cinema / 『木曜組曲』

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木曜組曲
原作:恩田 陸(徳間書店刊) / 企画・製作:鈴木 光 / 監督:篠原哲雄 / 脚本:大森寿美雄 / 音楽:村山達哉 / エンディングテーマ:roller coaster“Good-bye” / 出演:鈴木京香、原田美枝子、冨田靖子、西田尚美、竹中直人、加藤登紀子、浅丘ルリ子 / 製作:光和インターナショナル / 配給:cinequanon
2002年日本作品 / 上映時間:1時間53分
2002年10月12日公開
公式サイト : http://www.cqn.co.jp/MOKUYO/
劇場にて初見(2002/12/01)

[粗筋]
 重松時子(浅丘ルリ子)が死んだ。彼女の担当編集者でもある綾部えい子(加藤登紀子)と暮らす洋館の二階で、毒を飲んで。死後、金庫からカプセル入りの青酸化合物を詰めた瓶と、「遺書」と記された原稿用紙の分厚い束が発見された。小説家としての自らの限界を感じ、覚悟の上で自殺――そう読み取れる内容だった。
 それから四年。
 時子が死んだとき洋館に集まっていた縁者は、毎年の命日に近い木曜日を挟んだ前後三日間、洋館に泊まりえい子の作る食事に舌鼓をうちながら死者を悼むのが習わしとなっていた。時子の異母姉妹で、美術関係の出版プロダクションを経営する傍ら、骨董や書画に纏わるエッセイを手掛ける川渕静子(原田美枝子)。時子の弟の娘で、ミステリー作家の新鋭として流行作家に名を連ねる林田尚美(冨田靖子)。尚美の異母姉妹で、純文学の新人賞を獲得して文壇の一翼を担う杉本つかさ(西田尚美)。静子の母の妹の娘にあたり、唯一時子との血の繋がりはないがノンフィクション作家としてやはり文筆業に就く塩谷絵里子(鈴木京香)。四年目となる今年も、例年通りの和やかな集いになるはずだった――その花束が届かなければ。
 花束には、「重松時子さんの家に集う皆様に」という宛名とともに、「皆様の罪を忘れないために、今日この場所に死者のための花を捧げます」というメッセージカードが添えられていた。差出人はフジシロチヒロ――重松時子の遺作として刊行された『蝶の棲む家』の主人公と同じ名前であった。誰が何のために、自殺と認定された時子の死に謎を投げかけるのか?
 互いに疑心暗鬼を抱きながら、一同はそれぞれに時子の死に纏わる秘密を告白し、その都度新たな謎に直面する。果たして時子の死は自殺なのか他殺なのか、他殺だとすればいったい誰の仕業なのだろうか――? 雨のそぼ降るなか、食卓を囲みながらの謎解きが始まった。

[感想]
 当日いきなり観ることに決めたため、予習が間に合いませんでした。従って原作と比較して判断することは出来ません悪しからず。
 が、プログラムで原作者が言うように、骨格は非常にクラシカルなミステリーである。舞台は洋館、そこで三日間、女五人によるディスカッションを軸に進行する物語は、基本的にあまり映画という手法に合っているとは言えない。本編はそこに小刻みなカメラワークと、原作者によるいかにも女性らしい細やかさと現実感覚を匂わせた洒脱な会話、加えて随所で登場する観るだけで涎の溢れそうな料理の数々をアクセントにして、飽きが来ないように工夫をするとともに、一般の推理ドラマとは微妙に異なる、緊密だがまろやかな空気を醸成しており、観ていて心地よい。
 推理ドラマとしても一筋縄ではいかないツイストが施されており、ミステリファンにとっても堪能し甲斐のある出来になっていると言えるだろう。ただ、尺が限られていた所為なのか、或いは原作からそうだったのかは解らないが、終盤の謎解きで最も重要なポイントが、うまい具合に伏線として前半に挿入されていなかったことがやや勿体ない。ミステリとしての着眼が、パズラーとしての伏線と合理的決着にないことを思えば、決して疵とはならない箇所ではあるのだが。そしてもう一点、映像的には収まりがいいのだろうが、この設定で五角形のテーブルはどうだろう。原作でもこういう机として描かれていたのか。
 しかし、どうやら映画オリジナルであるらしい動機と結末の描写は、登場人物の述懐と相俟って深い余韻を齎す。パズラー的な数学的な収斂を求めるとやや肩透かしの展開だが、ミステリードラマとしてはかなり秀逸。惜しむらくは、時子という作家の創作世界をもある程度再現してくれれば、更にテーマを深めることが出来ただろう、という点と、若手3人のキャラクターがいまいち明確に区別できなかったこと。但し後者は、時子を演じる浅丘ルリ子とえい子を演じる加藤登紀子のインパクトがあまりに強すぎたことにも一因があるのだが。

 それにしても、役名と芸名がこんがらがる配役はちょっとどうにかならなかったものか。加藤登紀子が「時子が駄菓子食べたいって言ってるから」と説明するところとか、「尚美」と呼ばれて西田尚美じゃなくて冨田靖子が振り返る場面とか、観ていて一瞬頭がパニックに陥ります。芸名を一時的に忘れられれば問題ないんだけど。
 だが。それ以上に困ったのは、丁度同時期に公開されていた桐野夏生原作の映画『OUT』と一部の役者が重なっている上、アレンジの方向性が似通っていること――なんか、残る余韻も似たような印象だし。わりと進行の早かったらしい『OUT』に対し、本編はどうやら撮影開始から公開まで随分と時間を要したようなので、不幸な偶然としか言いようがないのだろうけれど。

(2002/12/01)


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