cinema / 『ステップフォード・ワイフ』

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ステップフォード・ワイフ
原題:“The Stepford Wives” / 原作:アイラ・レヴィン『ステップフォードの妻たち』 / 監督:フランク・オズ / 脚色:ポール・ラドニック / 製作:スコット・ルーディン、ドナルド・デ・ライン、エドガー・J・シェリック、ガブリエル・グランフェルド / 製作総指揮:ロン・ボズマン、ケリー・リン・セリグ / 撮影:ロブ・ハーン,ASC / プロダクション・デザイナー:ジャクソン・デゴヴィア / 編集:ジェイ・ラビノウィッツ,A.C.E. / 衣装:アン・ロス / 音楽:デヴィッド・アーノルド / 音楽監修:ランドール・ポスター / 出演:ニコール・キッドマン、マシュー・ブロデリック、ペット・ミドラー、ロジャー・バート、フェイス・ヒル、グレン・クローズ、デヴィッド・マーシャル・グラント、クリストファー・ウォーケン / ドリームワークス・ピクチャーズ&パラマウント・ピクチャーズ提供 / 配給:UIP Japan
2004年アメリカ作品 / 上映時間:1時間33分 / 日本語字幕:古田由紀子
2005年02月05日日本公開
公式サイト : http://www.stepfordwife.jp/
VIRGIN TOHO CINEMAS 六本木ヒルズにて初見(2005/02/08)

[粗筋]
 順風満帆、のはずだった。TVプロデューサーのジョアンナ・エバハート(ニコール・キッドマン)はフェミニストならではの視点から番組作りを推進し数々の高視聴率番組を創出、その日も新番組の大規模なプレゼンを行っていた。そこへ、新企画のパイロット版撮影が原因で妻に翻意されてしまった夫が乱入、拳銃を乱射したため大騒ぎに。ジョアンナは無傷で済んだが、テレビ局側としては誰かに責任を取らせないと始末がつかない――花形プロデューサーから一転、ジョアンナは解雇されてしまった。
 彼女同様にテレビ局に勤めていた夫のウォルター・クレズビー(マシュー・ブロデリック)は無理解な局に腹を立てて自らも辞表を提出、神経衰弱気味となったジョアンナのために、カウンセラーの薦めもあって都会から離れ新たに生活を立て直す決意を固めた。その場所は、コネチカット州ステップフォード――外周を塀で囲い、外界から隔絶し独立したコミュニティを形成する、一風変わった街。
 現地に到着した子供二人を含むクレズビー一家をまず出迎えたのは、クレア・ウェリントン(グレン・クローズ)。彼女が斡旋してくれた住宅は絢爛豪華、セキュリティ完備、妙に重心の傾いたロボット犬までついた夢のような家だった。はじめはただただ困惑するばかりだったジョアンナだが、次第に違和感を覚えはじめる。
 ウォルターは男達が妻から解放されて寛ぐための施設“ステップフォード紳士協会”に赴き、そこで夫たちの代表格であるクレアの夫・マイク(クリストファー・ウォーケン)らから大歓迎を受けた。一方のジョアンナはクレアの案内でステップフォード・スパを訪問するが、そこで待ち受けていたのは花柄のドレスに身を包み、まるで貼り付けたような笑顔を浮かべてクレア考案のエクササイズに興じる不気味な集団だった。一緒にどうぞ、と誘うクレアの陽気さに、ジョアンナは乾いた笑みで応えるしかない。
 薄気味悪いとは言え都会からやってきた一家を温かく迎えてくれたことに変わりはなく、間もなく開催された独立記念日のイベントにも顔見せ程度のつもりでジョアンナは参加する。そこで彼女は、やはり都会生活でストレスを抱えた挙句転居してきた“お仲間”と知り合う。先鋭的な作品を多く著した作家のボビー・マコーウィッツ(ベット・ミドラー)に、ゲイの建築家ロジャー・バニスター(ロジャー・バート)のふたりもまた、この地での生活にはやばやと馴染んだパートナーに対して、ステップフォードに蔓延する異様な空気に溶けこめずにいた。ふたりと意気投合したことから、ジョアンナはウォルターに対して不平をぶつけるが、逆に都会で暮らしているあいだ如何に夫を傷つけていたかを思い知らされて、ジョアンナは意気消沈する。どうも肌に合わないけれど、これが人間として自然な暮らし方なら“ステップフォード流”に染まってみよう――ジョアンナはそう決意する。
 だが、そんな彼女の決心もさほど長続きはしなかった。そのきっかけは、パーティーの席で突如、ジョアンナの隣人サラ・サンダーソン(フェイス・ヒル)が見せた“異変”だった……

[感想]
 まず冒頭、ジョアンナに怨みを抱いてプレゼン会場を急襲した男を演じていたのが、『スクール・オブ・ロック』の脚本兼主人公の友人役を務めたマイク・ホワイトだったのにちょっと驚きました。あんなちょい役で……っても、もともとそんなに大役に起用される役者ではなかったようなので、仕方のないところですが。
 それにしても、本編の完成度はなかなかに高い。すっきりと纏められながら毒を大いに含んだ世界観、その約束を巧く活用したユーモア、解りやすい陰謀の裏に隠したどんでん返しの妙、そうした脚本の完成度を絶妙に支える豪華な美術に煌びやかな衣裳の数々。一部のネタは早い段階で見え見えなのだけれど、それさえ実はちょっとした捻りの発端だったりしていて憎い。そのせいで感想とはいえ詳しく書きづらいから尚更に憎い。どないせーと言うのだ。
 当たり障りのないところから挙げていくなら、やはりニコール・キッドマンの素晴らしさは外せないだろう。離婚以来、と線を引いてしまうとちと申し訳ないのだけど実際そう見えるのだからしょうがない、とにかくそれ以降の彼女の充実した仕事ぶりは目覚ましいものがあり、『めぐりあう時間たち』『ドッグヴィル』『白いカラス』とテーマ性・ドラマ性に富んだ作品群で名演を披露している。が、本編ではそうした本格志向からちょっと間隔を置いて、見事なコメディエンヌぶりを発揮している。たとえば冒頭、解雇を言い渡されたシーンのあまりに絶妙な表情のみの演技、街に馴染もうと選んだ花柄のドレスをいかにも“お仕着せ”っぽく着こなしてみせる巧さ、そしてステップフォードの“謎”に翻弄される緊迫感までも見事にコミカルに表現し、脂の乗った女優のすごさをこれでもか、とばかりに見せつける。
 他の登場人物たちも、名前があるものは大半キャラクターが固まっていて実に面白い。特に注目すべきはジョアンナの友人を演じたベット・ミドラーとロジャー・バートのふたりだ。この二人がその愛すべきキャラクターを巧く構築したからこそ、中盤のおかしみと同時に終盤の異様さが明確になっている。変調を来したサラを見舞うはずが家宅侵入してしまった場面、訳あってゴミを漁る場面、そしてクライマックス手前の出来事など、きちんとキャラクターが完成されていなければ効果を成さないのだ。
 数十年前の、今となってはリアリティを伴わない空疎な“未来像”を描いたオープニング、実はそれ自体に毒を含んだジョアンナの新番組のプレゼンから転居に至るプロセス、ステップフォードのあまりにも作りものじみた光景、コメディタッチから次第にサスペンス色を強めていき、最後にはちょっと涙ぐませる場面もあって、ラストは更に皮肉を増量する。中盤ややジョアンナとウォルターの会話が長い、と感じたが、それは尺全体と比較するからで、寧ろ93分という非常に程良い枠によくもこれだけ収めたものだ、と逆に感心する。
 徹頭徹尾よく練られた“娯楽映画”である。人によって好き嫌いはあるだろうが、少なくとも私が今年に入って観た映画のなかでは、いまのところいちばんのお気に入りと断じる。他の良質な作品というのはいずれも実在の人物や現実にインスパイアされたものはがりだったので、これだけ堅牢に組み上げられた“虚構”である、というだけでも賞賛したくなります。

(2005/02/09)


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