cinema / 『スーパーマン・リターンズ』

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スーパーマン・リターンズ
原題:“Superman Returns” / 監督・製作・ストーリー設定:ブライアン・シンガー / ストーリー設定・脚本:マイケル・ドアティー、ダン・ハリス / 製作:ジョン・ピーターズ、ギルバート・アドラー / 製作総指揮:トマス・タル、スコット・メドニック / 撮影:ニュートン・トマス・シーゲル,A.S.C. / 美術:ガイ・ヘンドリックス・ディアス / 編集:エリオット・グレイアム / 衣装:ルイーズ・ミンゲンバック / 音楽・共同編集:ジョン・オットマン / 出演:ブランドン・ラウス、ケイト・ボスワース、ジェイムズ・マーズデン、フランク・ランジェラ、エヴァ・マリー・セイント、パーカー・ポージー、サム・ハンティントン、カル・ペン、トリスタン・レイク・リープ、ケヴィン・スペイシー / バッド・ハット・ハリー製作 / 配給:Warner Bros.
2006年アメリカ作品 / 上映時間:2時間34分 / 日本語字幕:林完治
2006年08月19日日本公開
公式サイト : http://www.superman-returns.jp/
TOHOシネマズ六本木ヒルズにて初見(2006/08/19)

[粗筋]
 突然の失踪から5年――遂に地球に、クラーク・ケント=スーパーマン(ブランドン・ラウス)が帰還した。崩壊したはずの故郷・クリプトン星が確認された、という研究内容に導かれて旅立っていったクラークだったが、戻ってきた彼は失望のただなかにいた。母(エヴァ・マリー・セイント)のもとにいちど身を寄せたクラークだったが、やがて都会へと帰っていく。
 クラーク・ケントとしての職場であるデイリー・プラネット社に復帰した彼を、同僚であるカメラマンのジミー・オールセン(サム・ハンティントン)は熱烈に、編集長のペリー・ホワイト(フランク・ランジェラ)は淡々と、だが変わらぬ態度迎え入れた。
 だが、感傷に浸る時間などクラークにはなかった。復帰したその日のうちに、スペースシャトルを旅客機に搭載して打ち上げる実験の最中、シャトルがうまく切り離されないというトラブルが発生した。シャトルの点火は止まらず、実験中の飛行機もろとも急激に上空へと向かう。その旅客機のなかには、最愛の人――ロイス・レイン(ケイト・ボスワース)の姿があった。すぐさま空へと飛んだスーパーマンは、無事にシャトルを切り離すと、点火の影響でまともに飛べなくなった旅客機部分の墜落も阻止し、多くの人命を救う。
 久々のスーパーマンの登場に、世間は沸いた。当然ながらデイリー・プラネット社も、忽然と舞い戻ったスーパーマンの追跡調査をロイスらに命じる。だが、ロイスは決して喜ばなかった――何故なら、スーパーマンが行方をくらましているあいだに彼女が書き上げた“なぜ私たちはスーパーマンを必要としないか”という記事がピューリッツァー賞を獲得、授賞式を間近に控えていたからだった。加えて彼女の関心はスーパーマンよりも、旅客機の事故のきっかけとも考えられる停電事件のほうに向けられている。それを復帰したばかりのクラークに託されたのが、どうしても納得できなかった。
 そんなクラークにとって衝撃だったのは、留守のあいだにロイスはやはりデイリー・プラネット社の同僚であるリチャード・ホワイト(ジェイムズ・マーズデン)と婚約し事実上の同居生活を送っており、そんな彼を“パパ”と呼び、クラークというかつての同僚のことなどまったく知らないひとり息子ジェイソン(トリスタン・レイク・リープ)をもうけていた……
 クラークがロイスの変化に翻弄されているのと同じころ、あの男も暗躍を始めていた――スーパーマン最大の宿敵、レックス・ルーサー(ケヴィン・スペイシー)である。スーパーマンによって投獄されたものの、最大の証人である彼の不在を巧みに利用したレックスはわずか5年で出獄、大富豪の女性の遺産を掠め取り、その資金によって極地にあるスーパーマンの秘密の居城に潜入していた。そして、そこから奪ってきたクリスタルを悪用し、未曾有の悪事を企んでいたのである……

[感想]
 正統派かつ、恐らく強さにおいても最強のヒーローがほぼ完璧な姿で帰ってきた。最高の適任者であったクリストファー・リーヴを不幸な経緯で失って以来、演じ手も作り手もなかなか現れず長いこと宙に浮いていたが、シリーズの大ファンであったというブライアン・シンガー監督が自らのメガヒット・プロジェクトである『X−MEN』シリーズ最終作を抛って参加し、大スターではなくクリストファー・リーヴに近いイメージの新人俳優ブランドン・ラウスを起用したことでようやく復活に至った。
 他の仕事を捨ててまで着手したあたりからも伺われるが、ブライアン・シンガー監督はクリストファー・リーヴ主演によるスーパーマンの熱烈なファンであったようだ。若手でも名の通った俳優ではなく、イメージの定着していないまるっきり無名のブランドン・ラウスを採用し、舞台を現代に置き換えつつもベースラインはまったく崩さずに、本来あるべきヒーロー像を描き出している。
 ちょうど本編が公開となった翌日、地上波にて放送されたクリストファー・リーヴ主演によるシリーズ第1作を鑑賞したのだが、結果的に如何にシンガー監督がこの第1作に敬意をもって本編を作りあげたのかがよく解った。オープニングのスタイルはもとより、印象深い台詞を若干シチュエーションを変えて使用した箇所が無数にある。旧シリーズのファンに対するサービスであると同時に、恐らくはこれまでに創造されたヒーローのなかでも最強を誇る人物の活躍を描くうえで、あれ以上のシチュエーションはない、という理解のうえなのだろう。実際、どう考えても人間業ではない活躍ぶりは手に汗握ると共に、最後には厭でも快哉を上げたくなる。
 他方、趣向がところどころ旧作よりも科学的に、リアルになっている点も指摘しておきたい。いちばん解りやすいのが、急ぎ飛び立つ場面でスーパーマンを取り囲むように一瞬発生する雲、という描写である。飛行機が音速を超える瞬間、その周囲に円形の雲が発生することは理論的にも映像でも確認されていることだが、それをちゃんと表現している点には好感を覚える。
 少々物足りないと感じられるのは、スーパーヒーローという顔を隠す表の顔クラークの存在感がやや乏しいことである。スーパーマンの超人性を際立たせるために、クラーク・ケントという人物の凡庸さが明瞭に描き出すことも重要だったはずなのだが、その点がいささか疎かにされているのが勿体ない。
 しかしその分、スーパーマンとしてのクラークとロイスのあいだの微妙な感情の揺れ動きを丹念に描いており、ドラマとしての膨らみを齎している。こと、ロイスの息子ジェイソンの使い方が実に巧みだ。決して多くを物語らせず、表情や抽象的な台詞の端々に感情を湛える表現もいい。スーパーマンの超人性をたっぷりと描きながらも、彼女との交流が見事な人間性を演出してもいる。
 加えて、悪役であるレックス・ルーサーの存在感と傑出したキャラクター性が、クラークの描写不足を補ってあまりある。言語道断の大悪党だが、密かに危険を察知して誰よりも先に退いてみたり、ロイスと偶然遭遇した際の風体や出獄後に作った新しい恋人キティー・コワルスキー(パーカー・ポージー)とのやり取りなど、随所にコミカルな部分を覗かせて妙に憎めない。そのくせやることは徹底的に悪逆非道であり、それ故にスーパーマンの活躍にカタルシスを齎す役割をも存分に果たしている。名優ケヴィン・スペイシーの嬉々とした演じっぷりも奏功して、素晴らしい魅力を醸し出している。
 人間味を備えながらも、超越的なヒーローとしての顔も留め、更に新たな歴史を切り出そうという意欲さえちらつかせた、理想的な復活作である。私自身もそうだったが、旧作を観た記憶が無くとも存分に楽しめる、正統派のヒーロー映画と言ってもいい。

(2006/08/22)


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