cinema / 『タブロイド』

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タブロイド
原題:“Croicas” / 監督・脚本:セバスチャン・コルデロ / 製作:アルフォンソ・キュアロン、ホルヘ・ヴェルガラ / プロデューサー:ベルーサ・ナヴァロ、イサベル・ダヴァロス、ギレルモ・デル・トロ / 製作総指揮:フリーダ・トレスブランコ / 撮影監督:エンリケ・シャディアック / 美術:エウジェニオ・キャバレロ / 編集:ルイス・キャルバラ、イヴァン・モーラ / 衣装:モニカ・ルイジグラ / 音楽:アントニオ・ピント / 出演:ジョン・レグイザモ、レオノール・ワトリング、ダミアン・アルカザール、ホゼ・マリア・ヤズピック、カミロ・ルツリアーガ、アルフレッド・モリーナ / アンヘロ製作 / 配給:東北新社
2004年メキシコ・エクアドル合作 / 上映時間:1時間38分 / 日本語字幕:松浦美奈 / R-18
2006年01月21日日本公開
公式サイト : http://www.tabloid-movie.jp/
VIRGIN TOHO CINEMAS 六本木ヒルズにて初見(2006/01/21)

[粗筋]
 マイアミに拠点を置くタブロイド風のTV番組『真実の一時間』の花形レポーターであるマノロ(ジョン・レグイザモ)は、番組のホストの妻でありプロデューサーでもあるマリサ(レオノール・ワトリング)とカメラマンのイバン(ホゼ・マリア・ヤズピック)を伴ってエクアドルに入国する。彼らが追っているのは、現在エクアドルのババオヨという小さな町を騒がせる連続殺人鬼、通称“モンスター”である。
“モンスター”の手口は残忍を極めていた。子供達を誘拐したのち、拷問し性的陵辱を加えて殺害、そして一箇所に埋葬する。さきごろ、そんなふうに犠牲となった子供達が多数埋葬された現場が発見された。マノロたちは発見現場や、犠牲となった子供達の葬儀の模様を取材するために現地入りしたのである。
 取材中、マノロたちの目前で思いがけない事件が発生する。マノロが犠牲者の家族に対してインタビューの話を持ちかけたところ、家族に相談しにいった犠牲者の双子の弟が、偶然通りかかった軽トラックに撥ねられてしまったのである。息子を失い悲嘆に暮れていた父親は、いままた残されたもうひとりをも喪ったことで逆上、軽トラックを運転していたビニシオ(ダミアン・アルカザール)に暴行を加え、あまつさえ灯油を浴びせ火を点けたのである。一部始終を撮影させていたマノロもこれには驚き、制止に入った。最終的に警察が介入し事態は終息するが、ビニシオとわが子ふたりを喪った父親、ふたりともが拘留されるという結末を迎える。
 一連の経緯はその夜の『真実の一時間』で放映され、マノロは英雄扱いをされることになったが、現場に居合わせた“モンスター”事件の担当警部ロハス(カミロ・ルツリアーガ)の心証は良くない。犠牲者の父を含む複数の人間がビニシオをリンチにかけるのを傍観していたように報じられたことに憤り、また過剰に民衆を煽って恐怖に陥れようとするかのような趣旨で報じるマノロたちの姿勢を批判する。マノロはそんな警部に対して、自分たちのほうが先に“モンスター”に辿り着いてみせる、と豪語するのだった。
 一夜明けて、マノロたちは刑務所を訪れ、事件の当事者たちへの接触を試みる。ビニシオと子供達の父親とを並べて撮影しようとする目論見は、未だ憎悪を滾らせる父親がビニシオに暴行を図ったためにご破算となるが、刑務所長によって追い出されようとしていたマノロを、ビニシオが呼び止めて、是非とも自分を取材して、身の潔白を証明して欲しい、と懇願した。彼にはまだ幼い子供がふたりと、臨月を迎えた身重の妻がいる。決して豊かではない生活を支えるべき自分が、いつまでも刑務所にいるわけにはいかない、というのだ。
 自分にビニシオを出所させるほどの発言力はない、と拒絶するマノロに、ビニシオはだが交換条件として、思わぬ話を持ちかけてきた。自分を取材してくれるなら、代わりに“モンスター”についての重要な情報を提供する、というのである。口から出任せだ、と高を括るマノロに、ビニシオは恐るべき事実を仄めかした。
 遺体が発見されたあの土地には、まだひとり、埋められたままの少女の遺体が残されている、というのである……

[感想]
 予告編やチラシなどから、こんな感じの作品なのだろう、と私が推測していたものとは微妙にズレのある作品だった。児童ばかりを毒牙にかける連続殺人鬼、それを追うTVリポーターが陥る罠、という要素から、もっと複雑怪奇に情報が絡みあい、緊迫したシチュエーションが繰り返される強烈なサスペンスを期待していたのだが、案に相違して、本編の組み立ては直線的でシンプルであった。
 粗筋で記したあたりまで、つまりTVリポーター・マノロと“モンスター”の情報を代償に身の証を立てようとするビニシオとの取引がはじまるくだりまでは癖があり、なぜ取引が成立するのか、そしてそれによって両者が何を益しようとしているのか、漫然と観ていると理解に苦しむかも知れないが、以後の物語は基本的にマノロとビニシオとの心理的な駆け引きに終始する。その語り口は派手さとは無縁で、淡々と丁寧に状況を捉え、充分な重厚感と深みとを演出している。
 だが、登場人物たちの描き方は決して一筋縄で済ませていない。家族のために一日も早い出所を望む一方で、“モンスター”との関係を疑われるビニシオと、正義を主張しながらもスクープ獲得のためにはかなり冷酷な判断も躊躇わないマノロ、この善悪の彼我を明確にしないふたりが絡みあうことで、双方の孕むグレーの領域がより濃密に描かれている。そこへ、不在のビニシオのために動く妻が発見し察知してしまうものや、マノロが番組プロデューサーであるマリサを介する格好で番組のホストに対して抱く反抗心などが織りこまれ、物語に更なる深みを齎している。感情移入する対象がないため、観客はしばしば身の置き場に悩むだろうが、その困惑そのものが物語の孕む闇、というより灰色の世界に観客を沈めていく。シンプルに見えて、この筋書きは企みに満ちているのである。
 終盤に来ても物語は派手に加速することはない――起きていることは深刻であり、マノロたちの行動は緊迫を感じさせるし、凄惨な事態の出来を想像させるが、それでも派手さとは無縁のままだ。だが、それだけに結末の衝撃は、噛みしめるほど深く腹に突き刺さってくる。正直に言えば、個人的にはこの展開はまず基本形であり、“衝撃の結末”を標榜する以上は最低でもあと一ひねり、或いはその上にもういちど捻りを加えてこの結末に着地させるぐらいがセオリーだと思っていたため、いささか拍子抜けだった。
 しかし、だからと言って決して安易な結末ではない。報道というものが訴える“真実”の薄っぺらさを浮き彫りにし、またそうした薄っぺらな真実に躍らされた挙句に報道というものが陥りかねない“罠”とを重厚に描いたあとに用意されたこの結末は、いっそ素っ気なく感じられるだけに、胸の中に巨大な穴を穿つ。意識するにせよしないにせよ、観ているものは否が応にも報道というものへの微かな猜疑心を抱かずにいられなくなるはずだ。
 そんなダークな決着であるだけに、当然ながら後味は良くない。映画に対して娯楽ならではの爽快感をまず第一に求めるような向きには決してお薦めできない作品だ。しかし、提示された主題を徹底的に掘り下げた挙句の悪夢であれば寧ろ望むところだ、という考えの持ち主であれば、何らかの感銘を受けることは間違いない。前述のとおり、予告編などから期待されるものとは微妙に食い違っている可能性があるが、しかし充分な手応えのある、秀作である。

(2006/01/21)


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