cinema / 『シービスケット』

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シービスケット
原題:“Seabiscuit” / 原作:ローラ・ヒレンブランド / 監督・製作・脚色:ゲイリー・ロス / 製作:キャスリーン・ケネディ、フランク・マーシャル / 製作総指揮:ゲイリー・バーバー、ロジャー・バーンバウム、トビー・マグワイア、アリソン・トーマス、ロビン・ビッセル / 撮影:ジョン・シュワルツマン / プロダクション・デザイン:ジャニーン・オッペウォール / 編集:ウィリアム・ゴールデンバーグ / 衣裳デザイン:ジュリアナ・マコフスキー / 音楽:ランディ・ニューマン / レース・デザイン:クリス・マカロン / 出演:トビー・マグワイア、ジェフ・ブリッジス、クリス・クーパー、エリザベス・バンクス、ゲイリー・スティーヴンス、ウィリアム・H・メイシー、キングストーン・デュクール、エディ・ジョーンズ、デヴィッド・マックロウ / 配給:UIP Japan
2003年アメリカ作品 / 上映時間:2時間21分 / 日本版字幕:戸田奈津子
2004年01月24日日本公開
公式サイト : http://www.uipjapan.com/seabiscuit/
日比谷スカラ座1にて初見(2004/02/14)

[粗筋]
 チャールズ・ハワード(ジェフ・ブリッジス)にとって、20世紀初頭のサンフランシスコは希望に満ちあふれていた。自転車の販売・修理の店を立ち上げた当時はまったく客が得られずジリ貧の日々を送っていたが、ある日自動車の修理を請け負ったことがきっかけで開眼、やがて西海岸一帯で最も成功した事業家のひとりとなった。
 だが、破滅は静かに静かに彼を、アメリカ経済を襲った。株価の大暴落に始まった大恐慌は多くの家族から土地と財産を奪い、職を奪った。ハワードの経営する会社もダメージを留めるための対策に奔走し、出来るだけ雇用を減らさぬように務めていたが、影響は防ぐべくもない。そしてある日、ハワードを更なる悲劇が襲った。彼の幼い息子が突然死んだのだ――よりによって、自動車事故によって。失意のハワードは仕事も手につかず、やがて妻も彼のもとを離れ、ハワードは心の拠り処を仕事以外の場所――酒やギャンブルに見出すようになる。
 ――同じ頃別の場所に、もうひとり、この悲劇の犠牲となった若者がいた。ジョニー・ポラード(トビー・マグワイア)は裕福な家庭に育ったが、やはり大恐慌によって家を失った。ジョニーは好きで覚えた乗馬の技術によってささやかな収入を得るが、その才能を不憫に思った両親は、小さな競馬場の主人にジョニーを託し、彼を置いて去っていった。
 燃えるような赤毛から“レッド”の愛称を与えられたジョニーは数年後、地方の競馬場で騎手として身を立てていた。妨害工作が当たり前の荒っぽい職場でもレッドは確かな実力を示していたが、安い報酬では満足に暮らせない。手っ取り早い稼ぎ口として、賭ボクシングの舞台に立ったレッドだが、容易く打ちのめされてしまう。競馬場で知り合い、良きライバルとして親交を深めていたウルフ(ゲイリー・スティーヴンス)が迎えに来るが、レッドは「同情はいらない」と彼を拒む。このとき右目に受けた傷が、のちに彼の足を引っ張ることになる……
 一方、ハワードは南部での暮らしのなかでマーセラ(エリザベス・バンクス)という新たな心の支えを得、再起を決意した。妻と共に競走馬を購入することにしたハワードは、調教師たちの集まる一画からやや隔たった森の中で、骨折した馬を治療して暮らしていたトム・スミス(クリス・クーパー)という男に目を留めた。足を痛めた馬の多くが安楽死させられるのにどうして助けたのか、という問いに「命あるものを殺すことはない」と応えたスミスを、ハワードは調教師として雇う。
 馬の選択を一任されたスミスは、競売所で一匹の気性の荒い馬に目をつけた。良血ながら調教の失敗によりあまりいい成績を収められず、手のつけられない駄馬として2000ドルで叩き売られていたその馬――シービスケットに一目で惹かれたスミスは早速買い入れるものの、あまりの気性の激しさのために乗りこなせる騎手がいなかった。途方に暮れていたスミスだったが、厩舎のそばで複数を相手に声を荒げ闘争心を剥き出しにした若者――レッドの姿を見、彼に託してみようという気まぐれを起こす。良い生まれから一転、劣悪な環境に耐えるため気持ちを尖らせていったという点で似ていたふたりが共鳴することを、スミスは見抜いたのかも知れない。レッドとシービスケットは最高の相性を示し、初の試走で驚異的なレコードを叩き出した。
 スミスともどもハワードの家に迎え入れられたレッドとシービスケットはやがて、初めてのレースを迎えることとなる……

[感想]
 いい話でした。おしまい。
 ……で片づけてしまってもいいような気がする。話の骨格は有り体なものであり、余計な文芸的趣向や洒落っ気を盛り込むことなく、終始堅実に纏めていることが本編の唯一で絶対的な成果だと思う。
 原作は実在したシービスケットという馬と、彼(?)を巡る人々に関するノンフィクションである。プログラムに記載されている年表と比べると、本編では実際にあった出来事を省き、或いは圧縮し、更にどうやら実在しなかった“ティック・トゥック”マクグローリン(ウィリアム・H・メイシー)というキャラクターを追加して物語の簡略化を試みているが、わたしの感じた限りでは成功している。実際にはこうもシンプルには行っていない箇所もあるが、そのままでは物語の外側に余計なしこりを残し、余韻を中途半端なものにしてしまう。やや長めと感じる尺でさえ、実は必要最小限なのだ。
 悪人は一切登場せず、誰もが時代の流れに打ちのめされながら、一度は捨てられかけた競走馬に希望を見出す。誰にでも一度や二度の躓きはある、問題はそこからどう立ち直るかだ、という、非常に前向きなメッセージを真っ当に謳った、良心的な作品。それだけに、毒と呼ぶべきものがまったく見当たらないことが物足りなく感じられますが、そういうものが必要な方は別のところでお探しください。素直に感情移入してしまうのがいちばん。

 シンプルな話を引き立てているのは、やはり名優揃いの役者たちである。雰囲気で見せる若手のトビー・マグワイアに、四度のアカデミー賞ノミネートという実績を誇るジェフ・ブリッジス、そして出る作品によって完璧にキャラクターを変えてしまうカメレオン俳優クリス・クーパーという三者が演じるメインの登場人物たちは、いずれも強烈な光芒を放っている。
 更にもう一人、決して目立ってはいないものの、作品を引き締めるごとき存在感を示したのが、重要な場面でレッドの代役としてシービスケットに騎乗することにもなる友人ウルフである。余所では見ないがなかなか巧い、などと思いつつ鑑賞していて、帰宅後プログラムを参照したところ……本業ではなかったけど、本業だった。ウルフを演じたゲイリー・スティーヴンスという人物、実は現役で未だトップクラスを保っているスタージョッキーだったのだ。そら、馬に乗る姿も美しければ、それについて語る言葉にも説得力があろうというもの。雨のなか、友人のために遠路はるばる駆けつけるさま、クライマックスでレッドと語り合う姿などなど、他の作品では恐らくあまり観られない勇姿ゆえ、じっくりと御覧ください。

 毎回ながら、本稿はプログラムを参照しつつ執筆しております。ただ、なるべく自分の文章で綴りたく、プログラムのほうの粗筋には最後まで目を通さないよう普段は心がけているのですが、今回に限って、主要登場人物三人が直接出会うまでの時間進行が把握しきれなかったので、ちょこっと読んでみました。
 ……が、なんか序盤の描写が混乱しすぎていて、却って足を引っ張られました。主要登場人物三人が合流してからの粗筋は兎も角、序盤はどの文章がどの年の出来事を綴っているのかが解らなくなってしまったのです。もっとチェックを入れるべきだったんじゃないかなー。

(2004/02/14)


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