/ 『それでもボクはやってない』
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『light as a feather』トップページに戻るそれでもボクはやってない
監督・脚本:周防正行 / 製作:亀山千広 / プロデューサー:関口大輔、佐々木芳野、堀川慎太郎 / エグゼクティヴプロデューサー:桝井省志 / 企画:清水賢治、島谷能成、小形雄二 / 撮影:栢野直樹 / 美術:部谷京子 / 編集:菊池純一 / 照明:長田達也 / 整音:米山靖、郡弘道 / 装飾:鈴村高正 / 録音:阿部茂 / 助監督:片島章三 / 音楽:周防義和 / 出演:加瀬亮、瀬戸朝香、山本耕史、もたいまさこ、田中哲司、光石研、尾美としのり、大森南朋、鈴木蘭々、唯野未歩子、柳生みゆ、野間口徹、山本浩司、正名僕蔵、益岡徹、北見敏之、田山涼成、矢島健一、大谷亮介、菅原大吉、石井洋祐、大和田伸也、田口浩正、徳井優、清水美砂、本田博太郎、竹中直人、小日向文世、高橋長英、役所広司 / 製作プロダクション:アルタミラピクチャーズ / 配給:東宝
2006年作品 / 上映時間:2時間23分
2007年01月20日公開
公式サイト : http://www.soreboku.jp/
日比谷シャンテ・シネにて初見(2007/01/20)[粗筋]
金子徹平(加瀬亮)の不運は、面接のために電車に乗ったあとで、履歴書を忘れたことに気づいてしまったことに始まる。すみれが丘駅から城北急行電鉄に乗ったあとで不安になった徹平は、いったん武蔵台駅で下車、荷物を確かめて、やはり履歴書を忘れていたことを再認する。しかし、戻っては遅刻すると思った徹平は、そのまま手近な扉から電車に乗った。駅員によって背中から押しこまれた彼は、扉に背広の裾を挟まれてしまう。懸命に抜き取ろうとしていて、右隣にいた女性に怪訝な眼で見られた徹平は小声で詫びた。
間もなく目的地である岸川駅に着こうかというとき、徹平は間近で「やめてください」という声を聞いた。その声の意味を穿鑿する間もなく電車はホームに滑り込み、押し出されるように歩きはじめた徹平の裾を、後ろからひとりの女子中学生(柳生みゆ)が掴み、訴えた。「あなた、痴漢したでしょう」
事情も理解できないまま、電車に同乗していた男性(田口浩正)にも促されて、徹平は岸川駅の事務室に連れこまれた。ろくすっぽ事情を訊ねられもせず、また徹平の真横にいて彼は無実だと思う、と証言していた女性(唯野未歩子)は門前払いを食わされた。そして徹平は五里霧中のまま、所轄である岸川署へと連行される。
取り調べに当たったのは生活安全課の山田刑事(大森南朋)。いわゆる“迷惑防止条例違反”の案件が立て続けになったことに、彼がいささか苛立っていたことも、徹平には災いする。被害者からの聴取もろくに行わないまま、状況を勝手に推測して話を進めたのだ。身に覚えのない徹平は当然のように否認するが、山田らは言い逃れをしようとしているだけだと判断、寧ろ認めてしまえば罰金のみの微罪で済む――と、自供を促そうとする。拘置所の同房者・三井(本田博太郎)の助言により、当番弁護士との接見を行った徹平だったが、あろうことかこのとき現れた弁護士・浜田(田中哲司)までもが敢えて罪を認め、示談にしたほうが決着は早い、と諭すのだった。徹平は混乱に陥る。
副検事・宮本(北見敏之)による聴取ののち、依然として犯行事実を認めない徹平に対し、検察は勾留延長の手続きを取る。このとき、ようやく徹平は親しい人間に連絡を取ってもらうことに思い至った。彼が係官を経由して、自らの置かれた立場を最初に伝えたのは、大学時代からの友人であり同じフリーター仲間でもある斉藤達雄(山本耕史)である。警察からの連絡を受けた達雄が訝りながら徹平のアパートに赴くと、そこには徹平の母・豊子(もたいまさこ)の姿があった。就職活動の話をしておきながら連絡を寄越さない彼を心配してやって来た豊子にとっても、徹平逮捕の報は青天の霹靂であった。
豊子と達雄は、無罪を訴える徹平のために、新たな弁護士を頼ることを決意する。しかしまったく伝手のない彼らは、まず徹平が面接に訪れるはずであった会社の知人から顧問弁護士を頼る。しかし、民事専門であった顧問弁護士は別途、旧知の刑事弁護士を紹介する。
ようやく彼らが辿り着いたのは、元裁判官である弁護士・荒川正義(役所広司)。罪状を否認して戦うことの難しさを重々承知しながら、荒川は徹平の弁護を引き受けた。だが、彼が補佐として指名した部下・須藤(瀬戸朝香)は痴漢という犯罪を特に憎み、徹平に対しても色眼鏡で臨んできた……[感想]
一世を風靡し、ハリウッドでのリメイクも好評を博したコメディ映画の大傑作『Shall We ダンス?』から実に11年振りの、周防正行監督最新作である。だが、『シコふんじゃった。』『ファンシイダンス』といった作品群の、ゆったりとして長閑な笑いを誘うあのタッチを期待していると大いに足許を掬われ、余計に衝撃を受けること必至だ。これは旧作に縛られ、固定観念を以て観るべき映画ではない。
実のところ、ストーリー・ラインは非常に単純だ。ある青年がありもしない疑いをかけられ、ろくに状況を把握できず、申し開きも出来ないままに囚われの身となる。母や友人の助けにより裁判にかけられるが――と、流れだけ辿れば単純明快だ。
そして、描こうとしているのも、あくまで現実の司法制度そのものである。実際に裁判を受けた人物らに対して行った取材に基づき、余計な潤色など施さず、その実情と感覚とを丁寧に踏まえて物語に織りこむことに執心している。
本当にただそれだけなのに、本編の牽引力は著しい。語り口のテンポがいい――というよりも、極めて知性に優れ、弁舌に長けた人の話に耳を傾けているような感覚を齎す。この出来事の背景に何があるのか、何が原因でこういう展開となったのか、といった話のなかで必然的に聴き手の脳裏に浮かぶ疑問を先回りして把握し、的確にフォローを交え、理解を深めながら語り聞かせているような風情がある。聴き手となった観客はその語り上手さにすっかり惹きこまれ、時が経つのをすっかり忘れてしまう。
この“語り巧者”ぶりは、裁判の流れを完璧に消化し、その問題点、不条理な現実を充分理解したうえだからこそ出来ることである。いちおう推理小説に親しんだ者として、一般よりは法律・法廷について多少なりとも馴染みのある目から見て違和感は覚えなかったし、恐らくはより密接に法曹界と関わり合っている人物が鑑賞したとしても、大幅に異を唱えるような箇所はないだろう。見事に情報を整理整頓し、巧みな取捨選択を行い、そのうえで情報やエピソードを配列しているのだ。この無駄のなさ、尺に対する緊密な情報量、にもかかわらず“詰め込みすぎ”による観る側への負担さえ感じさせない構成の巧みさ、匙加減の絶妙さは、それ自体に感動すら覚えるほどだ。
この、フィクションであるからこそ可能な匙加減の絶妙さは、人物描写においても遺憾なく発揮されている。漠然と鑑賞し、主人公である金子徹平に感情移入して鑑賞している限りでは、司法や縁のない人々に悪意しか感じられないだろうが、しかしよく細かな描写に目を光らせていけば、本質的に“悪人”はただのひとりも登場していないことが解る。被害者となった少女はかねてから痴漢の被害に遭っており、いちど受けた忠告から現行犯逮捕という方法に踏み切るが、その認定に誤りがあったことに気づかなかった。“目撃者”として少女が駅員に訴えるのを手助けした男性もしかりで、のちに証言台に立った彼は冷静に、主人公が犯行に至ったその現場は目にしていないことを告げる。駅員の主人公に対する態度、また刑事の取り調べの仕方にも不手際を見出すことは可能だが、しかしそこに至る原因や真情をきっちりと織りこんであり、“悪意”は微塵も感じさせない。最初に主人公の事件を受け持つ判事は“無罪病”とマスコミに罵られ、実際作中でもあまり能のない人物として描かれているが、しかし法的には極めて厳正な発言をしている。のちにその仕事を引き継ぐ判事は官僚的で杓子定規な物の見方をするが、それも立場に求められる必然性に忠実であろうとし、そのために知性を駆使しているのが窺われる。唯一、傍聴ゴロとして登場し、既に保釈されているため傍聴席を通って退廷する徹平に「本当はやったの?」と囁きかける男には他よりも生々しい不快感が齎されるが、実のところあれこそ第三者の素直な反応であり、それは悪意というよりは単純な野次馬心理だろう。彼とて、制限された情報のなかで、本当に疑うべきものを理解していないだけだ。
つまり、誰もが自らの役割や置かれた立場、或いは主義にとても忠実であり、その線に沿って行動をしているだけなのだ。それぞれに“正義”があることを滲ませる。しかしそれが当初から一貫して無罪を主張する青年を守る方向に傾かないのは、その流れを見る限り、完全に制度に生じた歪み、根本的な欠陥に起因している、というのが如実に伝わるのだ。言うのは易く行うは難し、このシンプルながら難易度の高い主題を、本編はシンプルな筋と吟味された人物描写を実現させることによって、見事に作品に刻み込んでいる。問題提起として充分に目的を達成している。
だが、本編が真に優れているのは、そうした問題提起の部分を省き、或いは意識しないまま観たとしても楽しめてしまうことだ。語り口の巧みさは中弛みなどとは一切無縁に最後まで観客を牽引し、細かな笑いやお遊びで楽しませつつも、クライマックスには何かについて考えを巡らせずにおかないレベルにまで観る側の意識を引き上げる。社会派としての矜持を貫きながら、それ故にエンタテインメントとしても傑出した完成度に達している。
通常、映画を薦める場合はなるべく相手の好みを見極めて、感想を書く際にもそれぞれに合った嗜好の人に響くように書くよう務めており、そんな風に考えることは少ないのだけれど――本編については例外的に、老若男女問わずあらゆる人にお薦めできると実感した。いや、正確には今の日本人にこそ必見と訴えたい作品である。やがて実施される裁判員制度を控えた今、誰にとっても完全に無縁とは言い切れない事態を容赦なく、妥協なくリアルに描ききった本編、楽しめるか否かを別にしても、いちど観ておいて損はない。(2007/01/20)