cinema / 『愛しのローズマリー』

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愛しのローズマリー
原題:“Shallow Hal” / 監督・脚本・製作:ボビー&ピーター・ファレリー / 原案・共同脚本:ショーン・モイナハン / 製作:ブラッドリー・トーマス、チャールズ・B・ウェスラー / 撮影監督:ラッセル・カーペンター,ASC / 編集:クリストファー・グリーンバリー,A.C.E / 音楽スーパーバイザー:トム・ウルフ、マニッシュ・ラベル / 音楽:アイヴィー / 出演:グウィネス・バルトロウ、ジャック・ブラック、ジェイソン・アレクサンダー、ジョー・ヴィテレッリ、スーザン・ウォード、レネ・カービー、アンソニー・J・ロビンス、ジル・フィッツジェラルド / 配給:20世紀フォックス
2001年アメリカ作品 / 上映時間:1時間54分 / 字幕:松浦美奈
2002年06月01日日本公開
2002年10月25日DVD日本版発売 [amazon]
2004年04月02日DVD最新版発売 [amazon]
公式サイト : http://www.foxjapan.com/movies/shallowhal/
たぶん日比谷みゆき座にて初見(2002/06/15)

[粗筋]
 ハル(ジャック・ブラック)は気がよく、それなりに仕事の才能もあるものの、小柄で小太りの冴えない外見の持ち主だ。にもかかわらず、女性の理想は異常に高い。まず容姿の優劣で人を見て、見境なくアタックしてはフラれ続けている。恋人の足の人差し指がちょっと長すぎるというだけで醒めてしまったマウリシオ(ジェイソン・アレクサンダー)とは、ある意味いいコンビではあるが。その前の晩にも、向かいに住む気だてのいい美人ジル(スーザン・ウォード)にアタックした挙句、「あなたに惹かれていない」と勘違いを指摘され手酷くフられていた。
 その日、たまたまエレベーターで著名なカウンセラーのアンソニー・J・ロビンス(本人)と一緒になったことが、ハルの運命を大きく変えた。途中でエレベーターが故障し、時間潰しに悩みを打ち明けたところ、ロビンスはハルが上辺だけで女性を見ていることを察し、一計を案じた。ハルに催眠術を施し、人の心の中にある美しさがそのまま外見に反映して目に映るようにしてしまったのだ。
 効果は絶大だった。それまで失敗続きだったナンパが急にうまくいくようになって単純に喜ぶハルだったが、傍にいるマウリシオには女の趣味がマニアックな方へ激変したようにしか見えない。そしてある日、ハルは町中でとびっきりの美人を見つけ、その場でアタックを試みる。自分の容色を必要以上に卑下していて(ようにハルには見える)、病院でボランティアをしながら平和部隊に再入隊の志願が通るのを待っている、彼女――ローズマリー(グウィネス・バルトロウ)はけれど、客観的には136キロの体躯を持て余し、諦めながらも心から悩み続けている女性であった。
 さかんに容色を褒めスリムであることを強調するハルに最初こそ不信感を抱いたローズマリーだったが、彼女か面倒を見る子供達にも優しく接し、本当に容姿を気に懸けていない(らしいようにみえる)ハルにやがては心を許すようになる。
 ついにローズマリーはハルを自分の両親に紹介することにした。実はハルの会社の大ボスであるマリーの父スティーヴ・シャナハン(ジョー・ヴィテレッリ)は野心と誠実さに溢れ、娘が容姿にコンプレックスを抱いている原因は父親にもある、と厳しく指摘したハルを買い、会社でも大抜擢する。しかし、それ故に周囲からはハルが野心からローズマリーに手を出した、という見方をされるようになり、次第にハルは孤立していった。
 ハルの意識の変化が、エレベーター事故のときに一緒だったロビンスの所為だと知ったマウリシオは、ロビンスに直訴してハルを‘呪い’から解放するキーワードを聞き出す――
 そうして夢から醒めてしまったハルは、目の前に広がった現実にどう対するのか? そして、ローズマリーは幸せになれるのだろうか……?

[感想]
『メリーに首ったけ』、『ふたりの男とひとりの女』でブラックな、けれど奇妙な優しさのあるコメディを手掛ける映像作家としての地位を確立したファレリー兄弟の最新作――と聞いて期待するほどに、強烈なコメディーではない。
 ハルの目に映る姿と現実とのギャップ――ことローズマリーの体重に纏わる描写が主な笑いどころだが、その手法は全般に手垢がついていて目新しいものではない。比較的独特な着眼も、あっさりと処理されていて爆笑には至らない――何せ、私が鑑賞していたとき、一番笑いが広がったのは後半、あのグウィネスがケーキを「ちょっとだけ食べさせて」と言いながら、1ホールの1/4を切り取って手に持って抓みながら退場していった場面なのだから、全体は推して知るべし、だ。
 だが、そうしてテーマを過剰な笑いとせず、ユーモア程度に留めた結果、最後に浮かび上がるのは堅実で非常に丁寧なラブストーリーの骨格である。描かれているシチュエーションが甘くなく、しかし厳しい現実を綺麗にユーモアで包んでいるあたりからいえば、ラブコメディの正統派と言ってもいいだろう。相変わらず手口はブラックだし、障害やコンプレックスを取り込む手法は人によっては露悪的に映るだろう――だから、いまいちこの監督の作品は人に薦めにくい。しかし、この作品に限って言えば、あらゆる要素が恋愛物語の展開に奉仕し、爽やかな結末に導いているためほとんど気にならない、はずだ。
 中盤の出来事が丁寧に描かれたうえで、現実を目の当たりにしたハルの葛藤もきちんと画面に焼き付けられていたからこそ、最後に見える現実が美しく映える。136キロの巨体に変貌したグウィネスの姿が、本来の彼女と変わらず美しく見えるのも――そして、凡庸な顔立ちのJBが凛々しく見えるのも、役者と演出が綺麗に噛み合い、理想的な形でストーリーを盛り上げていった成果である。
 笑いも感動も期待しすぎると拍子抜けするかも知れない。だが、現実をちゃんと見据えながら甘さも優しさもあるラブコメディとして素直に眺めれば、一級の出来と感じるはず。ファレリー兄弟最高傑作の評価に偽りはない。

 余談。冒頭でいきなり他界し、その遺言をハルの中にトラウマとして残した父親、を演じた役者に見覚えがある。が、名前が出てこない。それが気になって気になって、最後までいまいち集中できなかったのは秘密だ。どーもアメリカ的には贅沢な配役をしているらしいが(カウンセラー・ロビンスは実際に世評の高い心理学者なのだそうだ)、日本人には解りにくいのが難である。

(2002/06/15・2004/06/22追記)


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