/ 『さよなら、、クロ』
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『light as a feather』トップページに戻るさよなら、、クロ
監督:松岡錠司 / 原作:藤岡改造『職員会議に出た犬・クロ』(郷土出版社・刊) / 脚本:松岡錠司、平松恵美子、石川勝己 / 撮影:笠松則通 / 美術:小川富美夫 / 音楽プロデュース:岩代太郎 / 音楽:Unknown Soup & Spice / 主題歌:『青春の影』財津和夫 / ドッグ・トレーナー:山本 一 / 出演:妻夫木聡、伊藤 歩、新井浩文、佐藤隆太、近藤公園、三輪明日美、金井勇太、内野謙太、井川比佐志、田辺誠一、塩見三省、柄本 明、根岸季衣、りりィ / 制作・配給:cinequanon
2003年日本作品 / 上映時間:1時間49分
2003年07月05日公開
公式サイト : http://www.sayonara-kuro.com/
銀座シネ・ラ・セットにて初見(2003/08/02)[粗筋]
1960年代、長野県松本市の山里。自由な校風の進学校・秋津高校に通う木村亮介(妻夫木聡)は、通学中に疲れた様子の黒い犬を見つけて、弁当のおにぎりを一個食べさせてやった。そんな彼を慕って、折しも学園祭が実施されているさなかの秋津高校に潜りこんでしまったその黒い犬は「クロ」と名付けられ、そのまま校舎に居着いてしまう。
犬嫌いの教師・草間(塩見三省)は授業の妨げになると言ってクロを追い出すよう提言するが、同じく犬嫌いだった生徒の斎藤(佐藤隆太)には「クロのお陰で犬嫌いが直った」と交流を進められるし、三枝(田辺誠一)ら同僚はおろか校長までが完全に受け入れてしまっていて、為す術もない。気難しい用務員の大河内(井川比佐志)にも懐いたクロは用務員室をねぐらにし、さながら秋津高校の番犬のような存在になっていった。
その頃、亮介にはちょっとした悩みがあった。秘かに恋していた友人の五十嵐雪子(伊藤 歩)に、どちらが先に告白するか、と親友の孝二(新井浩文)が持ちかけてきたのである。愛の告白なんていう状況が大の苦手で、頭がよく度胸もある孝二に対してもいささかコンプレックスを抱いていた亮介はどうにか結論を先延ばしにしようとする。
亮介がそうやってまごまごしているあいだに、孝二は秘かに雪子を誘いだし、恋心を打ち明けた。だが雪子は首を縦に振らない。失意のままバイクで家路に就いた孝二は、その途中で事故に遭い、早過ぎる死を遂げてしまう……
10年後。クロとの出逢いがきっかけで獣医となっていた亮介は、斎藤の結婚式を期に久々に帰郷すると、秋津高校にいるクロを訪ねる。しばらく接しているあいだに、亮介はクロが重病を患っていることに気づいた。子宮に膿が溜まる病で、早急に手術しなければ命が危ない。
早速職員会議が実施されるが、既に老犬であるクロをわざわざ手術までして助ける意味があるのか、と異議を唱える職員も少なくなく、決定は先送りにされた。だが、事態はそれから、思わぬ方向に進みはじめるのだった。[感想]
臭みのないベタさ、と言おうか。
ストーリーも演出もオーソドックスなら、役者の演技も奇を衒わず、堅実を旨にしている。スター性よりも確かな演技力を重視した配役というのが窺われ、正直全員いまいち華には欠くのだが、それ故に重苦しくないリアリティが感じられる。
主要な役割を若者らしい若者たちが果たし、大人達がそれを現実的に、しかし優しい眼差しで見届ける、という人間関係が、クロという犬を中心にしながら物語に青春映画らしい若草色の雰囲気を与えている。いちおう今から30年ほど昔の話になっているのだが、少年たちの普遍的な造型が、どの世代でも作品に入りこみやすい空間を作っているのもいい。
若者が普遍的であるのに対して、大人のほうはなかなか癖のある人物が並んでいるのもまた作品にメリハリを与えていると言えるだろう。中でも印象深いのは、60年代と70年代双方のメインとなる生徒たちの担任を務める三枝を演じた田辺誠一と、最初は犬嫌いの数学教師、10年後には教頭となった草間を演じた塩見三省である。
草間は最初は従業の妨げになる、前例がないとクロを邪魔者扱いしていたが、10年後にはすっかり許容していて、恐る恐る交流しようとする姿が微笑ましい。クロの死を悼んでいる場面など、あざといながらもやっぱり強烈に沁みる。一方の三枝は、ごく自然にクロを受け入れ、70年代ではしょっちゅう喧嘩ばかりしている教え子二人に「犬のほうが心配なんですか」と聞かれて「当たり前だろう。何言ってんの」と切り返す。それが厭らしくないあたりが田辺誠一の巧さであろう。
いちおう本編の主役は妻夫木聡が演じる木村亮介ということになる。実際、彼の10年にまたがる恋物語が大きな軸となっているのだが、その推移にクロがさりげなく、押しつけがましくなく拘わっている。クロの存在は同時に、関係した人々に幾つもの小さな変化を齎しており、その無理のなさが実に爽やかな余韻を残す。
あまり細かいことに拘らず、自然に作品の中に入りこんでいって、自然に感動に浸って欲しい作品である。葬儀のシーンで思わず笑ってしまうような入りこみ方だと、あとで損をしたような気分になります。(2003/08/04)