cinema / 『サウンド・オブ・サンダー』

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サウンド・オブ・サンダー
原題:“A Sound of Thunder” / 原作:レイ・ブラッドベリ(創元SF文庫、ハヤカワ文庫SF・刊) / 監督・撮影:ピーター・ハイアムズ / 脚本:トーマス・ディーン・ドネリー、クレメント・エンラターン、ジョシュア・オッペンハイマー、グレゴリー・ポイリアー / 製作:フィル・アンシャッツ、ハワード・ボールドウィン、カリン・エレス・ボールドウィン、モシュ・ディアマント、レニー・ハーリン、フランク・ヒュブナー、エリー・サマハ / 製作総指揮:ハワード・ボールドウィン、ジャネット・ラザーレ、アンドリュー・スティーヴンス / 美術:キイス・ペイン / 編集:シルヴィー・ランドラ / 衣装デザイン:エステル・ワルツ / VFXスーパーヴァイザー:ティム・マクガヴァン / 音楽:ニック・グニレー・スミス / 出演:エドワード・バーンズ、キャサリン・マコーマック、ベン・キングスレー、ジェミマ・ルーパー、デヴィッド・オイェロウォ、ウィルフライド・ホッコルディンガー、コーリイ・ジョンソン / 配給:松竹
2004年アメリカ・ドイツ合作 / 上映時間:1時間42分 / 日本語字幕:林完治
2006年03月25日日本公開
公式サイト : http://www.sot-movie.jp/
新宿明治安田生命ホールにて初見(2006/03/15) ※特別試写会

[粗筋]
 2055年、人類は悲願であった“時空旅行”の技術を手に入れた。だが、この技術の権利者であるチャールズ・ハットン(ベン・キングスレー)はそれを社会へ貢献する用途にではなく、自らの営利目的のために使用する。顧客を6500万年の過去へ送り、現代では不可能な巨大生物の狩りを実体験できるツアーを提供する会社『タイム・サファリ』を設立したのだ。渡航費用は莫大な金額となったが、未曾有の体験に興味を示す資産家は多く、瞬く間に半年の予約待ちが必要なほどの人気商売となった。
 ツアーの直後には社内でパーティーを催し、帰還した顧客をもてなすのが『タイム・サファリ』の恒例行事だったが、その日は思わぬ闖入者によって場が荒らされた。会場に血糊をぶちまけ追い出されたのは、時間旅行計画の根幹を成すシステム『TAMI』を開発しながら、その権利を一切ハットンに奪われてしまったソニア・ランド博士(キャサリン・マコーマック)であった。顧客とともに過去へ飛んでツアー・コンダクターの役割を務めながら、採取されたサンプルをもとに絶滅動物の研究を行っているトラヴィス・ライヤー博士(エドワード・バーンズ)が彼女を追い、あんな行動に及んだ動機を訊ねる。ソニアは過去への僅かな干渉であってもどれほどの影響を現代に齎すのかが予測できないにも拘わらず時間旅行を強行する危険を訴えた。しかし、トラヴィスに言わせれば、そうならないための安全策は無数に設けられているのだ。自らの呼気をあちらに残さず、病原体を持ち込まないための防護服に、送りこんだ以外のものを回収しないためのバイオ・フィルター……トラヴィスにはソニアの訴えが杞憂にしか聞こえなかった。
 その日も、いつもと変わらぬ“時間旅行”が実施されるはずだった。いささか威勢の良すぎるミドルトン(コーリイ・ジョンソン)と、万事に過敏なエックルズ(ウィリアム・アームストロング)を案内して6500万年前へと飛んだトラヴィスたちだったが、トラヴィスの銃がトラブルによって発砲できず、彼の初弾が放たれない限り引き金を引くことが出来ない顧客ふたりやツアー・メンバーは混乱に陥る。
 すんでのところで銃の修理を済ませ、どうにか恐竜を仕留めて帰還した一同だったが、帰還した現代では異常な出来事が陸続と発生していた。11月というのに異様な暑さとなり、ミシガン湖では数万匹の魚が一斉に陸に打ち上げられ死に絶え、各地で植物の異様な繁茂が確認される。
 異変は『タイム・サファリ』のツアーでも発生した。正確無比の演算能力を誇っていた『TAMI』がなぜか計算ミスを犯し、狩りの舞台に指定していた6500万年前のある時刻より5分遅れの地点にトラヴィスたちを送りこんでしまい、噴火に巻き込まれる寸前で辛うじて帰還したのだ。監視局は僅かな誤差を重んじ、会社に閉鎖を命じる。
 手の空いたトラヴィスは意見を求めるためにソニアのもとを訪ねた。彼女は、恐らくかつてのツアーで過去に齎した僅かな影響が、現代のあらゆるものに変化を及ぼしている、と言う。いまはまだ気候と、植物などの原始的な生物にのみ影響が認められるだけだが、6500万年分の変化が“時間の波”となって段階的に押し寄せ、最終的に人類も現在の形態を留めないだろう、と予測する。
 ソニアの予言は間もなく現実のものとなった。都市は巨大な植物によって侵蝕され、機能を奪われていく。トラヴィスたちは、ミドルトンとエックルズを案内した際に、僅かに増えた1.3g分の重量がこの激変の源と判断、それが何であるかを捜しあて、ふたたび過去を修正することが出来ないか模索しはじめる……

[感想]
 ……さて、いったいどこから突っこんだものやら。
 スタッフ・キャスト一覧にも記してあるが、本編は叙情派SFの巨匠レイ・ブラッドベリの同題短篇(日本では『雷のとどろくような音』や『雷のような音』などと題されている)に基づいている――とあるが、率直に言ってさほど面影は留めていない。大枠と、いちばん象徴的なアイディアを流用しているだけで、あとは大半付け足しだ。原作には進化した植物の繁茂や、段階的に変化を齎す“時間の波”などといった奇怪な概念は登場していない。
 いやそれ以前に、過去に変化を与えたうえで現代に舞い戻ったとして、あんな風に段階的に影響が及んでくるというのは、ちょっと考えがたい。6500万年前の僅かな変化が順次積み重ねられ、現代に戻った時点で既に大幅な変化は終了しているだろう。実際、ブラッドベリの原作はそういう内容として描かれ、そこに諷刺の要素さえ籠められている。
 もともと短い作品ゆえ、二時間近くになる映画の尺に合わせて物語を膨らませるのは解るとしても、本編の追加要素はあまりにSFとして不格好だ。生命体が現実とは異なる進化の過程を辿っていったとしても、作中に登場するような爬虫類に霊長類の特徴が融合した生物が登場するとは考えがたい。爬虫類は爬虫類のまま知能を備えていたり、環境に適応した変化が齎されているのが自然だろう。植物にしても、そのほかの生物と共存していく必要があるのだから、ああも闇雲に毒性を備えた代物に激変するという発想は明らかに行きすぎだ。ブラッドベリの原作に提示された設定のなかで話を膨らませるために、特にSF的な考証を施しもせずに思いついた定番そうなSF冒険活劇の要素を盛り込んで、無理矢理まとめた印象が色濃い。結果として、あまり理屈に筋の通らないジュラシック・パークもどきのような内容に仕上がってしまった。
 従って、原作の理想的な映画化というものを期待すると間違いなく失望する。試写会で拝見した手前、大変恐縮ではあるがこう言わざるを得ない。
 但し――但し、そういうものだ、と割り切って鑑賞すれば、思いの外楽しみどころに欠かない作品であるのも事実だ。上記のような事柄や、そうした未知の出来事について論拠もないのに作品の要請通りに正確な憶測を並べ立てるソニア博士の異様さ、野生動物の大半が絶滅した状況で遺伝子から彼らを蘇らせようという夢を持っているとは言い条、あまりにサバイバルに慣れた主人公格トラヴィス博士の逞しさなど、人物造型やその扱いからしてハリウッドにありがちな冒険ものの常套になぞらえていて、そのストレートさがいっそ楽しく、また物語に入り込みやすくしている。
 科学的な考証がちゃんと行われているかは別として、ひととおり未来都市の社会情勢や景観などに趣向を凝らしているのも解るが、一方で俳優の演技との合成にぎこちない場面があったりするものの、その違和感が却って微笑ましかったりする。次第に都市がジャングルに埋もれていったあとではきちんとセットを用意したりロケも行っている様子が見受けられ、そのギャップにもちょっとした驚きを禁じ得ない――あくまでもわたしの憶測だが、当初は秘境探検ものとしての特徴を押しだした脚本で撮影が進められていたものの、何らかの理由で破綻を来し、SFものとして最低限のバランスを保つためにあとづけで序盤の未来都市の造型が改めて再構築されたか、或いは単純にそのあたりのデザインがよほどあとで完成したかしたのではないか。さもなければ、俳優の動きと背景の動きがあそこまで違和感たっぷりになることなど、昨今のハリウッドでは滅多にないだろうに。
 そうして腐す一方で、ところどころに映像的・演出的に感心する要素も見出される。たとえば、過去を修正するために、いったいなにが現代に持ち込まれたのか調査に赴いたトラヴィスら一行が初めて仲間を失うひと幕。シチュエーション的にも当事者の台詞としても陳腐の誹りは免れないが、演出としては悲壮感に満ちていて評価できる。またクライマックス付近のアクション、とりわけ脱線し傾いた地下鉄の車輌を通り抜けてある場所を目指すシーンは、その傾きから生じる居心地の悪さや違和感を物語の緊迫感に応用し、アクションに発展してもその状況を活かしたアイディアが多く盛り込まれており、見応えがあった。襲ってくるクリーチャーのデザインや状況などについては相変わらず矛盾やツッコミの余地が多々見受けられるが、そういうものだと割り切ってしまえば意外と楽しめる。
 レイ・ブラッドベリの叙情性に富んだ発想のあいだに、いかにもありがちなSF冒険活劇のモチーフを無数に投げ込み、定番のプロットで連結していったその組み立ては、いっそ潔いと感じ入ってしまうくらいC級に徹している。もとより一級の娯楽大作を期待せずに、気楽に構えていれば充分楽しめるだろう――但し、もし原作を未体験であるならば、観る前でもあとでも構わない、いちど一読することを心よりお勧めする。
 だってこんなんじゃない、絶対にこんなんじゃないものっ!!

(2006/03/16)


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