cinema / 『怪談新耳袋[劇場版] 幽霊マンション』

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怪談新耳袋[劇場版] 幽霊マンション
原作:木原浩勝&中山市朗『新耳袋 第六夜』「居にまつわる二十の話」(Media Factory/角川文庫・刊) / 監督:吉田秋生 / プロデューサー:丹羽多聞アンドリウ、山口幸彦、鈴木浩介 / 脚本:渡邊睦月 / 撮影:近江正彦 / 照明:紺野淳一 / 美術:橋本優 / 特殊メイク造型:西村喜廣 / 編集:大塚珠恵 / 音楽:遠藤浩二 / 主題歌:黒川芽以「シアワセがふえるより哀しみをへらしたい」(YAMAHA MUSIC COMMUNICATIONS) / 出演:黒川芽以、吹越満、根岸季衣、曽根英樹、伊佐山ひろ子、清水審大、細田よしひこ、谷津勲、安田洋子、翁華栄、英由佳、滝沢涼子、佐々木すみ江 / 配給:SLOWLEARNER
2005年日本作品 / 上映時間:1時間33分
2004年08月15日公開
公式サイト : http://www.actcine.com/sinmimi/
六本木俳優座劇場にて初見(2004/08/18)

[粗筋]
 大和充(吹越満)と愛実(黒川芽以)の親子は住み慣れた家を売り払い、とあるマンションに転居した。二年前に事故死した母との想い出が染みついた家を手放すのは辛かったが、かつて敏腕のフリーライターであった充は母を喪って以来酒浸りになり、激減した収入を支えるために仕方がなかったのだ。
 見つけたのは賃料が激安だが駅から遠く、築三十五年は経過した中古マンション。住民達は異様な大歓迎で大和親子を迎える。だが、入れ替わりに転居していった大黒一家の母親・真理子(滝沢涼子)は去り際、愛実に対して奇妙な言葉を残していく。「わたしたちのせいじゃないから」
 大黒一家の子供が落としていった人形を転居先まで届けるついでに、愛実はその言葉の真意を真理子に訊ねる。彼女は、あのマンションは呪われている、と応えた。
 転居早々から大黒一家は怪事に見舞われたという。まず住人から忠告されたのは、夜十二時までには、入口の前に引かれた境界線の内側まで戻ってくるように、ということ。そして、このマンションの中では、娘の名前を呼ばないほうがいい、ということだった――最初のオーナーの娘と同じ、“愛”という名前だったから。気にも留めなかった真理子だが、最初の晩にいきなり奇怪な出来事に襲われた。
 毎日のように繰り返される悪夢にも拘わらず、一家がマンションを出て行くことは叶わなかった。一説には、マンションには三十五年前、学校からの帰宅途中に失踪したオーナーの娘・愛が取り憑いているのだという。彼女は寂しさのあまり、住民をマンションに束縛している。十二時までに帰らないか、新たな住人が入るより前に引っ越そうとすると、その人間を祟り殺すのだ、と。大黒一家がその脅威から免れたのは、愛実たち親子が越してきてくれたお陰だったのだ。
 あまりに異様な話に憔悴して帰宅した愛実を、彼女の階下の部屋に暮らす出雲一家のひとり息子・高志(細田よしひこ)が出迎えて、彼女を励ました。怖いことがあったら窓から大声で叫べ、すぐに駆けつけるから、と。同世代の男の子の言葉に、愛実はほんの少しだけ救われた気分になる。
 ――けれど、彼の言葉が、夜毎に彼女を見舞う恐怖から本当の意味で救ってくれるわけでもなかった。そのうえ、そう言った高志の身にも思いがけない事態が訪れる。次の転居者があればようやくこの地獄から抜け出せる、という直前になって、高志の父親・夕一(清水審大)に大阪転勤の辞令が下りたのだ……

[感想]
 本編の原作『新耳袋』は一話一ページから最大でも五・六ページ程度の短いエピソードを、一冊ごとに百に満たない九十九話(この構成には深い理由があるが、趣旨とずれるので説明は省略する)収録し、今年当初の目標であった第十巻に到達、ひとまずの完結を見た実話怪談本である。もとが多くの人々から聞き取った体験談を、恐怖や怪奇のエッセンスを抽出し凝縮していく方針をとっているので、勢い一話一話は短くならざるを得ないのだ。ただ一部に、ひとりやごく限られた範囲の人々が連鎖的に体験したエピソードを、一区切りに出来る現象ごとに話を分け、数話で長篇のような構成を成すものも稀に含まれている。半ば伝説のようになっている第四夜“山の牧場”編や、本編に続いて映像化されることが決まっている第七夜“ノブヒロさん”にまつわるエピソード群、あるいは以前警備会社に勤めていた人物の体験や間接的な目撃談をまとめた第八夜収録の数編などがそれに該当する。
 本編の原型となった“幽霊マンション”編は現地では極めて有名な実在のマンションで、あるテレビ撮影をきっかけに芋づる式に取材に成功したエピソードを纏めた部分である。但し、当然ながら映画のなかで描かれているマンションとは構成も異なるし、所在もまるで別のところだ。心霊スポットなどと称して喧伝したり、体験者を晒し者にすることを目的としない原作であるため、そうした潤色ははじめから避け得ないところである。(私は色々あってどこのどういうマンションかけっこう知っているのだが、原作の方針に習って少なくとも不特定多数の目に留まるところでは詳述を避ける)
 しかし、映画では更に実在のマンションにはない設定を多数付与している。最も象徴的なのは、“夜十二時を過ぎて帰宅する、或いは最古参となったのち新しい住人が入る以前に転出すると呪い殺される”という法則性だ。当然ながら現実のマンションにはこんな約束は存在しない。体験者もいまは普通に別の住居に移っているそうだし、だいいちそれでは他人に話を漏らすはずもなく、生活だって甚だ不自由となるだろう。
 だがその約束から生じる不便を随所で活かすことによって、基本的にバラバラなエピソードの集成になりがちな“怪談”を、うまくひと繋がりの長篇に構成することに成功している。例えば、作中に登場するある夫婦は、もともと一流企業に勤めていたが、引っ越すことが出来ないために栄転の話を断り、それを契機に会社を辞めざるを得ない状況に追い込まれ、現在は逼迫した生活を送っており、その暮らし向き自体が既に不気味な様相を呈している。そうなるのが厭で、物語のなかでやはり転勤を命じられた一家は、また転出出来る順番が巡ってこないうちに引っ越しを決意し……という具合に話が転がっている。他にも、十二時までに境界線の内側に入らなければいけない、という条件もきちんと活かした箇所が幾つかあり、その点で抜かりはない。
 反面、原作ファンとしては残念ながら、肝心の原作にある“幽霊マンション”のエピソードから引かれた怪奇現象はあまり多くない。原作では、マンションに現れる幽霊と思しき女性が晒し者にされることを嫌ってテレビのクルーを妨害する、という話も含まれているため、その点に配慮して原作をそのまま映像化するのではなく広げる形で映像化する方針に切り替えたのだろうが、立て続けの怪奇現象には映像化して面白くなりそうな話も多かっただけに残念という気がする。
 もうひとつ勿体ない、と思うのは、長篇化のために盛り込まれたある要素が、恐らく製作者の意図したほど効果的に働いていないことだ。実のところ、この着想自体は極めて秀逸だし、作中随所にちらつく違和感との呼応は見事なのだが、いま一歩衝撃が足りない。それは、ある面での伏線の張り方に気を遣いながら、もうひとつ重要な事実についてはほとんど伏線を用意していないからだろう。そのせいで、クライマックスの驚きに繋がるある人物の行動が説明不足で唐突な印象を与え、折角の驚きをだいぶ弱めてしまっている。
 だが、勿体ない、と表現したのでお解りだろうが、その着想自体は高く評価する。このアイディアは一種、ホラーの盲点を衝いており、正直なところ膝を打つぐらいに感心した――だからこそ、もっと有効に使って欲しかった、と感じるのである。
 もうひとつ本編で認めたいところは、これはドラマシリーズの時もそうだったが、恐怖を演出する際に、突然の大きな音や不意打ちなどの虚仮威しめいた手法をあまり使わず、また怪奇現象を描くうえでCGに頼ることなく実写をメインにしているその姿勢だ。CGを駆使すると、通常あり得ない出来事を簡単にフィルムに焼き付けることが出来るが、よほど卓越した技術者が手懸けたのでもない限り、どうしても作りものめいた印象が付きまとう。多くの工夫をして、実写のまま不可解な出来事を描写する方が、映像は生々しくなる。それをよく解ったうえで、本編は決して多くない怪奇現象の衝撃度をうまく高めている。原作からの引用は少ない、と記したが、その数少ないなかでもかなり映像的なインパクトの強いものを綺麗な形で織りこんでいることにも好感を持った。
 そして、本編の印象を良くしているもうひとつの点は、キャラクターがちゃんと立っていることだ。怪奇現象を少なくしながらも薄気味悪い雰囲気を盛り上げるために、マンションの外観にも工夫が凝らされているが、更にその住人に奇矯な人物を集めることで、より異形のイメージを膨らませている――但しこの点は諸刃の剣で、少々狂騒的になりすぎた一部の展開には“ホラーらしくない”と拒否反応を覚える観客もあるだろう。また、そうしてキャラクターを際立たせたことが結果として“けっきょく生きている人間がいちばん怖い”という、ホラー映画好きにとっては最も有り難くない結論を想起させることに結びついてしまっているため、その意味でも評価はいささか微妙になるのだが。
 やはり本編の欠点は、そうした点も含めてシナリオの練り込みが甘いことだろう。主軸となるアイディアが活かされていない一方で、無駄になっている要素も幾つか見出される。しかし、実話怪談を長篇として映像化するために盛り込まれた工夫の数々には好感を抱くし、怪奇現象を描くうえでの姿勢も往年の怪談映画の良さを踏襲しながら新しい次元へと繋いでいこうという志しが窺われ、俳優の熱演もあって全体としての印象は決して悪くない。傑作と呼ぶことはどうしたって無理だが、長篇怪談映画の方法論のひとつを提示した好例として、そうした映画の愛好者なら一見する価値はある作品に仕上がっている。

 ところで、本編に登場する黒川芽以演じる愛実は、テレビドラマシリーズ最新作である第四期のエピソード全二十話の半分に登場している。友人知人の体験を傍観する立場にあるかと思えば、ホラー的な思考からすればこの世からいなくなっていてもおかしくない状況すら経験しながら何故かひとりだけ無事、しかもシリーズを通して眺めると、段々と“怪異”を目撃する能力に磨きがかかっているようにすら映る。
 それを受けての本編であるから、いわばこれは愛実の冒険譚のクライマックスという捉え方も出来る――実際のところ、各編で監督が異なっているせいもあって、設定に食い違いがあるように見受けられるのだが、通して観る上でそういう楽しみ方もある、と考えると解釈の幅も拡がる。結果として愛実がどういう結末を迎えるのか、果たして最後まで彼女は無事でいられたか――は、ご自身で確認していただきたい。敢えて本編の出来事を踏まえてテレビシリーズを見なおすと、妙な感慨が込みあげてくるかも知れない。

参考――『怪談新耳袋[劇場版]』第一作の感想

(2005/08/19)


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