cinema / 『SWEET SIXTEEN』

『cinema』トップページに戻る
『light as a feather』トップページに戻る


SWEET SIXTEEN
監督:ケン・ローチ / 脚本:ポール・ラヴァティ / プロデューサー:レベッカ・オブライエン / 共同プロデューサー:ウルリッヒ・フェルスベルグ、ヘラルド・エレロ / 撮影:バリー・エイクロイド / 音楽:ジョージ・フェントン / 録音:レイ・ベケット / 美術:マーティン・ジョンソン / 衣裳:キャロル・K・ミラー / 編集:ジョナサン・モリス / 出演:マーティン・コムストン、ウィリアム・ルアン、アンマリー・フルトン、ミッシェル・クルター、ゲイリー・マコーミック、トミー・マッキー、ミッシェル・アバークロンビー、カラム・マッカリーズ
 / 配給:cinequanon
2002年イギリス・ドイツ・スペイン合作 / 上映時間:1時間46分 / 字幕:齋藤敦子
2002年12月28日公開
公式サイト : http://www.cqn.co.jp/sweetsixteen/
銀座シネ・ラ・セットにて初見(2003/01/11)

[粗筋]
 スコットランドの田舎町。15歳の少年リアム(マーティン・コムストン)は親友のピンボール(ウィリアム・ルアン)と組んで煙草の行商を営み、辛うじて食いつないでいる。学校にはもう九ヶ月も通っていなかった。保護者であるはずの母ジーン(ミッシェル・クルター)は恋人スタン(ゲイリー・マコーミック)の罪を被って刑務所入りしており、そのスタンは父ラブ(トミー・マッキー)とともに麻薬の売人をしていて、ジーンを介して刑務所の中でも商売をしようとしている。面会に託けてジーンに麻薬を渡す手伝いをさせられ、寸前で拒絶したリアムは帰途スタン親子に折檻を受け、家を追い出される。
 リアムは、母を除けばただひとりの肉親で、10代でシングル・マザーとなり息子のカラム(カラム・マッカリーズ)と二人きりで生活しているシャンテル(アンマリー・フルトン)のもとに転がり込む。折檻のあとを「転んだ」と言い繕うリアムをシャンテルは叱り、どうか今の生活から脱出して、と懇願する。リアム自身、そうしたいと願っていた。
 彼はある日、海を見下ろす丘の上に建てられたキャラバン・ハウスに目をつける。六千ポンドという金額は安くはなかったが、手の届かない金額ではない。リアムの母ジーンは二ヶ月後、彼が16歳の誕生日を迎える前日に出所することが決まっている。リアムはその日までに家を手に入れて、母と安泰な暮らしを送ることを夢に見た。
 ピンボールの隠れ家となっている一室から双眼鏡を覗いているとき、偶然にスタンが麻薬を仕入れている現場を目撃したリアムは、隠し場所を熟知しているのをいいことに、横からかすめ取って売り捌き、それを新居購入の頭金にすることを目論んだ。麻薬中毒の父を持っていたピンボールをも巻きこんでの計画は思いのほか簡単に成功し、リアムは手付け金を支払ってあの丘の上のキャラバン・ハウスの鍵を手に入れる。姉のシャンテルにその講座仲間のスーザン(ミッシェル・アバークロンビー)、ピンボールをはじめとした友人を招待し、ピクニック気分を味わった。
 だが、まだ支払は大量に残っている。リアムは更なる稼ぎを見こんで、麻薬売買の胴元であるビッグ・ジェイの元に向かう客を横取りする挙に出た。その無謀さにさすがに怖じ気づいたピンボールは一旦拒否するが、三人連れの客に襲撃され麻薬を奪われるリアムの姿を見つけ、結局二人して取り戻しに向かった。
 数日後、事態は急転した。街角で談笑していた二人は突如強面の男たちに拉致され、とあるフィットネス・クラブに連れ込まれる。現れたのはビッグ・ジェイ――一帯の麻薬売買の胴元として名を知らしめた男だった。ビッグ・ジェイはリアムの度胸と利発さを買って、自分の麻薬を売り捌くよう命じる。だが、ビッグ・ジェイはピンボールを評価しなかった。そのことが、二人の関係に歪みを作ってしまう……

[感想]
 なんとも切実で重い話。
 背景の説明はほとんど為されないが、リアムたちがいかに劣悪な環境で育ち生き抜こうとしているのかは、会話とその曖昧な暮らしぶりで解る。ぼんやりと観ていると見過ごしがちだが、リアムにもピンボールにも決まった住居がないことが既に悲劇的な状況を物語っている。
 それでいて、展開は不思議なほど軽快で平明だ。冒頭の、細かなフレーズを駆使する機知に富んだ会話に始まり、次第次第に悲惨な方向へと話は進んでいるのに、口にする台詞や行動は何故か笑みを誘う。
 そして同時に観る者を逸らさないのは、物語全体を貫く緊張感による。犯罪との関わりの中で、リアムたち少年はたびたび危険に直面する。なまじ「物語」に慣れてしまった観客としては血腥い場面を想像せずにいられず、その都度緊張と興味を持続させられるのだ。この裏返しの期待を覆すようなストーリー展開もまた巧い。
 とりわけ個人的に印象深かったのはラストシーン、全編通して唯一明確な救いであるはずの言葉に、リアムが何も言い返せない一場面である。有り体の映画なら、ごく軽く相槌のように返すはずの一言が何故か出てこない。物語に通底する悲劇性を最も如実に象徴した一幕だと感じた。
 少年たちと犯罪の関わりを描きながら、趣はいわゆるクライム・ストーリーとは異なる。犯罪を描いたのは、彼らにとっての揺るぎない現実だからだろう。イギリスの社会問題を容赦なく描きながら、彼らへの優しい眼差しとエンタテインメントとしての軽快さとを損なっていない。あまりに錚々たる面々の讃辞に却って半信半疑になって鑑賞したものだが、なるほど青春映画として完璧に近い一本。既に青春を過去のものと捉えている人にとっても興味深い内容だが、やはり同年代にこそ観てもらいたい。

 本編を監督したケン・ローチは素人からオーディションで役者を選ぶ手法を頻繁に取っているそうで、本編もまた主要な俳優の大半が演技経験なし、あるいは演技教育を受けたばかりの新人という布陣であり、役者にイメージがついていない分すんなりと作品世界に没頭できる。
 特に主演のマーティン・コムストンは本編の撮影当時イギリスのプロサッカーチームに所属していた選手で、出演を契機に演技の道に進むことを決意、ハリウッドのエージェントとも契約しこれから新たな活躍が始まる、というところらしい。だが、自ら語るとおり、スコットランドの強烈な訛りを駆使し素のままに話しているに近い本編での演技は、今後を予測する材料としてはあまり役立たない。経験次第では精悍な役者に成長しそうな印象もあるのだけど、さてどうなることやら。
 ところで、彼はいったい今幾つで、本編の撮影に参加していた当時何歳だったのでしょう。声が幼いので違和感こそ持たなかったものの、キャリアから鑑みるにどーしたって17・8ぐらいだと思うのだが。尤も世間では30近くにもなって十代青年を演じるマイケル・J・フォックスとかレオナルド・ディカプリオなんてのもいるくらいだから、三つ四つの違いぐらい大した問題でもない、とも言える。

(2003/01/11)


『cinema』トップページに戻る
『light as a feather』トップページに戻る