cinema / 『ソウル・オブ・マン』

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ソウル・オブ・マン
原題:“The Soul of a Man” / 監督・脚本:ヴィム・ヴェンダース / 製作総指揮:マーティン・スコセッシ / 製作:アレックス・ギブニー / プロデューサー:マーガレット・ボッデ / 共同プロデューサー:リチャード・ハットン / エグゼクティヴ・プロデューサー:ウルリヒ・フェルスバーグ、ピーター・シュワルツコフ、ポール・G・アレンジョディ・パットン / 撮影監督:リサ・リンズラー / 編集:マチルダ・ボヌフォア / 演奏:ブラインド・ウィリー・ジョンソン、スキップ・ジェイムス、J.B.ルノアー、ベック、イーグル・アイ・チェリー、ルー・リード、ジョン・スペンサー・ブルース・エクスプロージョン / 出演:キース・B・ブラウン、クリス・トーマス・キング / ナレーション:ローレンス・フィッシュバーン / 配給:日活
2003年アメリカ作品 / 上映時間:1時間44分 / 日本語字幕:石田泰子
2004年08月28日日本公開
公式サイト : http://www.blues-movie.com/
VIRGIN TOHO CINEMAS 六本木ヒルズにて初見(2004/09/25)

[粗筋]
 1977年、太陽系の彼方へと放たれたボイジャーには、“地球の音”を収めたレコードが積み込まれた。様々な自然の音に50カ国語での挨拶、そして欠かすべからざる音楽のなかから選ばれたのは、ブラインド・ウィリー・ジョンソンの“Dark was the night”だった。
 ブラインド・ウィリー・ジョンソン(再現VTR:キース・B・ブラウン)は1927年にコロンビア・レコードからデビュー、1930年までのあいだに30曲を録音したあとはレコーディングを行わず、教会の前などでの路上演奏で稼いだ。第一線でのキャリアは短かったが、後年のミュージシャンに与えた影響は計り知れず、レッド・ツェッペリンが彼をモチーフに曲を作り、エリック・クラプトンも彼の楽曲をカバーしている。
 同じころ、ミシシッピ州にはスキップ・ジェイムス(再現VTR:クリス・トーマス・キング)がいた。ゴロツキの仲間入りをしていた彼のあだ名は、万事においてすぐ“逃げる”ことからついたという。友人に誘われて地元のオーディションを受け、即刻採用されたスキップはパラマウント・レコードで18曲を吹きこんだ。プロデューサーはその才能にヒットを確信したが、折も折、アメリカは空前の大恐慌に見舞われ、レコードのプリント自体が数を絞られたために、話題になることもなく消えていった。その失望もあってスキップはブルースを捨て、牧師となり、表舞台から完全に姿を消した。
 時は経って1967年、当時映画専門学校に通っていた青年は、イギリスでブルース・シンガーとして活躍していたジョン・メイオールの『J.B.ルノアーの死』という楽曲に登場するその名前に興味を惹かれ、調べ出すと途端にそのブルース・シンガーに魅せられていった。ミシシッピ州で生まれ20代のころにシカゴに移り、社会性に敏感なテーマと繊細な歌唱力で頭角を顕したルノアーだが、生前の映像資料はほとんど存在していない。かつてメイオールの曲を介してルノアーにのめりこんでいった青年は、そんな数少ない映像を収録した当事者に巡り会う……

[感想]
 まず説明しておくと、本編はブルース生誕100年記念としてマーティン・スコセッシ監督を中心に企画された“ザ・ブルース・ムービー・プロジェクト”の一本として製作された。スコセッシ監督に本編のヴィム・ヴェンダース、『リービング・ラスベガス』のマイク・フィギス監督、そしてクリント・イーストウッドを含む全七編が製作され、関連書籍やCDも多く発表されている。
 従って、本編ひとつでブルースの沿革をすべて語ろうなどという不遜な真似ははなから試みていない。本編はあくまで、音楽史全般に造詣の深いヴィム・ヴェンダース監督が、自らにとって原点に近い三人のブルース・シンガーに焦点を絞って、ブルースというものの精神を見つめ直した作品ということになるようだ。
 それ故に、監督自身を含むブルースに対して造詣や愛着のある人を主な対象に定めた作品という趣が色濃く、個々のアーティストやブルースの歴史のいずれにも疎い観客にはその熱気が充分に感じられない嫌味がある。三人のブルース・シンガーの大まかな来歴と代表曲を語り、現代のミュージシャンたちがその代表曲をカバーした演奏風景を繋げていくという構成だが、個々のアーティストについてはあまり説明がなく、全体に筋をつけるようなこともしていないので、来歴にもアーティストたちにも詳しくないと途中で飽きを感じてしまうのだ。
 とは言え、知識がなくとも監督の造詣の深さは垣間見えるし、それぞれのシンガーに対する愛着の確かさも充分に伝わってくるあたりはさすがと言える。ここからブルースを知ろうと考えて観ると辛いだろうが、わずかな活動期間でブルースの歴史に名前を刻んだ三人のブルース・シンガーのその“大きさ”の一端に触れつつ、現代のシンガーたちの熱の籠もった演奏をも収録した音楽映画として鑑賞すれば、知識がなくとも充分に楽しめると思う――ブルースという音楽にまるで興味のない人にはきついでしょうけれど。

(2004/09/26)


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