cinema / 『心霊写真』

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心霊写真
原題:“SHUTTER-Kod Tid Vinyarn” / 監督・脚本:パークプム・ウォンプム&バンジョン・ピサンタナクーン / 共同脚本:ソーポップ・サクダーピシット / 製作:ヨートペット・スットサワット / 製作総指揮:パイブーン・ダムロンチャイタム、ブッサバー・タオルアン / 撮影監督:ニラモン・ロス / 美術:ティラネート・ジョンアラムルンルァン、ガモンワン・ウィリヤパックディー / 音響:アモンボーン・メータクナゥット、ナコーン・コーシットパイサーン / 編集:マノップ・ブンウィパート、リー・チャータメティクン / 音楽:チャーチャイ・ポンプラパーパン / 出演:アナンダ・エヴァリンハム、ナッターウィーラヌット・トーンミー、アチタ・シカマーナー、アノップ・チャンパイブーン、ティティカーン・トーンプラスート、シワゴーン・ムッタマラ、チャンチャヤー・シャルーンポン、カチョンサック・ナルパット、アビチャート・チューサクン、ピン・キッカジョンポン、パニターン・マーウイジャック / フェノミナ・モーション・ピクチャーズ製作 / 配給:KLOCKWORX×media suits
2004年タイ作品 / 上映時間:1時間37分 / 日本語字幕:濱野恵津子
2006年05月20日日本公開
公式サイト : http://www.tsutaya.co.jp/shinreisyashin/
新宿シネマミラノにて初見(2006/05/27)

[粗筋]
 カメラマンのタン(アナンダ・エヴァリンハム)が大学時代の親友トン(アノップ・チャンパイブーン)の結婚式に参加したその帰り道、恋人ジェーン(ナッターウイーラヌット・トーンミー)の運転する車が、道にふらふらと現れた女性を撥ね飛ばしてしまった。動揺する彼女に、タンは逃げろ、と言ってしまう。道路に横たわる女性を置き去りに、ふたりは暗い夜道を走り去った。
 大学の卒業式で、生徒たちの記念写真を撮っていたタンは、自分の撮った写真に奇妙なものが写っているのに気づいた。人の顔の前を横切る、白い閃光のようなもの。現像のミスではないか、と写真を預けていた写真屋の主人に詰め寄るが、ネガにもその光は写っている。それどころか、集合写真のなかに、いるはずのない位置で横顔を覗かせる女の姿があった。
 あの事故以来鬱ぎ込んでいるジェーンは、その女の顔があの日撥ねた女性に似ている、と主張する。まさかと思いながら引っかかるものを覚えたタンは彼女を伴って事件現場に赴いた。現場では、女性を撥ね飛ばした直後にタンたちの車が衝突した看板の修理を行っていたが、事故に遭った女性が発見された、という話は聞かれない。タンは知人の伝手を頼って警察や病院にも連絡を取ってみたが、同日現場から女性が搬送された、死者が出たという話はなかった。しかし、そう説明してもジェーンは安心するどころか、不安を増している様子だった。
 相変わらず写真に写りこむ奇妙な影、そして襲いかかる奇妙な出来事に憔悴していくふたり。そんなある晩、唐突にトンがタンの部屋に姿を現した。結婚直後で幸せの絶頂にいるはずだった彼は憔悴しきった面持ちで、「あの写真は何処だ」とタンに詰問する。あの写真のせいでこんなことになったんだ、と訴えかけたあと、忽然と姿を消した彼を心配してトンの部屋を訪ねたタンが目撃したのは、自分の撮ったものと同じように謎の光が写りこんだ写真の数々と――まさにその瞬間、ベランダから投身自殺する友人の姿だった……

[感想]
 異様な出来事を無秩序に並べ立てるだけでホラー映画になる、と思いこんでいる人が(どうもホラー映画を作っている人々のなかにも)いるらしいが、それは根本的に違う。サイコ・サスペンスなどで、「狂人には狂人の理屈がある」と主張されるように、異界の者の行動にも、一見常識の埒を外れた出来事のなかにも、ルールがきちんと存在する。ルールがきちんと定義された上で、意外性や恐怖心を煽る出来事を積み上げていくのが正しいホラー映画の姿だ。この方法論を突き詰めて、怪奇の訪れる原因をそのまま謎解きに絡めて恐怖を増幅していったのが、近年の最高傑作『リング』であり、往年の名作群にしても、こうした原則を守っているからこそ名作と呼ばれているのがお解りになるはずだ。必要なのは、要素の独創性ばかりではない。
 その点、本編は実によく勉強し、堅実に仕上げた作品といえる。
 題名にも掲げられた“心霊写真”は、意外とホラー映画においてメインに用いられることは少ないが、それもそのはずで、動かない映像を主体にホラーを構築していくのは難しい。実際、本編においても心霊写真そのものは決して怖くないのだ。実話怪談や心霊写真の類にも興味を持って長年追いかけている私の目には、若干興味深いものはあっても、決しておぞましくも不気味でもないものが多い。
 本編の巧みなところは、心霊写真が撮れてしまう、という状況を切り出しにし、そこから話やアイディアを膨らましていることだ。何故こんな写真が撮れてしまうのか? という疑問から出発し、主人公のふたりは心霊写真の特集を頻繁に組んでいる雑誌社を訪ねる、といったところから真相に迫ろうとする。時として、あり得ない場所から人の姿が現れる、暗がりで人の気配を感じるといったありがちだったり極端であったりする描写が鏤められているものの、基本的にいちばん恐ろしい部分を、“写真”をモチーフとした表現に委ねているその一貫した姿勢は好感に値すると共に、きちんと恐怖に繋げられている。
 但し、そうして採り入れられた怪奇描写の数々は、決して予測不可能なものではない。寧ろ、“心霊写真”という素材を用いるのならこういう手法が有効だろう、と(ホラー映画に慣れたものならば)咄嗟に想像できるものが中心となっているので、その意味での意外性はない。だが、そうした想像の範囲内にある素材を、程良い分量で、実に巧いタイミングで提示している。構成が実によく考えられているのだ。
 その熟考ぶりを最もよく象徴しているのが、中盤に挿入される“笑い”を誘う一場面である。これもホラーに親しんでいない方は誤解しているかも知れないが、実はホラー映画と“笑い”は切っても切り離せないものである。終始優れた恐怖の要素を並べ立てては観客を疲れさせると共に、重要な場面を平坦な恐怖のなかに埋没させて、印象を乏しくしてしまう危険がある。また、敢えて途中に笑いの要素を挟み込むことで、物語にも恐怖の表現にも緩急を齎し、クライマックスの激しさを強調することにも貢献している。
 終盤においては、それまでの節度を突如見失ってしまったかのような過剰な描写が組み入れられてくるが、しかし本当の恐怖はそのあとの、決して独創的ではないものの伏線を丁寧に張り巡らせたひと幕に集約されていく。事前に過剰な描写があるからこそ、このラストが非常によく活きているのだ。
 ホラー映画の方法論はもうとうに出尽くしている。今後どれほど期待しても、独創的なアイディアで埋め尽くされた作品にはそうそう出逢えないだろう。だからこそ、凡庸な発想であっても、基本を丁寧に押さえ、それをどう活かしていくかが、優れた作り手に求められることではないかと思う。そういう意味で、本編は不満をほとんど感じさせない――きちんと物語を味わわせ、そして恐怖も存分に堪能させてくれる、優秀なホラー映画である。現時点で、本年度に鑑賞したホラー映画のトップに掲げてもいい。
 ――惜しむらくは、どんな理由からなのか、劇場公開が都内でたった二週間にて打ち切られてしまうことだ。恐らく今年の夏ぐらいまでに映像ソフトでリリースされるのだろうが、いちど劇場で観ておいても損はないと思うので、興味がおありの方は急ぎ駆けつけていただきたい。

 ……と褒め尽くしておいて何だが、ただひとつ引っかかるのは、観賞後にざっと目を通したプログラムにあった、監督たちの言葉である。彼らによれば本編は、「他のホラー映画と似たようなところは削ぎ落とした」作品だったとのことだ。近年業界全体が国際的な注目を集めはじめ、ホラー映画の製作数も多いというタイの、こういう作品を完成させた彼らの口からそんな表現が出てしまうことに、やっぱり危惧を感じずにはいられないのだけれど――。
 まあ、そのことを踏まえた上でも、本編が良質のホラー映画であることに変わりはない。

(2006/05/28)


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