローグのようなかたちで挿入される出来事だけは少し過剰に過ぎたと感じるが、それ以外は描写の質、映像の品位、演技の重厚さ、すべて匙加減が絶妙な、傑出した仕上がりである。言ってみれば怪談の味わいを濃密にした怪奇幻想ミステリであり、惹句に惑わされやたらと本格的な謎解きを期待するのでなければ、その良質の異界感を堪能できるであろう。

(2007/04/03)


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