cinema / 『悪魔の手毬唄』

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悪魔の手毬唄
原作:横溝正史 / 監督:市川崑 / 脚本:久里子亭 / 製作:田中収、市川崑 / 企画:角川春樹事務所 / 撮影:長谷川清 / 美術:村木忍 / 特殊美術:安丸信行 / 編集:小川信夫、長田千鶴子 / 衣装:藤崎捷恵 / 音楽:村井邦彦 / 編曲指揮:田辺信一 / 演奏:東宝スタジオ・オーケストラ / 出演:石坂浩二、岸恵子、若山富三郎、仁科明子、永島暎子、渡辺美佐子、草笛光子、頭師孝雄、高橋洋子、原ひさ子、川口節子、加藤武、大滝秀治、三木のり平、岡本信人 / 配給:東宝
1977年作品 / 上映時間:2時間24分
1977年04月02日公開
DVD最新盤2004年05月28日発売 [amazon:単品4作品セット]
TOHOシネマズ六本木ヒルズにて鑑賞(2006/11/24) ※『犬神家の一族』リメイク版公開記念特別上映

[粗筋]
 金田一耕助(石坂浩二)はかつて事件を介して親交を結んだ磯川警部(若山富三郎)に招かれて、岡山にある鬼首村を訪れる。磯川はまだ下っ端であった20年前にこの地で起き、犯人が見つからないまま迷宮入りとなった殺人事件について個人的に調べており、そろそろ決着をつけるために金田一の手を借りることを目論んでいたのだ。
 その事件とは20年前、鬼首村にやって来た恩田という人物がきっかけであった。戦争の影が色濃くなるに従い不況に喘ぐようになった鬼首村の住人たちに、飾り付け用のモールを製造する仕事を斡旋した。はじめこそ仕事があったものの、ひととおり機材が住人に行き渡ると途端に絶え、恩田が詐欺目的で接近したことが判明する。宿坊“亀の湯”を経営する青池が直談判するために、多々良放庵(中村伸郎)という人物の家の離れに宿を借りていた恩田を訪問したものの、のちにそこで発見されたのは後頭部を砕かれ、顔を焼かれた屍体がひとつきりであった。状況から殺されたのは青池であり、恩田は犯行後行方をくらましたと見られたが、以降発見されぬまま時効を迎えている。
 親しい警察官からの依頼、というものに困惑しながらも、金田一は再調査に乗り出す。鬼首村に近い総社という町にある、かつて恩田が滞在していた旅館を訪れ、詳しい話を聞く。ここで恩田は女中として働いていた別所春江(渡辺美佐子)と情を結んだという。春江は間もなく恩田の子を身籠もったが、犯罪者の子を産んだという中傷に耐えられず数年後に村を出て行った。だが、娘の千恵(仁科明子)が東京で歌手として成功したことを受けて、間もなく娘共々故郷に錦を飾る予定になっていた。
 だが、ここでの話は金田一に思わぬ凶兆を齎した。話題に登場した放庵という人物と金田一はつい前夜に遭遇しており、長年の不摂生が祟って筆の持てない彼に頼まれて手紙の代筆を引き受けている。その手紙とは、彼の8人いた妻のうち5番目から届いた、復縁の申し出に応じるという趣旨だったが、旅館の女将の話では、その5番目の妻はとうに死んでいるという。しかし金田一は総社へ向かう道すがら、放庵への挨拶を口ずさみながら峠を越えていく老婆とすれ違っている。5番目の妻がこの世にいないとするなら、あれはいったい何者なのか。金田一は至急“亀の湯”にいる磯川に連絡を取り、放庵の住居に向かわせるが、そこには誰か客人を迎えた痕跡と、喀血のあとが残されているだけだった。
 翌日、予定通り千恵と春江の母子が鬼首村に戻ってきた。現在、村の最有力者である仁礼家がもてなすが、もともとの有力者であり恩田の詐欺により身代を持ち崩した由良家は、自分たちの家に滞在しないことに不平を漏らす。しかし、彼らの子供達にはさほど屈託はなく、成功した千恵の帰還を揃って祝っていた。だが由良家の娘・泰子(高橋洋子)だけはなかなか姿を現さない――翌朝、彼女は村にある滝にて、異様な有様で殺害されているのが発見された――

[感想]
 日本に横溝正史という名前を広く認知し、探偵映画の代名詞として定着させたのは、1976年に公開された『犬神家の一族』であった。湖に両脚を突き立てた屍体、戦争で顔を失い覆面姿で復員した男、因習にまつわる犯行手段といったモチーフを世間に周知させたこの作品が、発表から30年を経た2006年12月16日に、同じ市川崑監督・石坂浩二主演によってリメイクされ公開される。それに合わせて、TOHOシネマズ六本木ヒルズにおいて、この監督主演コンビによる金田一耕助シリーズ作品を一週おきに公開する企画が実施された。シリーズ第一作でありリメイク対象となった『犬神家の一族』を除く作品を発表順にかけており、本編はその第一弾として上映されたシリーズ2作目に当たる。
 何せ探偵小説の定番であり、最も頻繁に映像化がなされているシリーズであるが故に粗筋は承知しており、てっきり本編もテレビやビデオでいちどは鑑賞しているつもりだったが、どうも他のヴァージョンであったようで、市川・石坂コンビによる本編は初見だったようだ。自分で予想していた以上に新鮮な気分で鑑賞できた。
 とはいえ、さすがに29年前の作品であるだけに、構造は古い。手作りの雰囲気が濃厚なクレジットに、余韻に乏しくやたらばっつんばっつんと切り繋いだような編集手法、大時代的で妙にシンセサイザーを重用している音楽など、やはり現代の感覚で構えると馴染まない。だが、田園風景や昭和初期の匂いを留めた旅館や建物の描き方、何より当時の若者たちや金田一の行動に瑞々しさがあり、郷愁と共に不思議な落ち着きを感じるのも確かだ。
 脚本の組み立ても思いのほか整理が行き届いていて解り易く好感が持てる。金田一ものに限らず昨今のドラマ化・映画化された探偵小説はたいてい現代風にしようとしておかしな色を付けてしまったり、そのくせ謎解きでの配慮を怠ったりやたらと削ってしまった結果、不格好さだけが目につく代物になりがちだが、本編では演出や細かな仕掛けに当時らしい新しさを盛り込みつつも、謎解きとしての結構をうまく保っている。条件の提示に不自然なところはなく、更には原作においても指摘されがちな、金田一耕助が探偵としてあまり能力を発揮できない、という欠点もさほど意識させない。寧ろ、ちゃんと働いているけれども、不可抗力で惨劇を止められなかった、という状況をきちんと作っている。シリーズのもうひとりの顔である加藤武演じる警部があまりに間抜けなのは相変わらずだが、その辺はこの時点で早くも確立されたお約束と捉えられ、悪い印象は齎さない。
 その丁寧さが幸いして、本来“物語”としての面白さに馴染まない謎解きもだらけることがなく、2時間を超える尺ながら全篇きっちりと観る側を引っ張ってくれる。そして終盤に明かされる真相と、それに伴うドラマの情感が実に凄まじく、残酷な描写に勝る迫力を備えていることも出色だ。この事件の犯人の動機はあまりに独善的で、終盤の経緯からしても“愚か”と言うほかないのだが、その心情には胸を打たれるし、同時に他には如何ともし難かったことも理解できる。理解できるだけに、クライマックス、最後まで何も知らなかったある人物の絶叫が胸に迫るのだ。
 そうした悲劇としかいいようのない流れを受けたあとのエピローグ、ここで金田一耕助というキャラクターの性質がいちばん強く活きている。もはや陰惨な余韻しか留めようもない結末になるはずが、彼と磯川警部との最後のやり取りを経ると、不思議なほど余韻が清涼感を帯びる。金田一の超然としたキャラクターゆえだが、演じる石坂浩二の年齢不詳な透明感ある佇まいがぴったりと合致しているのも重要な点である。
 先行する『犬神家の一族』ほど強力に訴える要素がないためにやや印象が薄く感じられるが、完成度という点では圧巻の趣がある。さすがに一時代を築いた作り手によるものは安定している、と実感させる、優秀な探偵映画と言えよう。いまさらながら、やはりこれは面白い。

(2006/11/24)


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