cinema / 『マルティナは海』

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マルティナは海
原題:“Son de Mar” / 原作:マヌエル・ヴィンセント / 監督:ビガス・ルナ / 脚本:ラファエル・アスコナ / 製作:アンドレス・ヴィセンテ・ゴメス / 撮影:ホセ・ルイス・アルカイネ / 美術監督:ピエール・ルイ・テヴネ / 編集:エルネスト・ブラシ / 衣装:マカレナ・ソト / 出演:レオノール・ワトリング、ジョルディ・モリャ、エドゥアルド・フェルナンデス、セルヒオ・カバジェロ、リッキー・コロメル / 配給:GAGA
2001年スペイン作品 / 上映時間:1時間40分 / 日本語字幕:? / R-15指定
2002年02月02日日本公開
DVD日本盤2004年02月27日発売 [amazon]
公式サイト : http://www.gaga.ne.jp/martina/
パソコンテレビGyaOにて初見(2005/11/20)

[粗筋]
 港町にある高校に、文学の教師として赴任したウリセス(ジョルディ・モリャ)は、下宿先に選んだカフェの娘・マルティナ(レオノール・ワトリング)と出逢う。美しいマルティナには不動産業を営むシエラ(エドゥアルド・フェルナンデス)も言い寄っていたが、マルティナは歯牙にもかけない。彼女は自分のために詩を誦し、言葉でも躰でも酔わせてくれるウリセスのほうを選んだ。間もなくお腹に子を宿したマルティナは、ウリセスと華燭の典を挙げる。
 家を得、念願だった自分の船も購入したウリセスだったが、安定した毎日は、根に浪漫への憧れを抱く彼に鬱屈を齎していた。子供が生まれてしばらく経つと、彼は“マルティナ”と名付けた船を海に出し、戻ってきたのは、ボロボロになった船だけだった……
 愛よりも生活のために、マルティナはシエラを頼った。アベル(リッキー・コロメル)と名付けた子供は、自分の父親をシエラだと思いこんだまま成長する。すっかり実業家の夫人としての顔が身に付いたころ、シエラの家の電話にしばしば無言電話がかかるようになる。マルティナが出て数度目、無言電話の主は、懐かしい詩を囁きはじめる。電話の主は、死んだはずのウリセスだった。
「世界中の海を旅して解った。僕には君が必要だ」

[感想]
 ラヴ・ストーリーというと、ふたりの男女が次第に惹かれあっていく様を描くか、或いは破局なり離別なりの結末までを描くものというのが相場だが、本編の場合は最初の動機や理由付けは重視していない。
 まずそこに愛情があって、それに翻弄される男女の姿を描くたぐいの物語といえる。実質的に捨てた女を忘れられず、長い時を経て舞い戻った男。死んだ男よりも我が子との暮らしを選んだはずなのに、ふたたび現れた男にまたしても心身を捧げてしまう女。別の選択肢も無数にあったはずなのに、それを選ぶことさえ出来ぬまま踊らされていくふたりの姿を、芸術的に官能的に描いていく。鑑賞したのは決して画質的に完璧とは言い難いネット・ストリーミングでのものだったが、それでも釘付けにさせられるほど映像は美しい。
 そして、一種寓話的な結末も印象的だ。心理的にあそこへと辿り着く背景はあったし、伏線もきちんと用意されているから、驚きもある。作中でウリセスが誦した詩と呼応するかのような幕引きでもあり、残酷だが行き着くところへ行き着いた、という感があって、異様な美しさを湛えている。
 観たあとには虚しさが拡がるが、その余韻は詩的で鮮烈だ。純然たる文芸恋愛映画、である。あんまりあれこれ語る気にもなれず、観て感じてください、としか言いようがない。

(2005/11/20)


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