cinema / 『サイレン FORBIDDEN SIREN』

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サイレン FORBIDDEN SIREN
監督:堤幸彦 / 脚本:高山直也 / 企画:山内章弘、川村元気 / プロデューサー:阿部謙三、長澤佳也 / 製作:島谷能成、藤原正道、亀山慶二、亀井修、安永義郎、稲田一郎、古屋文明、岡田稔、水野文秀、石川治 / エグゼクティヴ・プロデューサー:市川南、梅沢道彦、春名慶、釜秀樹 / 撮影:唐沢悟 / 照明:木村明生 / 録音:白鳥貢 / 美術:相馬直樹 / 編集:伊藤伸行 / VFXスーパーヴァイザー:野崎宏二 / 音響効果:北田雅也 / 音楽:蓜島邦明 / 音楽プロデューサー:北原京子 / エンディング・テーマ:石野卓球『SIREN』(Ki/oon Records) / 出演:市川由衣、森本レオ、田中直樹、阿部寛、西田尚美、松尾スズキ、嶋田久作、高橋真唯、西山潤 / 配給:東宝
2006年日本作品 / 上映時間:1時間27分
2006年02月11日公開
公式サイト : http://www.siren-movie.com/
VIRGIN TOHO CINEMAS 六本木ヒルズにて初見(2006/02/11)

[粗筋]
 わたし――天本由貴(市川由衣)は父・真一(森本レオ)と弟・英夫(西山潤)と一緒に夜美島へと転居した。病弱な英夫のために、ということだったけれど、上陸早々、わたしは島の異様な雰囲気に飲まれてしまう。
 やけに日本人離れした容貌をした人の多い島民は遠巻きにわたしたちの様子を窺うだけで、親しげに話しかけてくるのは診療所の南田豊先生(田中直樹)と隣家に暮らす里美(西田尚美)という女性ぐらい。島民たちは奇怪なお堂で謎めいた儀式を行っているし、英夫は赤い服を着た不思議な少女(高橋真唯)と近づいていて、なんだかとても厭な感じがする。
 何より不気味なのは、里美や廃屋の男(松尾スズキ)が繰り返す忠告だった。「サイレンが鳴ったら、決して外に出てはいけない」――サイレンとはいったい何なのだろう。外に出たら何が起きるというのだろう。廃屋に落ちていたメモ帳の切れ端が物語る、29年前に起きた島民の大量失踪事件にも“サイレン”の存在が絡んでいるらしい……
 そして、父が夜行動物の撮影のために出かけた晩、最初のサイレンが鳴り響いた。これからいったい、何が起きるというのだろう……?

[感想]
 昨今、ゲームを原作にした映画が続々と発表されているが、本編もまたその一種である。ただし、メディアミックス戦略として、同時期に発売されたゲーム版第2作『サイレン2』と、更に万乗大智執筆による漫画版『サイレン ETERNAL SIREN』と基本設定の一部や世界観をリンクさせながら、しかしそれぞれのネタには抵触することなく独自のストーリーを築いているのが特色であるため、他の作品を知らなくとも楽しむことは出来る。
 この映画版の魅力は、まず何よりもその音響のクオリティである。世界初のサウンド・サイコ・スリラーと銘打っているほどで――その分類のいかがわしさはさておくとして、自ら掲げた肩書きに恥じない臨場感と迫力とを演出している。物音は対象との距離が実感できるほど生々しく、BGMが抑えられた場面では、画面に描きえない“気配”がじりじりと伝わる。そして特に凄まじいのは、凶兆を告げるサイレンが鳴り響くシークエンスだ。耳を聾する大音響が、文字通り観客の全身を押し包み、ヒロイン・由貴が陥っているのと同じ狂乱の渦へと巻き込んでいく。この驚異的な臨場感は、ハリウッドの大作群と比較してもまったくひけを取るまい。
 加えて、もともとヴィジュアル・センスに秀でる堤監督らしく、映像の個性と迫力も出色である。異国人の血が混ざっているらしい、という島民の設定を反映して、どこか日本らしからぬ商店や民家の佇まい、また島民たちが信奉する、わたしたちには馴染みのない宗教の施設や祭祀道具の数々の、非現実性と現実性の狭間をうまく捉えた造型が魅せ、そのなかに佇む島民たちの薄気味悪さ、由貴の困惑とを自在のカメラワークでスピーディに描き出す。クライマックスにおける襲撃と逃走の、緩急をわきまえたテンポよい演出も見所である。人名や小道具にさり気ないお遊びを入れているところまで含めて、映像の組み立てはまさに堤テイストと呼ぶべきものが横溢しており、『TRICK』『ケイゾク』などの作品群に惹かれてファンになった、という向きなら楽しめることは確実である。
 ただし、シナリオの出来には正直、首を傾げざるを得ない。決して下手ではないのだ。冒頭から醸しだされる異様な気配、住民達の行動の奇怪さ、じわじわとヒロインの首を真綿で絞めていくような感覚、そして中盤に至って畳みかけるように連続する怪事、という構成は堂に入っており、観ている側の気を逸らさない。そして終盤のドラマ作りと、クライマックスにおけるサプライズ要素の意図も解る。ただ、その直前までの描写と、クライマックスで明かされるある事実とのあいだに、無数の齟齬があるのがいけない。
 それでもサプライズはサプライズ、これからご覧になる方の興を削がないために、いったい何が問題なのか詳述することは避けるが、この感想を書くためにざっと疑問点を挙げていくと、序盤における行動やモチーフの大半が矛盾を来してしまうと気づく。或いは完全に描かれなかった事実、わたしが見落としている事実の繋がりによって説明がつくのかも知れないが、恐らくすべてについて誰もが納得のいく答は出せないだろう。もしあの結末のアイディアが先にあったのなら、それを配慮して序盤の出来事を丁寧に整理整頓するべきだったし、序盤のシークエンスの案が先にあったのだとしたら、実際に使用されたアイディアに拘らず、それに添ったサプライズを用意するべきだった。
 しかし、そうした構造上の欠点を指摘しつつも、ドラマの盛り上げ方の巧さは改めて肯定しておきたい。心理的な緊迫感の演出は必ずしも映像技術ばかりに因っておらず、構成の巧さに因るところも大きい。終盤のドラマは有り体ながら感動を誘い、それだけにクライマックスのあとの展開は更なる衝撃を齎す。
 そして何よりも、冒頭でも触れた音響と映像の迫力だけでも、充分賞賛に値する。原作となったゲーム版『サイレン2』はその恐怖演出と、プレイヤーを物語の現場にいるかのような錯覚を齎す驚異的な臨場感において傑出している。本編はそうした魅力に惹かれて劇場へ足を運んだ観客を、決して失望させないレベルに達している。展開と結末に不満を覚えたとしても、しかし雰囲気を味わうという点で不満を覚える向きはまずないだろう。
 一般的な家庭のAV機器でこの迫力を存分に体感することは難しい。映画館で観てこそ醍醐味を堪能できる、そういう意味で優れた“娯楽映画”である。どうせ観るならば、是非とも劇場で楽しんでいただきたい。

(2006/02/11)


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