cinema / 『タナカヒロシのすべて』

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タナカヒロシのすべて
監督・脚本:田中誠 / プロデューサー:小椋悟、小澤俊晴 / ラインプロデューサー:井上潔 / アソシエイトプロデューサー:神田裕司 / 撮影:松本ヨシユキ / 照明:矢部一男 / 録音:石川日出雄 / 美術:安宅紀史 / 衣裳:宮本まさ江 / 編集:伊藤伸行 / 音楽:白井良明 / エンディングテーマ:クレイジーケンバンド『シャリマール』(サブスタンス・レコーズ) / 出演:鳥肌実、ユンソナ、加賀まりこ、上田耕一、高橋克実、宮迫博之、伊武雅刀、市川実和子、小島聖、西田尚美、南州太郎、矢沢心、寺島進、日吉ミミ、手塚とおる、清水審大、小倉一郎、昭和のいる・こいる、みのすけ、鈴木みのる、三宅弘城、芦川誠、榊英雄、島田珠代、宮崎彩子、カラテカ / 配給:PAHNTOM FILM+Progressive Pictures
2005年日本作品 / 上映時間:1時間43分
2005年05月14日公開
公式サイト : http://www.tanakahiroshi.net/
渋谷シネクイントにて初見(2005/06/06)

[粗筋]
 タナカヒロシ(鳥肌実)は埼玉県さいたま市に父(上田耕一)・母(加賀まりこ)・猫のみやこと同居する32歳の男性である。都内にある遠山かつら工場に在庫管理係として勤めている。性格は至って不器用、人付き合いを嫌い職場の人間とはほとんど交流がなく、これといった趣味もないので常に孤立している。32歳にもなって甲斐性の微塵も感じられない暮らしぶりに父も母もやきもきしているが、当人はまるで意に介する風もない。父のゴルフ仲間でもある遠山かつら工場の社長(南州太郎)の斡旋で浅草にてお見合いの席も設けられたが、それさえすっぽかしてしまう始末だ。父は既に二度の入退院を経て健康に不安があり、本気で心配されているのだが、タナカヒロシ本人には危機意識が欠如している。血尿が出ても誰にも告げず、家庭の医学で不安を募らせていたり。
 そんな彼の“不幸”の始まりは、おみくじクッキーであった。職場の近所に現れる、韓国人女性の弁当売り(ユンソナ)のところで昼食を買うのが習慣になっていたタナカヒロシであったが、その日おまけにつけてくれたおみくじクッキーの結果は、大凶だった。縁遠く、財成さず、すべて最悪。
 まず、父が突然死んだ。帰宅途中に倒れ、そのまま還らぬ人となってしまった。葬儀の日、弔問に訪れた父の同僚である人事担当者(芦川誠)は、生前父が退職金を何らかの理由で前借りしており、既に全額払い出されていると告げる。どうも、線香を上げに来た場違いに華のある女性(宮崎彩子)に入れあげて注ぎ込んでいたと思しいが、真偽は定かではない。確実なのは、今後ローンの負担はすべてタナカヒロシの肩に掛かる、ということだった。
 そんな息子を不憫に思ったのか、はたまた父の裏切りに耐え続けてきた家で暮らすのが辛くなったのか、母はこの家を売って別のところに越したい、場所なんかどこでもいい、と言い出した。特に反対もせず、タナカヒロシは新たにローンを組み直し、春日部市の建売住宅を購入、母と共に転居した。
 心機一転――というほど気持ちは前向きではなかったが、とりあえず新たな生活が始まった。無趣味の代名詞みたいな性格だったが、近所の河原で出会った竹中直人みたいな怪しい男(伊武雅刀)に誘われ入会した文化系サークル“テルミンと俳句の会”で初めて趣味に目醒める。才能なんか微塵もないはずなのだが、評価された他人の詩句をパクって折り込んだ句が思いの外賞賛されて図に乗り、いつの間にか嵌っていたのだった。同じメンバーである飯島(市川実和子)ともちょっといい雰囲気になり、若干ながら運気も持ち直したかのように見えた。
 だが、運命の神様は残酷であった。母が胆石で入院し、簡単な手術だと言っていたはずが、お腹を開いた結果癌が発見されたのだという。可能な限り取り除いたが全身に転移しており、余命は長くない。一緒に診断してもらったタナカヒロシの血尿の原因は、心配していた膀胱癌の類ではなく、ただの尿道結石だったというのに。
 間もなく母も息を引き取り、タナカヒロシの家族はみやこだけになってしまった。――だが、彼の不幸はここで終わりではなかった……

[感想]
 本作で主演を務めた鳥肌実の芸を実際に見たことがない。基本的にテレビに露出することはなく、ステージやDVD・CDなどの記録媒体でしか発表していないそうで、映画道楽が行きすぎてライブに赴く余力のないわたしが目にしたこともないのも道理である。ゆえに、作中のキャラクターと鳥肌実本人の芸風とが百八十度異なる、と言われても「へーそうなんですか」という反応しかしようがない。
 だからスクリーンに見える演技を素直に評価する以外ないのだが、その意味で鳥肌実という役者は決して上手くない、と思う。もともと表情に乏しく台詞の数も少ないキャラクターであるために際立ってはいないのだが、芸人特有のわざとらしさみたいなものが散見されて、どうにもぎこちない印象があるのは否めないだろう。特に、他の登場人物との台詞のやり取りに不自然さがつきまとう。芸人としてはひとり芝居が中心とのことなので、恐らくその辺の不慣れさに一因があるのだろう。
 しかし、そういうぎこちなさと、恐らくは鳥肌実という人物の風貌と生来の雰囲気とが、見事にタナカヒロシというキャラクターに合致し、説得力を齎しているのだから不思議だ。喋りや演技の拙さがタナカヒロシのコミュニケーション能力の欠如を裏打ちし、異様だけど見方次第では二枚目に映りながらどうにも頼りない佇まいが女性の母性本能を擽り、“意外とモテる”という設定を補強する。これは鳥肌実という役者の個性もさることながら、それを当て嵌めたキャスティング担当者の功績が極めて大きい。
 そのユーモラスに完成された特徴が、やもすると観ているほうばかりを沈みこませかねないくらいの不幸の連続をいい具合に和らげて、胸が痛むんだけど妙に笑える、という空気を作りあげている。父の葬儀の席にいながらなんとなく居心地の悪そうな雰囲気を漂わせ、突如現れた厚かましい旧友をはねつけることも出来ず、新たな恋の兆候も思い込みで自滅してしまい……という具合で、不幸の連鎖にありながらも暗い印象があまりない。“他人の不幸は蜜の味”という悪趣味なフレーズがあるが、本編のおかしみはそういうところから来ているのではなく、不幸にあってもどこか深刻さに欠けるタナカヒロシの言動と、しかしそれでもだんだん煮詰まっていく彼の姿の、特殊なようでいて割と誰にでも陥りそうな有様とが、観客に自虐的な感覚を齎すからだろう。実際、痛々しくも妙に可笑しい不幸の連続の果てには、あまり共感を呼びそうもないこの男の姿にだんだんと同情を覚えるようになる。
 この話いったいどうやって締めくくるのだろう――と次第に不安にさえなってくるが、最後には実に快い“どんでん返し”が用意されている。それまでの不幸をすべて撤回してくれるような種類のものではなく、寧ろそれまでの悲惨さと比べれば実に些細な出来事のようにも思えるのだが、これをきっかけに初めてタナカヒロシはちょっと前向きになる。ほんの半歩ばかり前に踏み出した彼が発する台詞に、誰しも口許を緩めて共感するだろう――相変わらず彼は不幸のまっただ中にいて、今後も問題は多数あるはずなのに。
 最初はちょっと演出が間延びしているようにも感じたが、そのゆったりとした流れ具合がタナカヒロシのマイペースぶりと共に作品の雰囲気をゆるく整えており、随所で用いられるレトロな歌謡曲と相俟って心地よい。
 可笑しくもちょっと胸が痛くなって、けれどだからこそラストシーンでほっと一息つける、爽快な映画である。自分の人生不幸続きだ、とか思うように進まないことが多い、と感じている方、更に何事にも気力が起きないという方に観ていただきたい。特に、身近に引きこもり気味の若者がいるという方は、そいつも引っ張り出してご鑑賞ください。終わったあとにちょっとだけ足が前に出ているかも。

 ちなみに、上映劇場すべてで実施しているかは定かではないが、わたしが鑑賞した渋谷シネクイントにおいては、主人公と同じ“タナカヒロシ”という姓名の方は無料で鑑賞できる、という企画が行われている。無論写真を撮られそれがホールに展示される、という具合にネタにされる覚悟が必要なわけだが、もしいらっしゃいましたら話のタネにでもするつもりで劇場に足を運んでみては如何か。

(2005/06/07)


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